銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

(斎藤 視点)


近藤「筆頭局長ともあろう御方と商家の妾を、合葬など出来ん」


それは近藤局長にしては珍しく、険しい声色だった。

今話し合われているのは芹沢局長の葬儀に関してと、お梅という女性の遺体の埋葬先である。
芹沢局長の葬儀は明日執り行う事が決定した。
しかし問題はお梅の方である。
芹沢局長との合葬案が出たのだが、近藤局長と土方副長がそれに反対した。
武士と女を、ましてや商家の愛妾など合葬するのは如何なものか、と近藤局長達は否定的なのである。
正直、その点に関しては俺も同意であった。

ならばどうしたものかと考えた結果、次に出た案は遺体を菱屋に引き取ってもらうというものであった。
だが、誰が話をしに行くというのか。
簡潔に言えば、「お宅の妾を殺してしまったから遺体を引き取ってほしい」ということを伝えなければならないのだ。
誰がどう見ても汚れ役である。
加えて新選組の隊服の代金を未だ払っておらず、門前払いになる可能性もあった。

しかし、その時。


名前「私が行きます」


静かな声が響いた。
その声色は、普段よりも落ち着いているものだった。
「しかし、」と近藤局長が困惑したような表情を浮かべたが、名前は首を横に振る。


名前「菱屋には何度か行ったことがありますし、菱屋のご主人とも面識があります。話くらいは聞いてもらえるかもしれません」


淡々とした口調からは、感情が読めない。
雫一粒落ちていない、水面のように静かな声だった。
局長と副長は苦い表情を浮かべて顔を見合わせていたが、やはり彼女が適任であると判断したらしい。

昨日から、名前の太陽のような笑顔を見ていない。
楽しげな話し声も、穏やかな眼差しも。
全てを忘れてしまったかのように、名前は無表情だった。

それまでの会話を、名前は一体どのような気分で聞いていたのだろう。
自分の友人の眠る先が決まらず、盥回しのようにされて。
彼女が一切声を荒らげないのが、寧ろ俺の不安を煽った。
そして俺は彼女に同行する事を、間髪を入れずに副長に進言したのである。


……そして正直に言えば、結果は菱屋に行く前から火を見るより明らかであった。


菱屋「申し訳ありまへんが、それはできまへん」


伏せるべき部分は伏せて簡潔に事情を説明して頭を下げたものの、やはり受け入れてもらうことは出来なかった。


菱屋「お梅には何日か前に暇を出しとります。お梅が言い出したことやったし、芹沢様の所にでも行くつもりやったんかと。せやからもうお梅との関係はございません」

名前「……あの、でも、」

菱屋「妾を入れる墓など、うちにはございません。妾とは、そういうもんなんです。せやから申し訳ないんやけど、出来まへん」


"これ以上厄介事を増やすな。"
遠回しにそう言われているようだった。
一度は食い下がった名前だが無意味だと悟ったのか、それ以上請うことはなかった。
しかし、握り締めている拳は小刻みに震えている。


菱屋「それと、もう芹沢様のお代は結構です。あと、あんさんにはこれをあげますよって」


そう言って菱屋の主人は、とある反物を風呂敷に包んで持ってきた。
包まれているのは、以前名前が欲しがっていた桜柄の反物だった。


名前「……えっ、でも、」

菱屋「せやから今後は、一切新選組の方がおいでくださいませんようお願い致します」


そういう事か、と納得したのだろう。
名前はそれ以上何も言わずに素直に反物を受け取った。
しかし、彼女の表情は見えない。


斎藤「……承知致しました。突然押しかけて、ご無理なお願いを致しまして申し訳ありません」


俺が頭を下げれば、名前も謝罪の言葉を述べて頭を下げた。
文字通り追い出されるように店を出て、俺と名前は帰路につく。

八木邸へ着くまでの間、名前は一言も話さなかった。
彼女といる時に沈黙が続くことは滅多に無く、あったとしてもそれは心地良い沈黙であったはず。
これ程息の詰まるような時間は初めてであったかもしれない。

それでも、名前は本当に強い女子だと思う。
感情を剥き出しにせず、怒りを堪えて冷静に努めた先程の彼女は立派だった。
昨日あれだけの事がありながら、こうして己の役目を果たしている。
泣き言一つ言わずに。
強がりな性分故だろうが、名前は決して涙を見せない。
それは、昨日も同じであった。


─── 昨晩。
俺が屯所へ戻るなり、俺の元へ一目散に駆け寄って来たのは総司だった。


沖田「お願いだよ、一君。名前を助けてあげて」


今にも泣き出しそうな顔で、総司は俺に懇願してきた。
平静さを失った総司を何とか落ち着かせて話を聞き出し、名前がお梅を斬った事を知った。
名前が壊れてしまう、と。
総司は悲痛な顔でそう言った。
総司が名前を連れて行こうとしても、彼女はそれを拒んだのだという。

勿論、彼女の事が心配でない訳では無い。
寧ろ、今すぐにでも彼女の元へ駆けつけたい。
だが総司で無理ならば、俺にも無理だ。

しかし俺の出した結論に、総司は首を横に振った。


沖田「僕じゃ駄目なんだ。君じゃなきゃ、駄目なんだ」


淡萌黄が、悲しげに揺れていた。
総司の言葉と己の中に渦巻く不安に突き動かされ、俺は名前のいる部屋へと急いだ。

見つけた彼女は、声を掛けることを躊躇ってしまう程の空気を纏っていた。
名前を呼べば、彼女は弾かれたように振り向いて。
彼女の焦茶色の瞳を染めるのは、憎悪と恐怖、そして悲しみ。
頬に残る返り血の跡が、まるで涙を流しているように見える。
思わず息を飲んでしまう程、別人のような名前がそこにはいた。


名前「……お願い……ひとりに、してほしいの……」


初めて彼女から、明確な拒絶を受けた。
普段ならば、引き下がっていたかもしれない。


名前「……い、ま……変なの、わたしっ……」


彼女の心が、悲鳴を上げている。
今にも崩れ落ちてしまいそうな程に、そこにいる彼女は脆く見えた。


名前「……わ、たしっ……」


彼女の声が、心が、苦しんでいた。
溶けてしまいそうな程に儚い彼女が、あの日自分が傷付けてしまった彼女と重なって。

気づけば俺は、名前の腕を引いていた。
無我夢中で彼女の小さな体を抱き締める。
驚いたように抵抗をした名前だが、離すまいと己の腕に力を込めた。
彼女を、離したくなかった。

俺の腕の中にある華奢な体は、小さく震えていて。
それでも、名前は涙を流さなかった。
儚さの中に、確かな強さがあった。


……あれからまだ、一日も経っていない。
しかし半歩前を歩く彼女からは、昨日の面影は消え去っていた。
その代わり、今日は名前の表情が分からない。
何を思っているのか読み取れぬほど、名前は無表情を貫いていた。

そして、八木邸の門の前まで来た時。
彼女はふと足を止めて、ようやく口を開いた。


名前「……ごめん」


それは、何に対する謝罪なのか。
困惑する俺に、名前は静かに言葉を紡ぐ。


名前「……心配して、ついて来てくれたんでしょう?それなのに、一君にまで嫌な思いさせてごめん」

斎藤「……あんたが謝る事は無い。俺の意思で出向いたまでだ」

名前「……ありがとう」


その時、ようやく名前の顔に感情が宿った。
寂しげで、哀しげな笑顔だった。


名前「……こんな形で、貰いたくなかったな」


視線の先には、抱えている反物。
彼女にとってそれは、思い入れのある物のはず。
痛々しく切ない笑顔に、胸が痛んだ。
何と声をかけたら良いのか分からない自分がもどかしい。


斎藤「……報告には俺が行く。あんたは先に戻っていろ」


名前の長い睫毛が静かに伏せられる。


名前「……ありがとう、一君」


再び笑みを浮かべた名前。
しかし、その焦茶色の瞳が泣いているように思えてならない。
今日ほど己の口下手を恨んだ事はあるまい。
過ぎ去る彼女の痛々しい背中を、ただ見つめる事しか出来なかったのだ。

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