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梅「……名前さん」
優しい声が名前を呼ぶ。
この部屋に乗り込んでから、名前はこの時初めてお梅の顔を見た。
お梅は普段と何一つ変わらぬ、穏やかな表情を浮かべていた。
名前「……っ、」
凛とした姿勢で座っているお梅を、名前は見下ろす。
そして、静かに刀を構えた。
それは普段の構えではなく、斎藤から教わった構え。
あの日から何度も練習した、人を苦しませない為のものであった。
吐き出す息も、刀を持つ手も震えていた。
心が悲鳴を上げていた。
彼女を斬りたくないと、全身が拒絶していた。
梅「……名前さん」
もう一度、お梅が名前を呼んだ。
しかし先程の柔らかな声とは違い、凛とした、芯のある声。
覚悟を決めた声だった。
薄紫色の瞳が、真っ直ぐに名前を見上げる。
" 梅「あの人の傍に、居させてください」 "
名前の体の震えが止まった。
─── ほんの一瞬。
名前の瞳が僅かに潤む。
しかし、すぐに笑みを浮かべた。
まるで桜が散るような、儚い笑みだった。
"楽に逝かせてやってほしい"
そんな、芹沢の望みを叶える為に。
"最後まで芹沢の傍にいたい"
そんな、お梅の望みを叶える為に。
大切な友人に、最愛の人との幸せな時を。
梅「 ─── 名前さん、ありがとう……」
白刃が風を切り、真一文字に煌めく直前。
刀越しに目に飛び込んできたのは、お梅の淡い微笑み。
─── ヒュンッ……
鮮血が飛び散り、畳を染める。
命を吸い取られたお梅の体がガクッと傾いた。
"「……浪士組には、女子はんもいてはるんどすなぁ」"
"「ああ、やっぱり綺麗やわぁ。あんさんの顔立ちは可愛らしいさかい、こないな風に明るうて優しい色がお似合いどす」"
まるで眠っているように、お梅の顔は安らかだった。
"「あの人の傍に、居させてください」"
"「名前さん」"
名前の手から刀が滑り落ちる。
未だ外の剣戟音が鳴り止まぬ中、名前は膝から崩れ落ちた。
床についた己の手が、お梅の血で染まっていく。
名前「……お梅、さん」
震える手で、お梅の白い手に触れた。
白い手に飛び散っている鮮血。
冷たくなったその手を胸元に引き寄せ、抱き締める。
名前の顔に飛び散った返り血が一滴、まるで涙のように頬を伝った。
土方「 ─── でえりゃあああっ!!!」
芹沢「ぐああっ……!!」
名前を現実に引き戻したのは、土方の怒声と芹沢の呻き声だった。
聞こえてきた声と肉を貫く音に、名前は静かに外へ目を向ける。
目に入ったのは、土方の刀が芹沢の胸を貫く瞬間。
芹沢の口からは、血の塊が溢れ出る。
その場には降り続く雨音と、土方の呼吸音だけが響いていた。
芹沢「……よく、やった……」
土方「……っ、……」
僅かに、押し出すように発せられた言葉。
弱々しく微かなものであったが、はっきりと聞き取れた。
土方の刀が、芹沢の体から引き抜かれる。
芹沢の体から、力が抜けていくのがわかった。
……そして、その体がよろめいた時。
芹沢の紅の瞳が名前の方へ向けられた。
その視線は名前に、そして倒れているお梅に移る。
名前達の様子を確認しているようだった。
二人を見て、安心したかのように芹沢の口角が微かに上がり。
その体は雨が叩きつける地面へと、静かに倒れたのだった ─── 。
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