銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

新見が姿を消してから、数日が経過した。
変若水の事情を知っている幹部達は、交代で夜通し市中を駆け回っている。
しかし交代といっても人手が足りていないため、二、三日連続で徹夜続きになっている者が多い。
日中も隊務があるため、幹部達は体を酷使する日々が続いている。


永倉「……おう、龍之介か」

井吹「あ、永倉……って、随分酷い顔だな。大丈夫か?」

永倉「あー……流石に体がついていかねえよ」


井吹は、八木邸の子供達に絵を描いて遊んでやっていた。
そしてそろそろ昼時だから、と帰って行った子供達と入れ替わるように、ふらりと入ってきたのは永倉であった。
しかし彼の目元の隈は濃く、酷く疲れている様子である。
流石の永倉の体力も底を尽きかけているようだ。

するとそこへ足音が聞こえてきて、書簡の束を抱えた名前が通った。


名前「あ、こんにちは龍之介。新八さんもお帰りなさい」

永倉「おう。また手がかり無しだ」


足を止めて声をかけてきた名前だが、永倉の言葉に困ったような顔になった。


名前「そっか。……酷い隈だよ、午後の捜索代わろうか?」

永倉「いや、お前さんは昨日丸一日出ずっぱりだったじゃねえか。今日も夜番なんだし体力もたねえぞ、今のうちに休んどけ」

名前「新八さんだって一昨日の夜からずっと出ずっぱりじゃない。若いからって無理しちゃ駄目だよ」

永倉「……歳下のお前には言われたくねえな、それは」


冗談なのかどうかよくわからない会話に軽く笑った永倉だが、その笑顔は力無い。
するとそこへ、「新八」と永倉を呼ぶ新たな声が聞こえた。


永倉「おう、斎藤か」

名前「一君、お帰りなさい」

斎藤「ああ」


現れたのは斎藤だった。
巡察から戻ってきたところらしく、隊服を纏っている。
永倉とは異なり、斎藤はいつも通り無表情である。
斎藤も疲労が溜まってきているのだろうが、顔に出にくい質のせいか普段と変わらない顔色だ。


斎藤「新八、あんたは少し休め。俺が交代で捜索に出よう」

永倉「けどよ……」

斎藤「俺ならば問題ない。昨晩は休ませてもらったからな」


斎藤の言葉に、永倉は苦笑を浮かべた。
流石の永倉でも溜まった疲労には敵わないようだ。


永倉「……すまねぇ、恩に着るぜ斎藤。お前の夜番は俺が代わる」

斎藤「……ああ」


永倉は斎藤に頭を下げると、溜息を吐きながら屋敷の中へと戻って行った。
やはり、このまま人手の足りていない状況で新見と綱道の行方を探し続けるのは限界がある。
早く見つけなければ、と名前は顔を引き締めた。
すると、今まで黙って話の成り行きを見守っていた井吹が聞き辛そうに口を開いた。


井吹「……なあ名前、斎藤。もし新見さんが見つかったら…新見さんは、どうなるんだ?」


名前と斎藤は一瞬顔を見合わせる。
そして名前は困ったように、斎藤は顔色一つ変えずに口を開いた。


名前「……法度では、脱走は切腹って事になってるの」

斎藤「隊規違反を犯したならば、幹部であろうが元局長であろうが粛清される」

井吹「……そうか」


井吹はそれ以上の事は聞かずに俯いてしまった。
重苦しい空気が流れたため、それを払拭するように名前が明るい声を出す。


名前「……あっ、今日も絵を描いてたんだね!これ、勇坊達だよね?やっぱり上手いなぁ」


井吹の隣に置かれていた紙をひょいと手に取る名前。
そこには八木邸の子供たちの似顔絵が描かれていた。
斎藤もちらりと視線を其方に向けたため、井吹は慌てて事情を説明した。


井吹「あ、いや……実はこの間、芹沢さんと約束をしたんだ。したというか、させられたというか……」

斎藤「……約束?」

井吹「ああ。芹沢さんが納得できる絵を描けたら、俺を自由にしてくれるって」

名前「えっ、そうだったの!?」


まさか芹沢がそんな事を言い出すとは思いもよらず、名前は驚きで目を見開いた。
実際井吹も未だに信じ難い気分なのである。
今まであれ程井吹を扱き使っていて、出て行かせる気はまるで無かったように見えたのだが、芹沢は一体何を考えているのだろう。

しかし、芹沢から開放されるのは井吹にとっては良いことのはずだ。
そう思った名前は、「よかったね」と笑いかけた。
斎藤は、「そうか」と頷いただけでそれ以上言及してくる事はなかった。


斎藤「……名前。俺はこれから新見さんの捜索に出る」

名前「うん、分かった。隊服預かるよ」

斎藤「すまぬ」


斎藤はもう一度井吹の顔と絵をちらりと見やってから、名前に隊服を預けてその場を去っていった。
「気をつけてね」という名前の声が、静かな八木邸に響く。

斎藤の背中を見送りながら、井吹は一人自問自答をしていた。
自分もいつか、斎藤のような『覚悟』を持つことが出来るようになるだろうかと。
そして、こんな中途半端な気持ちで絵を描いても芹沢を納得させるだけの絵は出来ないだろうと、井吹は溜め息を吐くのであった。

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