銀桜録 黎明録篇 | ナノ


3

八月十四日。

昨日の一件で、判明した事がある。
それは、大和屋は異国との取引で利益を得た為に天誅組から狙われていたという事実であった。
そして大和屋は用心棒として尊攘派浪士達を金で雇っていたという。

土方や近藤、山南は後処理に終われており、夜になっても今日はほとんど姿を見せていない。
副長補佐といってもまだ若く、おまけに女子である名前は、お上とのやり取りには参加させてもらえず、完全に蚊帳の外であった。
しかし名前自身はその辺の事情は心得ているので、特に不満は無い。

夕餉を終えて風呂から上がり、特にやることのなくなった名前は、月明かりの下で本を読んでいた。
ここ数ヶ月はあまりにも忙しくて、本に触れるのは何だか酷く久しぶりなように思えた。
今日は隣に山南の姿が無いのが少し寂しいが、名前は途中になっていた本を夢中で読み進める。


原田「 ─── 名前」

名前「……あっ、左之さん!」


本を読み始めてどのくらい時間が経ったのだろうか。
聞こえてきた声に顔を上げれば、そこにはお盆を持った原田が立っていた。


原田「隣いいか?」

名前「うん、勿論!」


どうぞどうぞ、と名前が少し端に寄れば、原田はどっかりと胡座をかいて座る。
そして、包に入った何かを名前に差し出してきた。


原田「ほら、約束の饅頭だ」

名前「あっ、やった!ありがとう!」


正直昨日の事件で頭がいっぱいで、賭けの事などすっかり忘れていた名前。
だが疲れた体に甘味はちょうど良い。
包を開けば饅頭が三つ入っており、名前は大喜びで頬張った。
もきゅもきゅと饅頭を食べながら、名前はふと原田の方を見る。


名前「…左之さんは食べないの?」

原田「ん?ああ、俺はこっちだ」


そう言って原田が持ち上げたのは酒の入った徳利である。
成程、確かに酒に饅頭は合わないだろう。
三つの饅頭は全て名前に買ってきてくれた物なのだと気づき、名前は遠慮なく二個目の饅頭に手をつけた。

互いにぼんやりと月を見上げ、名前は饅頭に、原田は酒に口を付ける。


名前「……また全部やり直しだね」

原田「ああ、そうだな……」


昨日の芹沢の行動で、土方達がようやく手に入れた名声は一瞬で無に還った。
一度失ったものを取り戻すのは難しい。
名前も原田も、共に長い睫毛を伏せる。


名前「……総ちゃんがね、言ってたの。『邪魔だよね』って……」


何を、とは言わずとも伝わったらしい。
原田は苦い笑みを零した。


原田「ったく、名前相手に何てこと言うんだ、総司は……」


それは、少なくとも否定の言葉ではなかった。
原田も薄々と今後の浪士組の道に気付いているのだろう。


名前「……やっぱり、何とか上手くいく方法はないのかな」

原田「……上手くいくなら疾っくにいってるさ。今のままの俺達じゃ、いつまで経ってもあの人は止められねえよ」


"そんな自分達が芹沢を止める方法は、一つしかない。"
遠回しではあるがまるでそんな風に言われているようで、名前はキュッと口を固く結んだ。

どうしたって噛み合わないものはある。
それは仕方の無いことだと名前も分かっている。
人それぞれ異なる考えを持つ以上、互いに譲れないものもあるからだ。

しかし……だからといって、仲間内で殺し合いをするなんて。
簡単に割り切ってしまえる程、名前は大人ではなかった。
喉が乾いて、湯のみに入った熱いお茶で喉を潤す。


原田「……酒の席で話す内容じゃねえな。もうちっと明るい話でもしねえか」

名前「あっ…うん、そうだよね。ごめんね」


元はと言えば、この話題を持ち掛けたのは自分の方である。
それに気付いた名前は困ったように眉を下げて謝った。


原田「そうだなぁ……最近、斎藤とはどうなんだ?」


まさか、その話に行くとは。
予想外の方向から攻められて動揺した名前は、思わずお茶を吹き出した。
顔を真っ赤に染めた名前を見て、原田はくつくつと喉を鳴らして笑っている。


名前「ど、どうって……試衛館にいた時と何も変わらないよ?」

原田「ん?そうなのか。……いいのか?」

名前「うん。今のままがいいの」

原田「……そうか」


何の迷いもなく言い切った名前に、原田はそれ以上深堀りはしなかった。
名前が斎藤を思う優しさ故の発言である事を察したからだ。
しかしその代わりに、原田は少し考え込むような表情で口を開く。


原田「……なぁ、名前」

名前「うん?」


原田の表情は、何時になく真面目であった。


原田「……もしもの話だ。自分の追い求めたい道と、自分が惚れた相手と生きる道……どちらかを選ばなきゃならねえってなったら、お前ならどうする?」

名前「……えっ?」


予想外の質問に、名前は目をぱちくりと瞬かせた。


名前「……もしかして左之さん、好きな女性がいるの?」

原田「いや、別にそんなんじゃねえさ。ただ…お前なら、どっちを選ぶのかと思ってな」

名前「ああ、そうだったんだ。私なら、」


追い求めたい道を選ぶよ、と言いかけた名前だが、はたと言葉を切った。

名前が追い求める道は、近藤や土方の夢を叶える為に彼らに尽くすこと。
そして名前が惚れているのは斎藤だ。
このどちらかを、選ぶ……?


名前「……わからない……」


例えばの話である事は分かっている。
しかし名前には、答えられなかった。

もし、どちらかと別れなければならない時が来たら。
自分は一体どちらを選ぶのだろう。
近藤達とは絶対に離れたくない。
かといって、斎藤と一度別れたあの時のような、胸が張り裂けるような思いは二度としたくなかった。
自分の中からどちらかを切り離すことが、全く想像できないのである。


名前「……どっちも、大切なの。兄様達の役に立ちたいっていう思いも、一君への思いも。欲張りなのかもしれないけど、どっちも私の体の一部みたいなもので……どっちかを選ぶのは、右腕か左腕を失うのと同じくらい大きくて。だから、私 ─── 」

原田「分かった。お前にゃ酷な質問だったな、すまねぇ」


微かに震えた言葉の端を見逃さなかった原田は、名前の言葉を遮った。
そして彼女を慰めるように頭を撫でる。


名前「でも……どうして、そんな事聞くの?」


原田は静かに月を見上げた。
それはまるで、何かを憂うような瞳だった。


原田「少し昔話みてえになっちまうが……故郷の伊予を出てから試衛館に行き着くまで、俺は喧嘩に明け暮れた日々を過ごしてたんだよ」

名前「そうなの?」

原田「ああ。もしお前らに出会ってなかったら、今でもそんな暮らしを続けていたかもしれねえな」


原田はそう言って小さく笑うと、猪口に入っていた酒を飲み干した。
名前が原田から切腹話以外の過去の話を聞くのは、初めてであった。


原田「……けどよ、そんな俺でも唯一仲の良い奴がいたんだ。新八をもう少し大人にしたっつうか…落ち着かせたような性格の男だった」

名前「新八さんに…?」

原田「ああ。縁っつうのかな、不思議なもんだよな」

名前「そうだね。自然と惹かれ合う、みたいな?」

原田「あー……まあ、実際そうなのかもしれねえが……男が相手じゃあんまり嬉しくもねえな、その言葉は」


苦笑いを零した原田を見て、名前はくすくすと笑う。
そんな名前を横目に、原田は話を続けた。


原田「…で、俺と其奴は同じ夢に走るって誓ってたんだけどな。いつの間にか、其奴は芸妓と恋仲になってた。しかも子供まで出来ちまったみてえでよ」

名前「……そっか。じゃあ、その人は……」


聞かずとも、その友人の選択した道が名前には分かった。
もしその友人が原田を選んでいたならば、きっと原田は今此処にはいない筈だから。


原田「ああ、後はお前の想像通りさ。最初は女より、お前との道を行くと言ってたんだが…最後はやっぱり女を選んじまってよ。俺には彼奴が理解出来なかった。裏切られたっつうか…許せなかったんだよ。彼奴とはもう、それっきりだ」

名前「……そう、だったんだ」


ぐっ、と盃を握る原田の手に力が入ったのが分かった。
そこには苛立ちと共に、寂しさと悲しさが含まれている。


原田「……けどよ、俺もお前と同じなんだ。頭では、追い求めたい道だと思ってるんだが…本当にそうなのかってな、ふと思う時があるんだよ。いざそういう場面に直面したら、俺はどっちを選ぶのか……俺にも、わからねえんだ」


それは名前が初めて目にする、原田の迷いであった。
今、彼にかけるべき言葉は一体何なのか。
自分と同じ立場にある彼に、何か言えることはないのだろうか。


名前「……きっと……選ぶものの存在が大きければ大きいほど、捨てなきゃいけないものも大きくなるのかもしれないね」

原田「……そうなんだろうな。彼奴も相当悩んだ筈だ、苦しそうな表情を何度も見た」


友人の事が理解出来ないと言いながらも、その友人が苦しんでいるのを見るのは原田としても辛かったのかもしれない。
原田は、仲間思いの優しい男だからだ。


名前「……私にも、まだ全然分からないけど……でも、そういう時が来る頃にはもう分かってるんじゃないかな。自分がどっちを選びたいのか、本当は自分の中ではもう答えが決まってて……だけど捨てる方も大きい分、なかなか踏み出せなくて、だから悩むのかなって……」

原田「……」

名前「答えになってないかもしれないけど……もしその時が来たのなら、あとは覚悟を決めて踏み出すだけなんじゃないかな」


ゆっくりと、考えながら言葉を紡ぐ。
名前の言葉に、原田は黙って耳を傾けていた。


原田「……心の中ではもう決まってる、か」

名前「うん。多分、だけど…」

原田「……いや、案外そうなのかもしれねえ。すげえしっくりきたぜ」

名前「そ、そう?私自身もよく分かってないから、想像でしかないけど……」

原田「ンなことねえよ。ありがとな、名前」


いつもよりも豪快に、わしゃわしゃと頭を撫でられる名前。
その原田の手つきから、彼の気分が少し晴れたことが名前には伝わった。


原田「悪いな、結局重苦しい話になっちまった。……そういやこの間、新八が酔っ払って暖簾を巻き付けて帰って来てな」

名前「いや新八さん何やってんの!?」


そこからは永倉や藤堂の話、そして試衛館の頃の話へと話題が移り変わっていき、その日は夜遅くまで二人の微かな笑い声が残っていた。

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