銀桜録 黎明録篇 | ナノ


2

闇夜を朱色に染め上げて燃えたぎる炎。
それは町の風景にはそぐわず、異様であった。
予想外の光景に、名前達は言葉を失った。
轟々と燃える商家に背を向けて仁王立ちしているのは、芹沢である。
芹沢は駆け付けた土方達を視界に入れるなり、口角を上げる。


芹沢「…遅いではないか。相撲興行とやらで浮かれていたか?」

土方「芹沢さん、あんたがやったのか?」

芹沢「この大和屋は異国との貿易で不当に財を成した悪徳商人だ。浪士共に金を渡していた疑いもある」

土方「……疑い?」


芹沢がちらりと見やったのは、燃え上がる建物を絶望した表情で見ている男。
恐らく店の店主だろう。
さらに土方の目がつり上がった。


芹沢「しかも、我々への資金協力を拒んだ。成敗されても仕方なかろう」


要は、押借りを断られた腹いせだ。
そして、よりにもよって今日だとは。
土方と近藤が芹沢の手を一切借りずに初めて自分達だけで行事を成し遂げた、今日だとは。

名前は、ギリッと唇を噛んだ。
だが、今は悔しがっている場合ではない。
早く火を消さねばならない。
延焼を防ぐために予め大砲を打ち込んでいたようだが、防げるといってもやはりそれには限りがあるだろう。
火の粉が周りの建物に移ったらいよいよ収集がつかない。


名前「…土方さん、私は火消しを呼んできます。多分もう、水じゃ無理です」

土方「ああ、頼む。こっちも出来る事はするが…あまり時間はねえ」

名前「急ぎます」

沖田「名前、僕も行くよ」

名前「うん」


土方に耳打ちをして素早く許可を取り、名前が沖田を連れてその場を離れようとした時であった。


芹沢「 ─── 待て、妹!!」


鋭い声と視線が背中に突き刺さり、名前は思わず足を止めた。


芹沢「…何処へ行く?どういうつもりだ」


振り返れば、鵜の目鷹の目で芹沢が此方を睨みつけている。
しかし名前は怖気付くこと無く、キッと芹沢を睨み返した。


名前「どういうって…そんなの、」


決まってるでしょう、と怒りのままに声を上げそうになった名前。
しかしそれをサッと腕で制したのは、土方であった。


土方「何の証拠も無いのに火を付けることはねえだろう」

芹沢「…土方、貴様は筆頭局長であるこの俺が虚言を吐いていると申すか?」


土方はそれに対して何かを言うでもなく、ただじっと芹沢の瞳を睨みつけている。
その表情から怒りは読み取れず、無表情であった。
その代わりに目を吊り上げたのは名前だ。

もし芹沢の方が間違っていれば、無実の者を痛めつけた事になる。
仮に合っていたとしても、町の人々の脳裏に刻まれるのは『浪士組が商家に火を付けた』という事実だけだろう。
つまり、土方と近藤が何とか積み上げてきたものが水の泡になってしまったのだ。

名前から迸る怒り。
それに気付いた芹沢はフ、と口角を上げる。
思わず拳に力が入った名前であったが、ガシッと肩を掴まれた事で我に返った。


土方「……名前、抑えろ」


ボソリと、名前だけに聞こえるように囁かれた言葉。
ハッとして名前が見上げたもののその視線は交わることはなく、土方はただ真っ直ぐに芹沢を見据えていた。
無表情に見えるようで、本紫色の瞳だけは轟々と燃え上がっている。
土方の手は名前を抑えていながら、まるで自分をも抑えているようであった。
それに気づいた名前の拳からは、自然と力が抜ける。


土方「……彼処の土蔵の中を探せ、何か証拠が出てくるかもしれねえ」


土方は隊士達にそんな命令を下した。
それに従い、永倉達が火の粉が飛ぶ中土蔵へと向かって行く。
それを見た芹沢は、機嫌を良くしたように口角を上げた。


芹沢「……せっかく長い時間をかけて相撲の興行とやらを成功させたのに残念だったな、土方」

名前「っ、!!」

土方「名前!」


やはり芹沢は、相撲興行が行われる今日を狙って行動したのか。
芹沢の言葉に目を剥いた名前だが、またもや土方に止められる。
それは先程よりも鋭く、名前を咎めるようなものであった。
二度言わすな、と言われているようで、名前は咄嗟に動きを止めた。


土方「……お前が耳を貸す必要はねえ」

名前「……っ、」


それは先程とは違い、咎めるのではなく名前の怒りを鎮めさせるような声。
己の無力さが悔しくて、名前は力なく視線を落とす。
「良い子だ」という静かな声が降ってきて、名前は唇を噛んだ。


土方「……名前、総司。お前らは火消しを呼んでこい。何方にせよ、最終的には火は消さなきゃならねえ」

名前「……わかりました」

沖田「…行こう、名前」


項垂れている名前の手を、沖田が軽く引っ張る。
名前を向かわせるのも、土方の配慮なのだろう。
名前がこの場にいれば、また芹沢からの挑発を受けかねないからだ。


沖田「……大丈夫?」

名前「……うん。ごめん」


深呼吸をして何とか気を落ち着かせて、名前は沖田と共に火消しの元へと向かう。


沖田「……土方さん、相当怒ってたね」

名前「……うん」


土方が怒りを耐えているのは分かっていた。
だから名前も大人しく従った。
しかし沖田のその言葉は、何処か他人行儀で冷たい声であった。


名前「……総ちゃんは、怒ってないの?」

沖田「怒ってるよ。…怒らないわけないでしょ。興行が成功して一番喜んでたのは、近藤さんなんだから」

名前「……うん」


しかしその割に口調からは怒りが見えない。
かといっていつものように飄々とした口ぶりでもない。
何も読み取れない沖田の声は、"無" そのものであった。


沖田「芹沢さんはさ、もしかしたら僕と似てるのかもしれないって思ってたんだ」

名前「……え?総ちゃんと……?」


一体何処が似ているというのか。
一切の共通点が見つからず、名前が首を傾げれば、沖田はそのまま話を続けた。


沖田「芹沢さんは、自分のことをよく分かってる人だと思うよ。自分のことも、周りのことも…すごく突き放した目で見てる」

名前「突き放した目……?」


名前が沖田を見上げても、沖田は何処か遠くを見ていて視線は合わなかった。


沖田「例えば、土方さんみたいなやり方をすればきっと問題も起きないだろうし、周りに慕われるだろうことも全部分かってるんだ。だけど、それでも自分にできるやり方はこれしかないって考えて……その結果がこれなんだよ」

名前「……」


沖田の語るそれは、名前も分かっていることであった。
芹沢は、大きな覚悟を決めている。
自分に出来る事を、すべき事を貫いているからこそ、あんな行動を取るのだ。
かと言って、芹沢の肩を持つことはできないのだが。

そして何故沖田が、芹沢と自分が似ているなどと言い出したのかも分かったような気がした。
全てを分かったうえで飄々とした素振りを見せる沖田と、確かに重なる部分があるのである。
沖田の冷めた声は、まるで沖田自身をも批判しているようであった。


沖田「……邪魔だよね」


今日初めて、名前は沖田と目が合った。


沖田「芹沢さんのことだよ。やっぱりあの人、邪魔だなって」


酷く冷たい目で可笑しそうに笑うその姿は、名前ですらぞっとしてしまうような異様な雰囲気があった。


沖田「……名前、早く行こうよ」

名前「……うん」


いつの間にか足を止めてしまっていた名前。
沖田に促され、名前は歩き始める。
しかし喉がカラカラに乾いていて、声を発することが出来なかった。

何故なら、気付いてしまったから。
瞳の奥で燃えていた、憎しみの淡萌黄の生気。
死と隣合わせの日々を送っているからこそわかる、明確な殺意。
そして、芹沢はそう遠くない内に消されてしまう存在なのだということに。
それは他の誰でもない、浪士組の手によって ─── 。

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