銀桜録 黎明録篇 | ナノ


2

─── 文久三年 三月三日。

本日朝廷より、浪士組は江戸へ戻れという旨のお達しが下った。
元々江戸へ戻る事に反対していた近藤一派と芹沢一派は、ここでついに清河八郎と決別する。
「将軍警護の為に京へ来たのに、尽忠報国の目的を果たさずして江戸に戻ることはできない」という理由で近藤達は京に残ることになり、浪士組は江戸へ戻る者達と京に残る者達の二つに分裂した。

しかし、目的を果たすために京に残ったとはいえ、近藤達を支援してくれるような心強い後ろ盾は未だ見つかっていない。
実際の状況は何も変わっておらず、近藤達は崖っぷちの所に立たされていた。

そんな時であった。
─── 彼が、戻ってきたのは。


土方「斎藤…!?斎藤じゃねえか!」


土方と近藤を訪ねてきて、井吹によって取り次がれた人物。
それは、昨年の十二月頃から行方を晦ましていた斎藤一であった。
久しく姿を見せていなかった彼を見て、土方は珍しく嬉しそうな声を上げた。


斎藤「ご無沙汰しておりました、土方さん」

土方「なんだよ、随分久しぶりじゃねえか!道場へぱったり来なくなったから、心配してたんだぜ?」

斎藤「それは…ご心配をおかけして、申し訳ありません」


畏まって頭を下げる斎藤を見て、土方は「相変わらずだな」と目を細めて笑った。
斎藤が僅かに口篭ったのを見逃さなかった土方だが、取り敢えず斎藤を部屋に招き入れる。


土方「しかし、よく此処がわかったな」

斎藤「土方さんが、浪士組に参加されたと聞きまして…」


どうやら斎藤は、風の噂で土方達の居場所を聞きつけてやって来たらしい。
しかし八木邸という詳しい場所まで探り当てたとなると、斎藤も実は京に居たのではないかと土方は内心考えていた。
もし江戸に居たのであれば、流石に居候先の家という細かい情報は入ってこないだろう。

しかし土方はそこには言及せず、自分に何か用かと斎藤に尋ねる。
そしてその答えは、土方も驚く理由であった。


土方「浪士組に参加を…?」

斎藤「はい」


なんと、斎藤は浪士組に参加したいのだという。
聞き返した土方に、斎藤ははっきりと頷いて返事をした。


土方「そりゃ嬉しいが…今の俺達の状況を知ってるのか?」

斎藤「いえ、殆ど…」

土方「…まあ、一言で言うと浪士組の中心は近藤さんじゃなく芹沢って人だ。正式な拝命もねえ、支度金もねえ。京に残るにしても後ろ盾もねえ。つまり八方塞がりって有様だ」


自分で言いながら、なかなか絶望的な状況だと土方は改めて危機感を強めた。
しかしその内容を聞いても、斎藤は顔色一つ変えなかった。


土方「それでも、加わってくれるか?」

斎藤「勿論です」


斎藤は真っ直ぐに土方を見つめて即答する。
浪士組がどんな状況にあろうとも、心は決まっていたようだ。
土方は、そんな斎藤をじっと見つめる。


土方「…斎藤。お前がどうして試衛館に来なくなったのか、詳しくは聞かねえ。ただ、此処へ来た理由だけは聞いておきてえ」


斎藤は寡黙だが、真面目で律儀な男だ。
そんな彼が何も言わずに姿を消したとなると、余程の事情があったのだろうと土方は察している。
それを聞かないのは土方なりの気遣いである。

恐らく斎藤にもそれは伝わっているのだろう。
斎藤は、ゆっくりと口を開いた。


斎藤「恩返しの為です」

土方「…恩返し?」

斎藤「江戸に居た頃、近藤さんと土方さんにお世話になった御恩…返す機会は今を置いて他に無い、そう思っています」

土方「…そうか」


斎藤の言葉を聞いた土方は、フ、と表情を緩めた。
勿論斎藤の思いが嬉しかったというのもあるが、以前にも何処かで似たような台詞を耳にしたからである。
土方の脳裏には自分よりも十も年下の、凛々しい少女が頭を下げる姿が思い浮かんでいた。


土方「今は信頼出来る仲間が一人でも欲しい時だ。頼りにしてるぜ」

斎藤「微力ながら…」

土方「…そういや、総司達にはもう会ったのか?」


畏まって頭を下げた斎藤を見てふと思い出したことを土方が尋ねれば、頭を上げた斎藤は驚いたように僅かに目を見開いた。


斎藤「…総司も、此処に?」

土方「ああ。総司だけじゃねえよ。山南さんも新八も、原田も平助も源さんも一緒だ」

斎藤「…そう、でしたか」


それまで真剣な顔付きをしていた斎藤であったが、馴染みのある名前を聞いてその表情が僅かに和らいだ。

斎藤は、試衛館を心地の良い場所だと気に入っていた。
それは、彼らが居たからである。
まさか彼らにまで再会出来るとは思っていなかったようで、彼のその表情は嬉しそうであった (元々表情の変化が少ない男の為、少々分かりにくいが)。

そんな斎藤を見て、土方はフと優しげな笑みを浮かべる。


土方「…実はな、斎藤。彼奴・・も此処にいるんだよ」

斎藤「彼奴…?」


"彼奴" とは一体誰のことだろうかと考え込んだ斎藤であったが…。
ふと、試衛館の仲間の中で名前の上がっていない人物が一人いる事に気づく。
その瞬間、ドクンと斎藤の心臓が飛び跳ねた。


" 名前「一君 ─── 」"


まさか ─── 。
まさか、そんな事が。
バクバクと、心臓が速く波打っている。

彼女も、此処に…?


斎藤「…それは ─── 」


名前の事ですか、と尋ねようとした時であった。


沖田「 ─── 珍しく土方さんのはしゃぐ声が聞こえたと思ったら、一君じゃない」

斎藤「っ!総司…」

原田「懐かしい顔がいるじゃねえか!」

永倉「おお!斎藤!!」

藤堂「一君!?おおーっ、久しぶりだなぁ!」


沖田を初め、原田と永倉と藤堂が続々と姿を現した。
斎藤が試衛館を離れて三ヶ月程しか経っていないが、彼等の顔は斎藤にとって懐かしく感じられた。
四人も嬉しそうに顔を綻ばせており、懐かしの友と話をしようと部屋へ入ってくる。


斎藤「…暫くだったな」

永倉「全くだぜ!」

沖田「ねえ一君。久しぶりに会ったんだし、手合わせしない?」

原田「総司の奴、お前が試衛館に来なくなって寂しがってたんだぜ?」


彼等は試衛館にいた頃と何も変わっていない。
それに対して安心感を覚えた斎藤は、小さな笑みを浮かべて頷いた。


斎藤「…よかろう」

土方「程々にしておけよ」

沖田「分かってますよ」


さらりと忠告する土方。
というのも、沖田と斎藤が手合わせをするとなるとかなり白熱した試合になるからである。
しかし土方も、沖田達が斎藤との再会を喜んでいる事を分かっているようで、止める気は無いようだ。


土方「…それから新八、原田、平助。お前らこれから市中の見回りをして来い」


そして土方は次に永倉達に指示を出した。
しかし、その指示に首を傾げるのは藤堂である。


藤堂「え?勝手に見回りなんてしてもいいのか?」

土方「今後何処の藩に後ろ盾になってもらうにせよ、手柄を立てておいて損はねえ」

藤堂「あー、そっか!」


成程、と納得したように藤堂は頷き、張り切ったような表情になった。


沖田「不逞浪士が手に余ったら、斬っちゃえばいいんじゃない?」

土方「お前は黙ってろ」


いつもの飄々とした調子で口を出す沖田であったが、土方に咎められて不服そうに口を尖らせている。
そんな様子も変わらぬと、斎藤は再び小さな笑みを浮かべていた。


永倉「んじゃ、ちゃちゃっと見回ってくるか!」

原田「おう」


張り切っているのは永倉や原田も同じようで、生き生きとした様子で立ち上がり、早速部屋を出ていく。


沖田「じゃ、僕らも行こうか。こっちに来てからは、いつもこの屋敷の隣の壬生寺っていうお寺の境内で稽古をしてるんだ」

斎藤「成程」


そういえばこの屋敷へ向かう途中に寺があった、と斎藤は思い起こす。
すると、「あっ」と何かを思い出したように沖田が声を上げた。


沖田「僕、木刀の準備をしてくるからさ。一君は先に行っててくれる?」

斎藤「ああ、分かった」

沖田「それでね、壬生寺に行く前に此処の裏庭に寄ってほしいんだ。この部屋とは反対の方角にあるよ」

斎藤「裏庭…?」


何故裏庭に、と首を傾げる斎藤。
しかし沖田はその理由を言わず、笑顔を浮かべるだけであった。


沖田「うん。きっと良いものが見れるから」


という、含みのある言葉を残して…。

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