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沖田「 ──── 名前」
昼時。
一人で皆の昼飯のおにぎりをせっせと作っている名前に、沖田は声を掛けた。
「あ、総ちゃん!」と振り返った名前は、いつも通りの笑顔であった。
名前「ごめんね、もう少しだけ待ってね。もうすぐ出来るから」
沖田「…ねえ名前。本当に良いの?」
唐突な問いかけだった。
しかし彼が一体何の話をしているのかを察した名前は、ピタリとおにぎりを握る手を止めた。
彼女の瞳が、静かに伏せられる。
名前「…うん」
沖田「…嘘吐き」
名前「嘘じゃないよ。私はこれでいいの」
沖田「それ、本気で言ってるの?」
名前「本気だよ」
沖田「…名前。ちゃんと僕を見て」
沖田はガシッと小さな彼女の肩を掴み、自分の方を向かせる。
彼女は一瞬驚いたような表情になったが、すぐにいつものように微笑みを浮かべた。
…しかしその微笑みは、儚い。
名前「…本当だよ。これでいいと思ってる。兄様から聞いた話だと凄く良い人みたいだし、家族関係も問題無さそうだって土方さんも言ってた。私が鈴乃屋に嫁げば兄様の夢も叶うし…一石二鳥だよ」
沖田「何が一石二鳥なの。そこに君の喜びの気持ちが挙がらない限り、僕は認めない」
沖田の言葉に、名前は困惑したような表情を浮かべた。
名前「認めないって…そんな事言われても困るよ。断る訳にもいかないし…」
沖田「君が言えないんだったら僕が近藤さんに言ってあげる、名前は嫁ぎたくないみたいだって」
名前「総ちゃん、」
沖田「ねえ、なんで本当の気持ちを隠すのさ?いつもは嘘なんか吐けなくて、感情が全部顔に出るくせに。どうしてこんな時だけ本音を隠すの?君は僕の親友だよ、だからもし君が不幸になったら僕は絶対許さない。望まない結婚なんて、君はする必要ない」
それは、名前を大事に思うが故の沖田の言葉であった。
名前の瞳が大きく揺れる。
沖田「…僕、行ってくるから」
名前「っ!ねえ、待って!お願い、やめて!」
炊事場から出て行こうとする沖田の腕を、名前は慌てて掴んだ。
彼がそのまま近藤の所へ行ってしまわぬよう、ぎゅっとしがみついている。
名前「お願い。私なら大丈夫だから。女である以上、いつかこんな日が来るだろうとは思ってたし…だからお願い、やめて総ちゃん」
沖田「…どうして…」
沖田には、名前の気持ちが理解出来なかった。
彼女が自分の気持ちを押さえ込んでいるのは明白なのに。
好いた者同士で結婚出来るほど、今の時代は甘くない。
家同士の政略結婚や見合い婚が多い時代だ。
だが見合い婚であれば、まだ彼女の意思は尊重されるはず。
それなのに、彼女が不満一つ漏らさないのが沖田には理解出来なかった。
しかしあまりにも必死に彼女が頼んでくるものだから、沖田はそれを飲み込んだ。
沖田「……分かった。言わないよ」
名前「…うん。ありがとう」
遂に沖田が折れると、名前はほっとしたような表情を浮かべた。
沖田「…だけど、納得はいかない。ねえ、本当はどう思ってるの?今更僕に、隠し事なんてしないでよ」
名前「…隠し事なんて、そんな…」
沖田「このままじゃ、一君と離れなきゃいけなくなるんだよ。もしかしたらもう会えなくなるかもしれない。本当にそれでいいの?」
ほんの一瞬。
沖田が斎藤の名を口にした時、名前の顔が苦しげに歪んだ。
ああ、やっぱり彼女は辛いのだと。
本心を押さえ込んでいるのだと沖田は確信する。
しかし、それでも。
彼女が本音を口にすることは無かった。
名前「…兄様が、凄く喜んでくれてるの。兄様の幸せは、私の幸せだから、」
沖田「……」
名前「それにもし断りでもすれば試衛館の評判も落ちちゃう。っていうかそもそも、断る理由なんて何も無いし…。私みたいな女に、こんなに良い見合い話なんて然う然うないよ」
沖田「…嘘吐き。もう知らない」
名前「っ、総ちゃん!?」
フ、と沖田は名前から離れると、そのまま炊事場を去っていく。
口には出さないが、沖田は寂しかったのだ。
いつもなら自分に何でも打ち明けてくれていた名前が、本心を言ってくれない。
このままだと斎藤どころか、皆とも会えなくなるかもしれないのに…。
沖田には、もう既に彼女が遠くへ行ってしまったような気がしたのだ。
もしかしたら相手が物凄く良い人で、彼女をめいいっぱい愛してくれるのかもしれない。
だけどその為に、名前は斎藤への想いを捨てなければならない。
それが、彼女にとって幸せだと言えるのか?
悲しくて寂しくて、名前が苦しんでいる事が辛くて。
沖田は道場へ戻ると、まるで何かに八つ当たりするかのように無我夢中で木刀を振るのだった……。
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