銀桜録 試衛館篇 | ナノ


1

──── 文久二年 四月。

ある日の朝、名前は近藤と土方に呼び出された。

名前が近藤の部屋に入ると、いつも通りの様子の土方と、何やら嬉しそうな顔をしている近藤がいた。
近藤が嬉しそうにしているのは名前にとっても嬉しい事だが、一体何事だろうかと首を傾げる。


名前「あの…兄様。お話って…?」

近藤「ああ、実はな ───」


近藤はえびす顔で、意気揚々とその内容を話し出す。


名前「 ─── え……?」


*****


藤堂「 ─── なぁ。昨日から彼奴、なんかおかしくねえ?」


それは、稽古の最中の事。
何度か手合わせをしたため休憩に入った藤堂と原田と永倉。

すると、藤堂がそんな事を言い出した。
彼の視線の先には、庭で桜草を摘んでいる名前の姿。


永倉「ん?そうだったか?」

藤堂「昨日からさ、飯の時とかすっげぇ上の空だったっつーか…やけにぼーっとしてたんだよ」

原田「ああ、俺もそう思った」


藤堂の言う通り、昨日から名前はぼんやりとしている事が多かった。

今朝の朝餉の時も味噌汁の入ったお椀を長いこと見つめていた。
隣に座っていた藤堂に腕を突っつかれると、我に返ったように食事を再開したのだが……。

それに、名前が何やら思い詰めた様子で茶碗を洗っていたのを原田が目撃している。
珍しく彼女は溜息を吐いていた。
それを見かけた原田は、彼女に声を掛けたのだが……。


原田「…彼奴、溜息吐きながら茶碗洗っててな。その時の表情がやけに暗くてよ。しかし声掛けたらすぐにいつも通りの顔に戻ってな。何かあったのかって聞いても、何もねえの一点張りでよ」

永倉「名前が溜息?そりゃ、只事じゃねえな…」

藤堂「ああ。絶対おかしいって」

沖田「名前がどうかしたの?」


三人で名前の様子について話し込んでいると、一試合終えたらしい沖田と斎藤がやって来た。
どうやら三人の話し声が沖田の耳に入っていたらしい。


藤堂「昨日から彼奴、元気ねえなって話」

原田「総司、お前何か聞いてねえか」


その言葉に沖田は庭にいる名前に視線を向ける。

実を言うと、沖田も名前の異変には気付いていた。
だが、時折思い詰めたような表情をするだけで家事や畑仕事、稽古はいつも通りにこなしている。
誰しも何かしらの悩みはあるだろうと思い、沖田は彼女の様子を陰から窺っている最中なのであった。


沖田「…僕も何も聞いてないんだよね。何だか変だとは思ってたけど」

藤堂「総司も何も聞いてねえか…。一君、何か知らねえ?」

斎藤「…いや、何も聞いておらぬ」

永倉「斎藤もか…」


全員の視線が、庭にいる名前の背中へ注がれる。
名前は桜草を摘んでいるが、時折その花をぼんやりと見つめていて…。
やはり、おかしい。


沖田「ちょっと連れてくる」

藤堂「お、おい総司!?」


こういう時に彼女に対して遠慮というものをしないのが沖田である。
十年の付き合いからくる信頼があってこその対応なのだろうが……。

沖田は名前に何やら声を掛けると、宣言通りに彼女を道場の中へと連れて来た。
どうやら無理やり引っ張って来られたようで、当の本人は困惑顔である。


名前「えっと…どうしたの?みんなして…」

沖田「名前、洗いざらい吐いてね」

名前「何を!?目が笑ってないよ総ちゃん!何か怒ってるの!?」

沖田「怒ってないけど、君がとぼけるなら怒るかも」

名前「えっ、やだ怖い」

原田「おい総司、あんまり脅すなって」

沖田「こうでもしなきゃこの子は吐かないよ」


明らかに目の笑っていない笑顔を向ける沖田に、名前は「ひえっ」と小さく悲鳴を上げた。

沖田のこの表情…腹黒い笑顔とでも言うべきか。


名前「あ、あの…本当に何の話…?」

沖田「僕がさっき言ったこと忘れたの?怒るよ?」

名前「ひぇっ!ごめんってば怒らないで!だけど本当にわかんないんだって!」


どうやらしらばっくれている訳ではなく、本当に何のことだか分かっていない様子だった。
自分が溜息を吐いていることに気付いていないのだろうか……。
どうやら彼女は、自分の感情には鈍いらしい。

困ったような表情を浮かべる名前を見て、沖田達は顔を見合わせる。
やはりきちんと聞くべきだと判断したのか、口を開いたのは原田だった。


原田「…昨日から、お前の様子が気になっててな」

名前「えっ、私…?」

原田「やけにぼんやりしてるし、溜息も吐いてるじゃねえか」

名前「っ!」


漸く自分が答えねばならぬ事に気付いたらしく、名前はハッとしたように原田を見つめた。


原田「…お前は昨日、何もねえと言ったが…本当に何もねえのか?」

名前「……」


名前の瞳が揺れる。
彼女は、嘘をつくのが酷く下手だ。
恐らくもう一押しだろう。


原田「…話しちゃくれねえか、名前」

名前「……」

原田「どんなことだって構わねえよ。相談なら幾らでも乗る。俺達に出来ることなら何だってしてやるよ。お前の元気がねえとな、俺達は心配で仕方ねえんだ。可愛い妹にはな、いつも笑っててほしいんだよ」


原田は、この手の説得が上手い。
原田も名前と同じく嘘やお世辞が下手である。
だからこそ、彼の言葉は本心から出たものなのだ。
こういう時の原田の言葉は優しく力強くて、相手の心に訴えかけるものがあるのである。

原田の大きな手が名前の頬に伸び、俯きかけていた彼女の顔を優しく撫でる。


原田「…な?名前。何があったか教えてくれねえか」


硝子玉のように丸い瞳が伏せられる。
そして、彼女は静かに頷いたのだった。


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