銀桜録 試衛館篇 | ナノ


1

──── 文久二年 三月。

それは、ある日のこと。
今日は近藤と土方、そして沖田が出稽古に行っており、いつもより試衛館は人が少ない。
だが近藤達が留守にしていようがやる事はただ一つ、ひたすら木刀を振るうだけだ。

…しかし、今日は少し違った。


永倉「っあー、クソ!酒が飲みてえ!!」


原田と打ち合いを終えた永倉は、木刀を置くなり声を荒らげた。
ちょうど斎藤と藤堂も打ち合いを終えたらしく、視線が永倉に集まる。
永倉の言葉に、原田は苦笑いを零した。


原田「そんなに飲みてえなら買ってくりゃいいじゃねえか」

永倉「おいおい、わかってねえな左之!酒だけじゃねえ、たまには酌してくれる女が欲しいんだよ!」

原田「あー…まあそれもそうだな…」

永倉「だろ!?」


永倉は鼻息を荒くして、酒と綺麗な女性を一緒に楽しみたいのだと語り始める。
すると、それを聞いていた藤堂も話に加わった。


藤堂「酌?女に酌してほしいなら名前にしてもらえばいいじゃん」

永倉「ったく、わかってねえな平助!確かに名前も別嬪だがよ、彼奴に酌してもらうのと花街の姉ちゃんにしてもらうのとじゃ違ぇんだよ!」

藤堂「何が違ぇんだ?女に変わりはねえじゃん」

永倉「いやそれはそうなんだけどよ、なんつーか…っあー、めんどくせぇな」


再び声を荒らげた永倉だったが、すぐに何かを思い付いたように「よし!!」と声を上げた。


永倉「百聞は一見にしかずだ、平助!今から花街に行くぞ!!」

藤堂「は!?何でオレ!?」

永倉「その様子じゃお前、女を知らねえんだろ?良い機会じゃねえか、男なら花街くらいは行っておくべきだ!女の良さを知らずして一人前の男にはなれねえよ!なぁ、左之!?」

原田「ん?あー、まあ確かにな。知ってて損はねえだろうよ」

藤堂「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれって!オレは別にいらねえよ!」


永倉が酒を飲みたいという話から、何故か自分に話が移って藤堂は大慌てである。
実際、藤堂が女を知らないというのは図星だからというのもあったが。


永倉「んな遠慮すんなって!別に筆下ろしさせてもらおうってんじゃねえよ、そんな金ねえからな。ただ、着飾った綺麗な姉ちゃんに酌してもらうだけだ!」

藤堂「えええ…」

永倉「花街の姉ちゃんは良いぞ、平助!別嬪さんばかりでよ!よし、そうと決まったら行くぞ!」

藤堂「え、本当に行くのか!?」

永倉「あたりめえだろ!」


そう言うと、永倉は藤堂が逃げないようにガッチリと肩を掴んだ。


永倉「左之も行くだろ?」

原田「そうだな…久々に悪くねえかもな」

永倉「そうこなくっちゃな!お前が居れば綺麗な姉ちゃんが部屋に寄ってくるだろうし」

原田「おい、俺は撒き餌差かよ…」


呆れたように言う原田に、ガハハと永倉は豪快な笑い声を上げた。
藤堂はというと、若干緊張したような面持ちをしている。
そして永倉の視線は一人で素振りしていた斎藤へと移った。


永倉「おーい、斎藤!お前もどうだ?」

斎藤「…何がだ?」

永倉「此奴らとよ、花街に行くんだがお前もどうだ?美味い酒が飲めるぞ!」


そう言って永倉は、猪口で酒を飲む仕草をして見せる。

すると斎藤は、一瞬永倉から視線を逸らした。
斎藤のその視線が捉えたのが庭で作業をしている名前だと気付いた者は誰もいない。
そしてそれは本当に一瞬のことで、斎藤はすぐに永倉へ視線を戻す。


斎藤「…いや、俺は遠慮しておく」

永倉「ん?そうか?美味い飯も食えるぜ?」

斎藤「…あんた達だけで行ってくるといい」


そう言うと、斎藤は再び素振りを始めた。


永倉「なんだ、勿体ねえな。…おーい、名前!」

名前「はーい!」


次に永倉が声を掛けたのは名前であった。
庭で何やら畑作業をしていた名前。
永倉に呼ばれて振り返った彼女の顔や手は、あちこちが土で汚れてしまっている。


永倉「今から飲みに行くんだがよ、お前もどうだ?美味い飯が食えるぜ!」

名前「飲みに?何処に行くの?」

永倉「花街だ!」


…その刹那。
ピシッと名前の顔が固まった。
いつも活発で明るい名前の表情が、その瞬間明らかに曇ったのである。

彼女の瞳に浮かぶのは ─── 恐怖。


藤堂「新八っつぁん、花街行くのに名前誘うのってどうなんだよ…」

永倉「ん?悪いか?飯食って酒飲むだけだぜ?」

原田「別に飯だけならいいんじゃねえか?なあ、名前?」


しかし、三人は何やら話していたため名前の様子には気付いていないようであった。
加えて、彼女の表情が曇ったのはほんの一瞬だったのである。


名前「…あ、ごめん!私はちょっと…やる事があって。皆で行ってきなよ」

永倉「ん、そうか?なんだ残念だな。よーし、そんじゃ行くか!!」

藤堂「えっ、今から行くのか!?まだ昼間…!」

永倉「ま、たまには昼から酒飲むのもいいじゃねえか!」


そう言って永倉は半ば平助を引きずりながら、軽い足取りで原田と共に道場から去っていく。

その背中を見送った名前は、畑作業を再開し始めた。
せっせと穴を掘っては種を埋め、土をかけている。
そんな彼女の様子を、切れ長の蒼が静かに見つめていた……。


*****


名前「 ─── ふう……」


一通り作業を終えた名前は息を吐き、曲げっぱなしだった腰を伸ばすため、天に向かって大きく伸びをする。
のらぼう菜の種を撒いていたのだ。

今日は畑作業日和の天気で、空は雲一つなく冴え渡っていた。
さて次は桜草に水をやらなければ、と手に付いた土を払っていた時である。


斎藤「…名前」

名前「…あれっ、一君!?てっきり一君も飲みに行ったんだと思ってた!」


どうやら名前は作業に集中していたようで、斎藤が残って素振りをしていた事には気付いていなかったらしい。
振り返った名前は斎藤の姿を目にして、目を瞬かせていた。
斎藤は名前の言葉に小さく頷くと、彼女から視線を逸らす。


斎藤「…その、…」

名前「…?」

斎藤「…茶でも、飲まぬか」


一瞬ポカンと口を開けた名前だったが、斎藤の言葉にすぐに表情を輝かせた。


名前「えっ、飲む飲む!飲みたい!一君とお茶できるなんて嬉しいよ!ちょっとだけ待ってて、お茶入れてくるね!」


ぴょんぴょんと飛び跳ねながら大喜びする名前。
斎藤からこのように誘ってくれる事は、今までに無かったからであろう。

彼女があまりにも率直に喜びを表現するものだから、斎藤は若干ではあるがほんのりと顔を赤らめていた。
幸いにも、名前がその事に気付くことはなかったが。


斎藤「…いや、俺が入れてこよう。あんたは土を落としてくるといい、顔にも付いてしまっている」

名前「えっ!?うわっ、恥ずかしい…。じゃあ、そうさせてもらおうかな」

斎藤「ああ」


斎藤の指摘に名前は慌てたように顔を隠すと、ぱたぱたと井戸の方へと走って行く。
そんな小さな彼女の姿を、斎藤は少しの間穏やかな瞳で見つめた後、茶を入れに行くのであった……。
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