銀桜録 試衛館篇 | ナノ


3

名前「 ─── ふう、やっと抜けられた……」


一方その頃名前はというと、大勢の人が行き交う屋台の通りから抜け出していた。

花火の刻限が近付いてきたせいか人出がさらに増えてきたため、その場に突っ立っている訳にもいかなかった。
そこで屋台の裏側へ回り、建物の近くへと避難していたのである。
屋台の正面側にいるよりは、人通りが少ないのだ。
しかし、人混みから抜け出せたのはいいものの、これからどうするべきか。


名前「…皆で花火見ようって言ったし、川の方に行けば会えるかな?」


そもそも土方達が、この人混みの中で名前が居なくなっていることに気付いているかもわからないのだ。
もう一度人混みの中に戻って彼等を探すのはあまり得策ではないだろう。
そうとなれば川に向かい、先に待っている方がいいかもしれない。

そう考え、再び歩き出そうとした時であった。


「お嬢ちゃん、一人かい?」

名前「わっ……!?」


突然ぐいっと左手首を掴まれる。
ハッとして振り返れば、男二人がニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべて名前を見下ろしていた。
嫌な予感が名前の頭を過ぎる。


「一人なら俺たちに付き合っちゃくれねえか」

「酌をしてくれる相手が居なくてな、寂しかったんだよ」

名前「…あっ…あの、私…人を、探してて…それで、急いでいるのでっ…」


掴まれた腕を何とか振りほどこうとするが、びくともしない。
次第に名前の中には焦りが生まれていく。
上手く口が回らず、自分でも何を話しているのかわからなくなってきていた。


「そんなつれねえ事言うなって」

「そうそう。そこの茶屋にでも入ろうぜ、話し相手になってくれよ」

「ついでに夜の相手にも、な」

名前「っ、!!」


ゲラゲラと笑っている男達。
彼等の言葉の意味が分からない程名前は子供ではない。
だが、今すぐにでも逃げ出したいのに、体が上手く動かなかった。
普段ならば、手を掴まれたくらいならば大男でも投げ飛ばせるのに、何故か体が言うことを聞いてくれないのだ。

目の前が、ぐるぐると回るような感覚。
視界がぐにゃりと歪む。
団子の入った包みを持つ右手が小刻みに震え始めた。

怖い。嫌だ。気持ち悪い。怖い。
そんな感情が脳を支配し、名前の心が凍てついていく。

─── その時であった。
名前の肩に、温かい手が触れた。
その手は目の前にいる男達の手ではない。
そしてそれは、二年前にも一度味わっている感覚であった。


斎藤「…この者は、俺の連れなのだが。彼女に何か用だろうか」


名前を自身の背中に隠すように、間に割って入る斎藤。
颯爽と現れた斎藤に驚き、名前は目を見開く。
しかし男達はというと、突然割り込んできた斎藤を怪訝そうに睨みつけた。


「ああ?何だてめぇは」

「俺達の邪魔すんじゃねえよ。この娘は俺達のだぜ」

名前「っ!!嫌っ…!!」


ありもしない嘘をつき、ぐいっと名前の腕を無理やり引っ張る男。
引っ張られた名前は、つんのめってしまう。

しかしそんな男の腕を、ガシッと斎藤が掴んだ。


斎藤「触るな」


それは普段名前に向けているものとは全く異なる、鋭く冷たい目。
その視線は明らかに二、三人は射殺せそうな程の殺気を放っている。
恐ろしい程の殺気を直に浴びた男達は、「ひっ!」と情けない悲鳴を上げた。

しかし斎藤はそれだけでは済まさなかった。
男の腕を掴みあげている斎藤の手に力が込められ、ギチギチと骨が軋むような音が男の腕から聞こえてきた。


「いててててっ!!!」

「くそっ、覚えてやがれ!!」


斎藤には敵わないと判断したのだろう。
男達は情けない捨て台詞を残し、慌てたように逃げて行ってしまったのである。
暫くの間、名前は呆然としてその場に立ち尽くしていた。


斎藤「…怪我は無いか?」


振り返った斎藤と目が合った瞬間、ぷつんと緊張の糸が途切れた。
上手く体に力が入らず、ふらりとよろければ、トンッと肩に支えが入る。
倒れそうになった名前を、斎藤が支えてくれたらしい。

一方斎藤はというと、名前の顔を見て一瞬驚いていた。
普段の名前から想像もつかぬほど彼女の表情は怯えており、顔面蒼白だったのである。
加えて、斎藤の言葉などまるで耳に入っていないようで、放心状態だ。


斎藤「…顔色が悪い。何処か休める場所へ移るぞ」


そう言って、軽く名前の手を引こうとする斎藤であったが。
その瞬間、ハッとしたように名前は我に返った。


名前「…っ、ご、ごめん!私なら大丈夫だから!」

斎藤「…しかし、」

名前「大丈夫!本当にもう平気なの。心配かけてごめんね」


そう言われて斎藤はもう一度名前の顔を見る。
確かにその顔色は元通りになってきているようだった。


斎藤「…そうか」

名前「うん、もう大丈夫!それよりもごめんね、私を探して来てくれたの?」


斎藤は何も言わず、名前の問いに黙って頷いた。


名前「本当にごめん、迷惑かけちゃって。落し物を拾ってたら置いて行かれちゃったの」

斎藤「…落し物?」

名前「うん。あ、ちゃんと届けたから大丈夫だよ」

斎藤「…そうか」

名前「…?私、何かおかしなこと言った?」

斎藤「…いや、そのような事はない」


何だか斎藤が小さく笑っているように見えた名前。
それを尋ねるが、気の所為だったのか斎藤はいつも通りの表情だった。

しかし実際、斎藤は笑いを堪えきれてなかったのである。
沖田の予想がピタリと当っていた事に笑っていたのだ。


名前「…あ!そういえば、皆は?」

斎藤「…すまない、俺一人で来てしまった故…だが恐らくあんたの事を探しているだろう」

名前「そっか。迷惑かけちゃったなぁ…」

斎藤「…この人混みの中、土方さん達を探すのは得策ではない。川の方へ先回りするべきだろう」

名前「あ、やっぱりそうだよね。よかった」


やはり考える事は同じなようだ。
ならば一刻も早く川へ向かうべきだろう。

行こう、と斎藤を促す名前であったが。
パシッと名前の左手を、斎藤が掴んだ。


名前「…どうしたの?」

斎藤「…いや…その…」


きょとんとして斎藤を見る名前。
何か言いたい事があるような表情だが、何故か口篭っている。


名前「…一君?」

斎藤「…っ、此処は人通りが多い。またあんたが迷子になっては困る、別の道を通るぞ」

名前「え!?ちょっと、一君!?」


ぐいっと名前の手を引っ張って足早に歩いて行く斎藤。
何だか誤魔化されたような気もするが、名前は慌てて足を動かすのであった……。
<< >>

目次
戻る
top
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -