銀桜録 試衛館篇 | ナノ


3

名前「…私ね、桜が大好きなんだ」


ぽつりと呟く名前。
桜を心の底から愛しているのは、彼女を見ていればよく伝わってくる。


名前「 ─── "桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける"」

斎藤「…紀貫之、だったか」

名前「うん、そうだよ」


─── 桜散る木の下を吹き過ぎる風は寒くはなくて、空には見たこともない桜の雪が、しきりに降っている。


名前「雪と桜って凄く似てると思うの。どちらも美しくて、それで…すぐに散る。儚く消えてしまう」

斎藤「……」

名前「長くは存在できないからこその美しさっていうか…限りのある美しさみたいなものって、私は結構好きなんだよね」


こんな事言ったらきっと総ちゃんに笑われるかも、と付け加えて名前は笑った。


名前「桜に限らず花を詠んだ歌って、儚いものが多いじゃない?そういうのが凄く好きでさ。物覚えはそんなに良い方じゃないんだけど、花を詠んだ歌は片っ端から覚えちゃって」


優しい焦茶が斎藤を捉える。

斎藤は普段、自分の事をあまり語らない。
聞かれぬ限り、己の事を語ることはない。
そんな斎藤を、名前の優しい瞳が少しずつ解いていく。


斎藤「 ─── "冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ"」


─── 冬なのに空から花が降ってくるのは、雲の向こうはもう春なのだろうか。


名前「あっ、清原深養父だよね。それ、凄く綺麗な歌だよね」

斎藤「…ああ。これは冬の歌だが…」


春はとっくに訪れているのに斎藤がこの歌を挙げたことには理由があった。
清原深養父の歌は、花咲く春を待望する歌。
冬の中に息づく微かな春の胎動を詠んだ歌だ。

そして、斎藤の隣に立つ少女。
斎藤は彼女を、春の嵐だと思う。
一陣の風と共に闇を吹き飛ばす明るさ。
彼女の明るさは、暗く寒い冬をも照らし、穏やかな暖かさを与える。

雪と桜と、名前。
斎藤には清原深養父の歌が、銀世界をも照らすであろう名前を詠んだように思えてならないのだ。


斎藤「…俺も好きだ。雪も、桜も」


天から舞う薄紅色の雪を、斎藤は見上げた。
蒼い瞳は、二年前に名前に向けられたもののように、酷く優しいものだった。
彼のその表情を見て、トクンと名前の心臓が高鳴る。


名前「…じゃあ、同じだね。嬉しい」


その言葉に呼応するように、斎藤の瞳が名前を映す。
切れ長の蒼は、優しく柔らかに細められた。


斎藤「…そうだな」


なんて幸せなのだろう、と名前は思う。
恋い慕う人と、好きな物が同じことがこんなに嬉しいだなんて。
彼に出会わなければ、この気持ちを知らずに生きていたかもしれないのだ。
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