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名前「そういえば、斎藤さんが此処に通うようになってから五日くらい経ちましたよね?どうですか、少しは此処に慣れました?」
斎藤「…あ、ああ。そうだな…」
名前の言葉に、俺はゆっくりと頷く。
斎藤「…此処は、酷く居心地が良い」
右差しの俺に怪訝な目を向けてこなかったのは、名前も同じであった。
不審な顔一つせず、毎日俺に声を掛けてくれる。
まるで太陽のように明るい笑顔を、毎日此方に向けてくれるのだ。
名前「…そっか、よかったぁ…」
俺の言葉に、名前はほっとしたように息を吐いた。
名前「総ちゃんとかにいじめられていないかって、心配してたんですよ」
斎藤「…沖田には、いつも手合わせをしてもらっている」
"総ちゃん" とは誰の事かと一瞬思考を巡らせば、すぐに沖田の顔が浮かんだ。
試衛館にいる皆が沖田の事を "総司" と呼んでいた事を思い出したのだ。
名前「あ、そうですよね!よく総ちゃんと稽古してますもんね。総ちゃん、強いでしょう?」
斎藤「…ああ、そうだな。沖田は、今まで手合わせをした誰よりも強い」
名前「それを聞いたらきっと総ちゃんも喜びますよ!やっぱり総ちゃんは凄いなぁ…」
まだ試衛館に来て五日だが、沖田の強さをひしひしと体で感じている。
他の者達も優れた剣術家ばかりであったが、その中でも沖田は突出していた。
沖田の強さを語れば、名前はまるで自分の事のように嬉しそうな笑みを浮かべていた。
沖田と名前は、共に過ごした時間が長いのだろう。
二人が強い絆で結ばれているのは、此処に来たばかりの俺であっても、言われずともわかることであった。
名前「……あ、そうだ!斎藤さん!」
斎藤「何だ?」
名前「斎藤さんの好物ってなんですか?」
斎藤「好物…?」
突然話が変わり、俺は目を瞬かせる。
斎藤「好物、は…高野豆腐だろうか」
名前「高野豆腐!いいですね、美味しいですよね!」
今までの話と何の関係があるのか疑問だが、俺の答えに名前は何度も頷いている。
だが俺の疑問は、すぐに解決された。
名前「あの、もしよければ今日は此処で夜ご飯を食べていきませんか?これから買い出しに行くので高野豆腐も買ってきますよ」
成程、突然好物を聞かれた理由がわかった。
俺は試衛館には外から通っており、食事はいつも一人で済ませている。
だが彼女は、今日は一緒に食べないかと誘ってくれているのだ。
しかし、試衛館の経営が厳しい事は俺も承知している。
俺の分の食事など、出す余裕があるのだろうか。
斎藤「…し、しかし…」
名前「大丈夫ですよ!斎藤さんが夕餉に来てくれたらきっと皆喜びます!左之さんや新八さんなんて、"酒を酌み交わした事のねえ奴に背中は預けられねえ" とかいつも言ってますし!…あ、お酒はちょっとお金が無いので出せないですけど。でも親睦も兼ねてってことで!」
斎藤「……」
名前「それにほら!この小松菜を今日食べようと思ってて。採れたてなのできっと美味しいですよ!…どうですかね?」
今日は特にこれといった予定は無い。
俺の分の食事を用意してもらうというのは些か申し訳ない気もするが、ここで彼女の誘いを断るのも気が引けた。
斎藤「…それならば…今日は、頂いても良いだろうか」
名前「本当ですか!?やったぁ!私、頑張ってご飯作りますね!」
俺が頷くと、名前は嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
斎藤「…ああ。楽しみにしている」
……その時に彼女が見せてくれた笑みは花のようで、やはり美しい。
すると、「斎藤君」という声が後ろから聞こえてきた。
斎藤「……沖田か」
沖田「おはよう。今日も僕と手合わせしてよ」
斎藤「承知した」
声を掛けてきたのは沖田であった。
沖田は良い練習相手になるため、断る理由など無い。
この五日間で最も手合わせをしているのは沖田であった。
すると、名前は沖田の元へと駆け寄っていく。
名前「総ちゃん総ちゃん!斎藤さんがね、今日は一緒に夕餉を食べてくれるって!」
沖田「へえ、そうなんだ。嬉しいな、皆もきっと喜ぶよ」
名前「ね!腕が鳴るなぁ!」
やはりこの二人は、お互いに信頼し合っているのだろう。
信頼とは目に見えぬものだと思っていたが、この二人の間には不思議とそれが見えるのだ。
楽しげに話す名前と沖田を、俺は穏やかな気持ちで見つめていたのだった……。
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