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松「 ─── 本当に行くの…?」
名前「はい。今まで本当にお世話になりました」
文久三年 二月七日。
名前は明日、近藤達と共に浪士組の一員として京へ発つ。
いつ江戸へ帰って来られるかも分からないため、名前はお松の元を訪れていた。
世話になった礼を言うためだ。
袴を着て髪を結い、腰に大小を差して訪れた名前を見て、お松は心底驚いたようであった。
名前「兄様達の役に立ちたいんです。だから、行ってきます」
松「そう…」
別れを告げれば、お松は悲しげな表情をした。
娘のように可愛がっていた名前と突然別れることになったのだ、無理も無い。
お松は数本の団子を包むと餞別だと言って名前に手渡し、そのまま彼女を抱き締めた。
松「寂しくなってしまうけど…止めはしないわ、貴方が選んだ道ですもの」
名前「お松さん…ありがとうございます」
松「だけど、一つだけ約束して。絶対に死なないでちょうだい。一月後でも一年後でも十年後でも構わないから、貴方の元気な姿をまた見せに来てちょうだい」
名前「はい、勿論です。いつか必ず会いに来ます」
お松の抱擁は温かく、まるで母の温もりのよう。
母親の顔を覚えていない名前にとって、お松は本当の母のような存在であった。
しっかりと抱擁を交わし、名前はもう一度別れと礼を告げてその場を立ち去る。
試衛館へ戻る途中、ちらちらと雪が降ってきた。
静かに儚く降る結晶は、まるで桜の花びらのようで。
" 冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ "
いつだったか、斎藤が好きだと言っていた歌が思い浮かんだ。
彼に出会った雪降るあの日から、もう四年の月日が経つ。
灰色の雲の合間から僅かに覗く、穏やかな青空。
雲の向こうはもう春なのだろうか。
その青はやはり、斎藤の姿を思い出させる。
彼は今、どうしているのだろう。
もう二度と会えないであろうことは分かっている。
だから、この同じ世界で彼が生きてさえいてくれればそれでよかった。
名前「…行ってくるね、一君」
銀の花が舞う空を仰ぎ、名前は前へ進む。
春が、一歩一歩と近づいていた。
銀桜録 試衛館篇 【完】
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