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──── 文久二年 七月。
梅雨が明けて、本格的に暑くなり始めた。
梅雨の時期特有の肌にまとわりつくような暑さではなく、カラッとした気持ちのいい暑さである。
名前はそんな中、今日も商売をするため町へと向かう予定だ。
玄関で名前が草履を履いていると、此方に近付いてくる足音。
斎藤「…名前」
名前「あっ、一君!」
やって来たのはちょうど通りかかったらしい、斎藤であった。
この暑さの中、相変わらず黒の着流しと白い襟巻きをしっかりと身につけている。
名前「一君、この時期でもその格好だけど暑くないの…?」
斎藤「ああ」
名前「そうなんだ…すごいね、私は汗っかきだから駄目だ」
斎藤は、稽古で手合わせをしている時以外はいつも涼しい顔をしている。
暑がりな名前からすれば、そのような芸当は到底できない。
商売用の籠を背負うのもこの時期は大変で、汗だくになってしまうのだ。
草履を履き終えた名前は、花の入った大きな籠を背負うとぴょんっと立ち上がる。
斎藤「…商売か?」
名前「うん、そう!お花売ってくる」
斎藤「そうか。気を付けて行け」
名前「うん、ありがとう!行ってきまーす!」
見送ってくれた斎藤にひらひらと手を振り、名前はいつも通りに元気良く道場を飛び出したのであった……。
******
「名前ちゃん、桔梗を五本くれないかい?」
名前「はーい!いつもありがとうございます!」
「名前ちゃん、百合を三本!白がいいわ」
名前「はーい!どうもありがとうございます、またよろしくお願いします!」
町を歩けば、花を買うために名前に声を掛けてくる人々はかなり多い。
名前の育てる花は美しく丈夫で、尚且つ値段が安いと評判なのだ。
"お家にぽっと彩りを" が名前の売り文句である。
「名前ちゃん、精が出るねえ!熱中症にならないようにね」
名前「はーい!ありがとうございます!」
「名前ちゃんが来てくれると町が明るくなってる気がするよ」
名前「わあ嬉しい!私とお花でもっと明るさをお届けしますよー!」
買い物だけではなく、世間話をしに名前に声を掛けてくる者も多い。
誰に対しても明るく優しく誠実に対応をする名前は、町でも様々な人から娘のように可愛がられているのである。
そして一刻ほど町を歩いていれば、籠の中は空っぽになってしまった。
今日も見事に完売である。
さて、暑さも強くなってきたことだし早く帰ろうか。
…しかし、踵を返して道場へ戻ろうとした時であった。
─── ポツ…ポツ…
名前「……ん?」
鼻先に当たった冷たい雫。
ふと上を見上げれば先程までの澄み切った青空は消え、いつの間にか灰色の雲が一面を覆っていた。
これは小雨が降るかと思いきや、
──── ザァーーーーッ
名前「あわわわっ、降ってきた!」
まるで桶をひっくり返したかのように土砂降りの雨が降ってくる。
夕立である。
しかし、今日は傘など持ってきていない。
終いには雷も鳴り始めており、少し雨宿りをしてから帰った方が良さそうだ。
何処か雨宿りできる場所はないかと、名前が辺りを見回した時であった。
ポン、と後ろから何者かに肩を叩かれる。
名前「 ─── え……?」
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