銀桜録 試衛館篇 | ナノ


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近藤「自分の名前や家族を忘れてしまうくらいの地獄を味わってきたお前は、初めは心を閉ざしていて表情一つ変わらなかったが…日に日に笑顔を見せてくれるようになってなぁ。そして総司という歳の近い友人が出来て、お前はより一層楽しそうに笑うようになった…」


昔を懐かしむような声色。
近藤の瞳は何処か遠くを見ていて、きっと彼の瞳には当時の名前が今でも色鮮やかに蘇るのだろう。


近藤「そしてお前は、俺や周斎先生、そして試衛館の為に懸命に働いてくれた。毎日笑顔で、俺達に尽くしてくれるようになった…。毎日お前の笑顔を見ることが、俺は何よりも楽しみだった」


近藤の視線が、名前へ移る。
その瞳は強かで、それでいて優しい。


近藤「お前が初めて笑顔を見せてくれた時、俺はこの先何があってもお前を守ると誓った。お前が試衛館の為に働いてくれるようになった時、お前を何が何でも幸せにしてやるのだと、俺は誓ったんだ。お前が幸せになれるのなら、お前の笑顔を守ることが出来るのなら、俺は何でもしよう。…だから、名前」


近藤の真っ直ぐで力強い視線が、名前を射抜く。


近藤「お前の本心を教えてくれないか。お前は何を望み、何を我慢しているのか…お前の口から、聞かせてくれ」

名前「…兄様、私は、」

近藤「遠慮する事はない。俺がどうとか、試衛館がどうとか、そんなものは考える必要はない。俺は、お前の本音を知りたいんだ」


近藤のその言葉に、名前はハッとして顔を上げる。
名前の心を何重にも縛り付けていた糸を、近藤が優しい言葉で解いてくれた。
その糸が、再び名前を縛る事は無かった。


名前「…私は…本当は、婚姻をしたくないんです。嫁に行きたくないなど、子供じみた我儘だという事はわかっています。だけど私は…今が一番幸せなんです。皆と一緒にいる事が何よりも幸せなんです。この日常を失うのが何よりも恐ろしいくらい、幸せなんです。私は、皆と離れたくない…」


こんな我儘が通用しない世の中だというのはよく分かっている。
自分が嫁に行けば、近藤も喜んでくれる。
土方が以前に言っていた、近藤の夢の一つが叶うのだ。

だが、今の日常を失うのが怖かった。
家事をして畑仕事をして、商売をして稽古をして、皆と談笑する日々を。
信頼出来る仲間や想い人の傍にいられる日々を。
名前は今、これ以上にないくらい幸せだったのだ。


名前「でも…私の我儘でお見合いを断れば試衛館の評判が落ちます。兄様と父様が懸命に築き上げてきたものが壊れてしまいます。それで…どうしようもないくらい、苦しかったんです」


布団を握りしめる己の手が震える。

なんて我儘な人間なんだろうと思う。
自分の思いは、単なる子供の我儘にすぎないのだ。

…しかし。
ぽん、と力強い近藤の手が名前の肩に乗せられた。


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