壺珊瑚
9/13

気づくとモエは、屋敷の裏門へとやって来ていた。堅く閉ざされた扉が歪んでいるのを見て初めて、頬を涙がつたっていることに気がつく。どうして涙が溢れてくるのか分からない。けれど、涙は止まることなく流れ続ける。
不意に人影を感じて、モエは顔を上げた。

おじさまかねえさま、それともセツだろうか……?

正門と違い、こんなに薄暗く気味の悪い所には屋敷に住む人間以外、普段誰も近寄らない。だが、顔を上げたモエの瞳に映ったのは、見覚えのある青年だった。
青年は、モエがここにいることと涙を流していることに驚いているのだろう、目を丸くさせている。同じように、モエも青年がそこにいることに驚いていた。
青年は、時折屋敷にやって来ては庭の手入れをしていく者だった。今日は庭の手入れをする予定では無かったし、庭に屋敷以外の人間が入ってくるのであれば、サキがあんなにも無防備に微睡ろんでいるはずが無かった。
けれど、モエにはすぐ合点がいった。
この青年は、自分に会いに来たのだと――。

青年が屋敷にやって来る度に、窓越しにそちらを見つめているモエたちを気にしていたことをモエは知っていた。セツと二人、わざと窓越しに立ちながらずっと青年を見つめて遊んでいたこともある。モエたちが見ていない時は素早く作業を終える青年が、窓越しにその姿を見つけると途端にゆっくりと時間をかけて作業をするのがおかしくて仕方が無かった。
数ヶ月前、脚立と高バサミを持って帰ろうとする青年と視線が合ったモエは、青年に向かって艶然と微笑んでみせた。
モエの笑みに、青年はどこか夢見心地な足取りで屋敷を後にした。
モエは涙を拭うと数ヶ月前と同じように、微笑んだ。
瞬間、モエは青年の腕の中に抱きとめられていた。青年の鼓動が、どくんどくんと脈打つのが聴こえる。モエは目を閉じると、その鼓動に耳を澄ませた。規則正しく打たれるその音が心地良かった。
この鼓動が深紅の網を通って身体中をかけめぐり、生命を繋げていく。
手首に、首筋に、浮かんでいる青い、それ。
その中をかけめぐっている深紅の、それ。
どくんどくんと力強く脈打つそれを想像して、モエは身体の奥底から湧きあがって来る何かを感じていた。それは、今までに感じたことの無い衝動。

青年の鼓動が一つ聞こえる度に、頭の中が赤で埋め尽くされていく。

青年の鼓動が一つ聞こえる度に、口の中には唾液が広がっていく。

青年の鼓動が一つ聞こえる度に、湧き上がる感情が抑えられなくなっていく。

青年は、震える手でモエの頬に触れる。伝わる熱と鼓動。恐る恐る、モエの黒髪を撫でると、まるで何かを乞うように跪いた。
モエは、青年に向かってゆっくりと手を伸ばす。すると、青年はその手を取り、甲にくちづけた。
それはまるで女王に忠誠を誓う下僕のようにも見えた。
その様を見下ろしていたモエの口の端に、笑みが浮かぶ。
青年の鼓動はもう聞こえない。それでも、モエは湧きあがって来る感情を抑えることができなかった。
明確な形を持っていなかったその衝動は、いつしか形を持ち始め、そして、モエの頭の中で言葉として実を結んだ。


――食 べ た い。


モエは、夢の世界の住人になってしまったかのような表情を浮かべている青年に向かって、微笑んで見せた。華麗に、そして艶然と――。
 




初めて、その感情を知ったのは。



<了>



花言葉:恋心、きらめき

 

back
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -