健気に可憐な形を保って咲き続ける様も、はらはら風に舞い散る儚げな様も、桜は全てが美しい。改めてそう思う。
月夜に浮かぶ銀の花道を進む足は留まることを知らなかった。

奴良組総本家では、春は例年お花見が開かれる。気楽な響きとは裏腹に、幹部達も出席する大切な行事でもあるのだ。
当然お呼ばれした梅若にひっついて私も来ちゃったんだよね、だって本家の桜の美しさは評判だから。

あわよくば。
そんな花を見ながら梅若と楽しく歓談したり飲み食いしたり…はっきり言おう、いちゃいちゃしたかったのだけど…
あちらさんは大人の付き合いで忙しく、こちらに構う暇など端から無かったのです。
そんな訳で、私は一人寂しく本家の庭をうろついているのだ。

(…それにしても。)

この桜達の美しさには、最早ため息しか出ない。
私の勝手で小さな失望も寂しさも、軽々吹っ飛ばしてくれる。
なんて贅沢なんだろう、こんな絶景が今は私の貸し切りだなんてーー

「……お前、牛鬼の所の奴か?」

ーーことは無かったみたいね。

声は空から降って来た。見上げた太い桜の枝には青年が一人、優雅に腰掛けている。

たなびく白髪、切れ長の鋭い紅の瞳、涼しげにして妖艶な美貌。
着流しに羽織るは畏の代紋…我らが奴良組若頭こと、総大将“ぬらりひょん”の孫。
奴良リクオ様、その人であった。

一応この方と私は面識がある…本当に幾度かお目にかかった程度だが。

「お久しぶりです。若様ともあろう方が、こんな所に居てよろしいので?」
「息抜きだ。こんな桜だ、何も考えずにただぼんやり眺めてえって気にもなるさ」

未成年の癖にキセルを吸う様が良く似合うお方だ。白い煙を吐いた唇が、続いて私への質問を紡ぐ。

「…桜、好きなのか?」
「ええ、勿論です!」

途端に彼は人懐っこい笑みを浮かべた。年相応な如何にも少年らしい、悪戯っぽい表情。

「ならもうちょっと先に進んでみな、良いモンが見られるぞ」

…良いモン?

とっておきの秘密をこっそり教える様なニュアンスに、私は首を傾げる。何だろう?
まぁ時間はたっぷりあるし、せっかくの若様のオススメだ、ここは自分の目で確認して来ようじゃないか。

「ありがとうございます、それでは行って参ります!」

折った腰を正し、私は彼の指差す方へ進んだ。

歩きながら脳裏をよぎるは、さっき若様を見つけた時の景色。まるで桜の樹に宿る精霊みたいだったなぁ…

お互いがお互いを引き立てあっていて本当に美しかった。全く、素晴らしい目の保養だね。
しかし精霊なんて男性には…ていうかヤクザに相応しくない表現だったな。メルヘン過ぎ!

自分でくすくす笑ってる内に。不意に、本当に唐突に、視界が開けたから驚いた。その先に待っていたのは、

「……わ……」

一本の古い桜の大樹だった。

星霜を経た太い幹から伸びる枝は風にそよそよと踊り、釣られてちらちらと舞う花吹雪。
月の銀光に浮かび上がる、この幽玄なる美しさ。

息が出来ない。瞬きを忘れて。思考までもが停止する。

どんな麗句を並べ立てた所で、結局この美しさを表現なんか出来きっこないとさえ思えた。
理性的に繕う言葉を探すひまなど、とても無いだろう。
だってこんなに綺麗なんだ。他事考える余裕なんて要らない、欲しくない。

見つめていたい、ただひたすらに。何も思い煩わず、空っぽな頭で魅入っていたいーー……



どのくらい桜にみとれていたのだろう。

「あやめ…ッ!」

叫ぶ様に呼ばれた自分の名に、ハッと我に帰る。
それより早く、逞しい腕が私を包み込んだ。
背中越しでもわかる。この愛おしい温もりの主は、

「梅、若……」

見上げた顔は月の銀光に照らされ、ぞっとする色香を放っていた。
僅かに眉はしかめられ、微かに息が荒い。

「…っ、あまり、私の眼の届かぬ所に行ってくれるな…」

心臓が跳ねた。
梅若、私を案じてくれたの。探してくれたの。幹部の仕事で忙しいはずなのにーー?

「ごめんなさい。あんまり桜が美しかったから…」

反省と同時に、いや、それを凌ぐ勢いで。溢れて来たのは、求められる喜び。他の誰でもなく、私をーー

満たされて行く。
無我だった身体の中に、確かな私が戻って来る。
桜を見て抱いた感傷とはまた違った、確固たるこの想い。

「確かにこの桜は美しい…が、勝手に庭の奥まで入り込み過ぎるのは良くないと思うが?」

心配されるのって、諭されるのってちょっと嬉しい。
私に言い聞かす低音に少し微笑んでしまった。梅若は先生に向いてると思う。

「大丈夫よ、ここ若様に教えて頂いたんだから。抜け出したみたいで、桜の樹の上に一人でいらしたの」
「…一人で、か。」

何故か強まる腕の力。
その理由がわからない。自分の発言を振り返る、桜と若様の話をしたな。

若様と言えば桜、桜と言えば若様。

そのくらい両者は、我ら奴良組関係者にとってしっくり来る組み合わせだ。
そういえばあの方の使う“鏡花水月”という技、その名に含まれる花の字は桜を意味することもある。

…もしかして。
梅の字を持つ彼にとって、一応恋人である私が桜に見とれていたのは気に入らないことだったのでは。そしてその桜が象徴する少年と一対一で話したりしたから…嫉妬、されている?

だとしたら、そんなことする必要なんか微塵も無いのに。

「大丈夫。私は桜より梅が大好きなんだから。」

遠回しな告白は、届かないならばそれでいい。
だけど更に身近くなる様抱き寄せられたから、伝わったのだと嬉しくなった。


現に咲く花は盛者必衰、須らく滅びて散れど。
私の心の中には確かな根を張り、永久に散らぬ花がある。

それは桜ではなく、梅の花。誇り高く真っ直ぐに凜と咲く、優しく強い梅の花。




公開:2011/04/20



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