就職してから半年間…
ずっとずーっとイライラしていたものの、何とかギリギリのところで我慢していた。
が、たまたまその日は虫の居所がかなり悪かった。

直属の上司にあたる社長の息子(バカ)にお尻を揉まれたので思わず蹴りを入れたらクビになってしまった。

あのしょーもない職場にはウンザリしていたし貯金もそこそこあるのでまぁ、どうにかなるのだけれど。


「あーあ、また就活するの面倒くさいなぁ…」


取り敢えず、なんかもう正社員疲れた!
少しゆっくりしてから適当にアルバイトでも探そう。

今日はロッカーに置いていた僅かな荷物を持ち帰ってきた。
平日なのにまだ明るいうちに外にいるなんて、変な感じ。
天気が良いから最寄り駅からアパートまで普段通らない道を歩いてみようと思う。

頭の中を空っぽにしてふらふら歩いていると何処からかコーヒーの良い香りが漂ってきた。
気になって周囲を見回すとぽつんと佇む小さな喫茶店。

ちょっと入ってみようかな…


―…カランカラン♪


ドアに付いているベルが軽やかな音を鳴らす。
それほど広くないお店の中は小さくクラシックが流れていて、カウンターと丸いテーブルが2つあった。
カウンターには椅子が5つ、2つのテーブルにはそれぞれ椅子が4つ並んでいる。
カウンターの向こうには私より少し年上くらいの若い男性が一人。


「いらっしゃいませ、好きな席へどうぞ」


カチャカチャと食器を片付けながら表情を変えることなく淡々と告げる。
店内には私以外のお客はいない。
折角こんなに雰囲気のある喫茶店に入ったのだからと、カウンター席に座ることにした。
席に置いてあるメニューにザッと目を通す。

あ、プリンがある。


「…お決まりですか?」
「オススメはありますか?」
「………………」


オススメを訊いてみたら何故か無言で見詰められた。
よく見るとこの男性、とても端正な顔立ちをしている。
そんな整った顔であまりにもジッと見られるものだから自分でも分かるくらい徐々に顔に熱が集まってくる。


「……あの…?」
「…キャラメルマキアート」
「えっ?」
「オススメ」
「あっ、じゃあそれをお願いします。あとプリン1つください」
「畏まりました」


男性はくるりと背を向けてテキパキ動いている。
顔に集まった熱を冷ますようにコッソリ深呼吸しながら改めて周りを見回せば、お店の窓はキラキラ木漏れ日が揺れて綺麗だった。

小さく流れるクラシックに、コーヒーの香り…


「素敵なお店だなぁ…」


ポツリと呟いた時、壁に貼られた“アルバイト募集中”の紙が目に留まった。


「お待たせしました」


カチャ…と静かに目の前に置かれたプリンとコーヒーカップ。


「かっ、わいいぃぃ…!」


思わず叫んでしまった。

なんとカップの中には可愛らしい猫がいた。
ラテアートを実際に見たのは初めてで、ついついテンションが上がってしまう。


「すみません、写真撮っても良いですか?」
「どうぞ」


スマホで数枚写真を撮る。

それにしても上手に描いてあるなぁ。
この無表情なイケメンがこんな可愛いものを生み出すだなんて、絶対誰も思わないだろう。


「本当にすごい!!待ち受けにしよ!」
「良かった」
「え?」
「大分疲れているようだったから」


ずっと無表情だと思っていた男性はふ、と一瞬微笑んだ。


「それ、通常より少し甘くしてある」
「あ…ありがとうございます。いただきます」


折角描いてくれたラテアートがちょっと勿体無い気もするけれど、バッチリ写真に収めたので迷いなくカップへ口をつけた。

ふわっと甘くて香ばしい良い香り。
絶妙な甘さの温かな液体が身体に染み渡る。


「はぁ…おいしい…」


ほっと一息つくとはまさにこのこと。
イガイガしていた気持ちが溶けていくような気がした。

こんな素敵空間で働けたら良いのに…なんて気持ちが湧き上がってくるのに時間はかからなかった。


「あの、まだ募集していますか?アルバイト…」


思い立ったら即行動。
壁の貼り紙を指差しながら訊いてみたら、男性は僅かに目を見開いた。


「私、みょうじ なまえといいます。ここで働きたいです!」
「店長の冨岡 義勇だ。宜しく」
「えっ、面接とかするんじゃ…?」
「必要ない。今話した感じで大体分かった」


そんなこんなで、会社をクビになってすぐにアルバイト先が決まった。