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やはり、よく分からない。
グラシアと名乗った目の前にいる女性に心当たりはないのだが、彼女は心底楽しそうに己のことをきせかえ人形にしている。
彼女の服とよくにた、西洋のものだろう。それでもどこか和を思わせる。


「あぁ、よく似合ってますわ。」
『それは、ありがとうございます。』


大きな姿見の前でその姿を確認した。長い髪は綺麗に編み込まれ、頭上で結い上げられている、いつもの半分ほどの長さで揺れているため少し不思議な気持ちになるのだが、相変わらずある炎の色に安堵した。
今まで来ていた着物のようなものではなく、どこか忍を思わせるむだがない様相なのだが、色が白にとういつされている様は名に呼ばれている鴉とは程遠い。


「孫市。」


「名」を、呼ばれた。
グラシアに背を押されて、一歩、前に出る。
部屋の奥から現れたのは彼女をつれてきた白蓮であり、傍らには安房守が彼女を見ていた。緋色の瞳が彼らをとらえ、そのまま膝をついて頭を垂れた。


「あぁ、よく似合っているな。グラシア、いい仕事をした。」
「ありがとうございます。」


この白はおそらく死装束に近い。
勝手にそう位置付けていたのだが、彼の名前に白が入っているのも理由だろうか。黒髪の自分に白はよく映える。


「体は動くか?」
『はい。』
「記憶は?」
『…すいません』
「いや、いい。お前が手元に戻ってきただけ上場だ。」



かけられる質問に言葉を返す。
そのままゆるりと顔を上げれば彼女のめの高さに白蓮が居て、はっきりと視線が交わった。美しい甘栗色の髪がはらりと肩を滑る。


「お前は俺の姉のような者だ、あまり頭を下げるな。」
『…姉?』


己を姉のように慕ってくれる男は…いた。けれどこんなにも丁寧な言葉を使っていなかったような気がする。気がするだけだろうか。
ちらりと彼の背後にいる老人を見ればはっきりと己を見ていて、この目にはしっかりと覚えがある。ぽつりと『昌幸様』と溢せばその目は一瞬の慈愛を孕んで消えた。


「久しいな、覚えていたか。」
『……いや、私』
「あの事は「儂」がお主に命じたこと、こうして無事再会出来たのじゃ問題はなかろう。今の名は安房守。その名は当の昔に葬られた男の名よ。」


そう、己が「見殺し」にした男だ。
けれど、命じられた……ことではない。自分が、「自分たち」が彼を邪魔だと判断したのだ。
そうして、己の手は彼の腹心を撃ち殺した…。はずだ。

違う、と。言葉に出したくともこの現状で自分の記憶が一番曖昧で吐き出せなかった。


「安房守、彼女はお前に任せる。」
「かしこまりました。」
「グラシア、俺を手伝え」
「はい。もちろんですわ。」


何かが違う。吐き気がする。唇を噛み締めてうつむけば、目の前から白蓮の気配がなくなった。それと同時に背後にいたグラシアが己の横を通り、白蓮と供に部屋を出ていった。
僅かに感じた無花果の匂いに、ぞわりと背筋が泡立ったのはこの感情を覚えているからだ。


ゆっくりと顔を上げればしっかりと視線が交わった。じくりと心の奥が悲鳴をあげる。
覚えている。体が、あの日の恐ろしさを。切られだんだんと冷たくなっていった体が少しずつ死に引きずり込もうとしていたのを、それが恐ろしかったのも…

それを、目の前の男はたった一人で感じて逝ったのだ。


『ま、さゆき、さま、あ、あっ私、私…!』


感覚が体を支配する。
ぞわぞわと背筋を這いずり上がってくる。指先から、血の気が引いていくような、体を抱えこんだのは恐怖から。
耳鳴りが、うるさい。

断罪されても仕方がないことを己は、この男にしたのだ。おそらく、それを、彼は知っている。この場で殺されても仕方はない。
そう、思っていたのに、


「よく、生きていた。儂が今お主にかけてやれるのはその言葉だけじゃ。」


思わず顔をあげた。
目の前に膝をつき、幼い頃してくれたように、頭を撫でてくれる手に温度はないのに、ひどく暖かいと思うのは、おそらく心の暖かさを感じているから。
じわりと、恐怖ではなく、別の感情で視界がにじんで、唇を噛み締めた。


『…っあの場所で死ぬ覚悟でしたよ、私は、全部捨てて過去の産物になれればよかったのに……!』


それは、この目の前の男を貶めた罪であり、六実の父である六郎を手にかけた血濡れたものであり、そして今まで仲間に嘘をつき、笑っていたことである。自分が死ねば、すべて墓に、しいては誰にも聞かれることも追求されることもなく、葬り去ることのできたはずのものだった。


「…どうだ、儂と手を組まんか。」
『私が、貴方様と、ですか。』
「お主が……いや、信繁もか……お主らが手にした力は彼岸の物よ。その反動に、おそらくお前はある男への想いを食われとるんじゃろうな。」


想い、とは。
脳裏に掠める硝煙の香りが懐かしくおもう。けれどぼやけて見えなくなって、見えたのは自分がずっとそばで生きてきた兄のようにおもう彼の息子だ。
彼のために、彼を導くために、しいては、彼を守り、彼の願いを叶えるために、私は「鴉」になったのだ。
ならば。


『私が、貴方にできることがあるならば、なんでもします。私が仕えてるのは豊臣じゃない、真田の血です、』


その言葉に、彼はわらった。
嬉しそうではなかった。彼女の根本は変わらないとわかってしまったからこそ、複雑だったのだろう。
そして、変わりすぎてしまったことも理解して。


「お前の体はひどく儂らに近い。それだけは覚えておけ。あまり力に頼りすぎれば、全てを失う。わかったか」
『はい。心得ています。』


これは、密約。




記憶にばらつきがあるのは、おそらく力の影響だと安房守は告げた。
己を保っていたければなるべく使うなとも。

この力は戦いに不可欠なものである。故に、使わないわけにはいかない。ならば温存しろと、彼はいった。
白蓮には、記憶がない振りを突き通し、重臣として仕え、期を待てと。

彼は己をちゃんと使ってくれるらしいとそう思うことができたのは、情報を共有してくれたからだ。白蓮率いる鬼火衆は巌流と同じ死者であり、それぞれに過去を持つ。
その中の一人として、己がたたねばならない。

彼らから見れば、きっと裏切りに近い…むしろそのままだとおもう。


一人きりの部屋。
静かにため息をついて、重心を落とす。
この場所に自分がちゃんとたっているのを確認できるように、ちゃんと今、自分が生きているのを確認するように。

そして…


『お月様、私、貴方がひどくいとおしいの。なぜかしら。』


空にどうどうと輝くその黄金に、想いを馳せる。なぜか、心にその色が混ざり混んで仕方ないのに、思い出せない歯がゆさがある。
きっと、何かがあるのだ。そして、それを恐れているような、待ち望んでいるような。
わからないことが多すぎる。一番は自分のことなのに。


『雑賀孫市…私は、今は、雑賀孫市』


伝承として、記憶している。母から聞いた子守唄。我らの祖先は炎の神に愛されていた。そして偉大な父から憎まれた。
仕方はない、己の炎がうみおとした母を焼き殺し、黄泉の国へと葬りさったのだから。

ならば、己はその再来か。とそう考えて、ふと記憶をたどる。


『白蓮…様…はなぜ、私を迦具土と…』


どこで聞かれているとは限らない。こぼしてしまった言葉に、たどたどしく敬称をつけたが間に合っただろうか。
姉のような存在と言っていた。
棄丸は…確かに覚えている。己は母が死んでから棄丸と共に過ごしていた。
そして、棄丸も死んだと……聞かされていたのだ。
ひとりぼっちになった矢先に信繁にあい、そうして真田に迎えられた。

自分の片羽を……得ていた。


『頭が、いたいわ。』


掘り起こせば掘り起こすほど空白が目立つのだ。
まるで、くりぬかれたように。

上田ですごした日々も九度山での生活も、確かに覚えているのに、まるで焼かれたように記憶に空白がある。そして硝煙の香りをその記憶がまとっていた。

20190818

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