41

輪の回転を緩める作業は市にとって苦痛でしかなかった。頭痛はするし耳鳴りが酷い。しかし終わってみれば酷く音はきれいに聞こえ体も幾分楽になったように思う。

ひとつ六実に礼を言ったが彼女は「私のせいですから」と悲しそうに表情を崩したのだ。


「倒れたんだってな。」
『やだ、掘り返すの?意地悪ね』


久方ぶりに、こうして二人で話したと。
一人で真田丸の中。鉄砲隊の戦場所に腰かけていれば彼が気がつかないわけがない。
護衛をつけてくれとそう思ったがおそらく佐助かだれかがそばで見ているだろう。
平然と自分の横に腰かけた男は、何よりも今を生きている。


『そうね、倒れてしまったらしいわ。十蔵には迷惑をかけてしまって申し訳ないけど』


信繁の言葉にそう返して、市は空を見上げた。星が瞬く、その景色は空気も澄み渡り酷く美しい。つい先日、たくさんの命が散っていったというのにそれを感じさせないほど。


「死ぬ気か?」
『まさか、私が自決しようとしてるって思ってるんですか?』
「アホか。言っただろう自由に飛べばいいって。お前悪いほうにとったな」


見据えられたその瞳に市は少しだけ驚いた。もともと信繁の目に狂いはない。くせもの揃いの真田忍を集めて統率するだけの力はある。
その目を信じて着いてきているのだ。だからこそ、見透かされたように感じたのだ


『自由に、飛んでいるつもりです』
「手負いになればなるほど動けなくなるだろうが」
『そんなの、信繁様に言われることじゃ』
「自分の心から目を背けるやつに言われたくはねぇな。」


まっすぐ見つめられて、押し黙ってしまっては是と言っているものだ。
それでも、目を背けることはしなかった。してはいけなかった。向き合わねばならないと、知っていた。


「本当に辛いなら暇をやる。ただし、お前が逃げるための暇じゃない。本当に笑えるようになるための時間だ。」
『そういうときにだけそれを許すんですね』


彼女が望んだときには彼はその手を払っていた。けれど、彼女が本当に必要な時になればこんな状況であろうとその手段を使う。
それがこの男だ。体が引き寄せられて、肩に寄りかかる形になる。そうすれば自然とお互い表情は見えなくなった。


『ずるい、狡いわ。』
「俺がそういう人間だってわかってるだろ」
『えぇ。だから、私は貴方を護ると決めたの。あなたの夢を叶えたいと思ったの。お願い、この戦が終わるまでは私を使って』


寂しそうに笑った市の頭を信繁は子供にするように優しく撫でた。
その手を感じながら告げる。それは、唯一の


『私は真田を、「貴方」を導く八咫烏。どうか、貴方様を守らせて』


本当は、誰に告げられていた言葉だったか。心がなにかを告げている。けれどそれがなにかと言われて市は答えられないから気にしないことにした。
そうしなければ前に進めないような、そんな気すらしたのだ。


「お前、」
『真田を守るためだったらいくらでも鬼になるわ。だから、すべてが終わるまでは目をつぶって。』


言葉を遮って笑う。
それ以上は踏み込んでくれるなと、その思いを込めて


「まったく、隠し事だけ増やしやがって」
『ごめんなさい。』
「お前は変わったな。少しぐらい頼ってくれてもいい。」
『信繁様には私、頼りすぎているわ。』
「足りないくらいだな。俺はそんなやわじゃねぇ。」


空気が和らいだ。
今度はいつもするように少し雑に頭が撫でられれば市は笑う。


けれど、つかの間なのだ。結局、何もかも。


ひどい耳鳴りがする。瞬間、響いたのは爆発だ。
弾かれるように信繁の前に回り込み小銃を構えた。いつもの徳川の攻撃だろう。けれど、それいがいにも、なにか。


「市さん。」
『佐助。あなたでよかった。』


降り立った佐助に警戒は緩めぬまま視線だけを向ける。そんな彼も武器を構え警戒を怠っていない。信繁と佐助と背中をあわせれば死角はほとんどなくなる。徳川の攻撃ならばさして問題はない。
あるとするならここに敵が来ることだ。

自分にできることは何かと考える。今この場で一番に護らなくてはいけないのは間違いなく信繁だ。
だったら、自分がするべきことは。


『佐助。』
「・・・俺に聞けることであれば。」


目を閉じて耳を澄ませる。
先ほどの砲撃以降、敵の攻撃はやんでいるようだ。これはいつもの威嚇か、それとも鬼火衆か。
考えるよりも、感じたほうが早い。それは、己の感覚がそういっている。


「だめだ。いくな。」


けれど、否といったのは信繁だった。
市は瞳は開かなかった。それでも彼女の左腕をつかむのが信繁だと言うことはわかっていた。
斜め後ろで佐助は信繁の方を見やる。
その表情はひどく険しい。一番わかっているのだろう、だからこそとめる。
けれど、佐助も知っている。

最近の市はひどく単独行動が多い。そしてそのたびに彼女自身何かを削って笑っている。
その何かは、彼女の中で一番大きく大切なものだということも。


『大将として、千の命を失うより、一の駒を使い棄てたほうがいいと、あなたは知っているはずよ、信繁様。』


さらりと、自分は駒だと言い切った彼女はこの戦において、おそらく、自分の価値を棄てているのだということも、佐助はわかっていた。だからこそ、彼女は個として鴉といわれるのだ。


「その千の中にお前もいる。だからいかせるわけにはいかねぇ」
『さっきあなたは私に言ったでしょう? 私は、本当に笑うために暇をもらうだけよ。』


目をつぶったまま、市は顔を信繁に向けた。信繁の表情は市には見えないが、握られいている腕にわずかに力がこもって、抜けた。もう一度『佐助』と市が彼を呼ぶ。


『信繁様の護衛を。私は近くに潜伏している敵の殲滅に行くわ』
「・・・敵?ならば」
『援軍はいらない。来ても役立たずなだけよ、とめて。「日の出」までには片付ける。』


するりと信繁の腕から市の腕がすり抜けた。そのまま後ろ向きに一歩二歩と下がっていく。
目を閉じたまま、彼女が顔を次に向けたのは西の方角。静かに口元だけを動かして、また信繁たちを見た。


『行ってきます。』


ふわりと、冬独特の乾いた、冷たい空気が彼女の髪をなびかせた。そのまま身を翻して走り出す。
走って、地を蹴って真田丸の外。降り立って袖をなびかせる。





研ぎ澄まされた神経で聞こえる信繁の声に、口元を緩めて閉じていた瞳を開けばそこには緋色の炎がともっていた。



/
もどる
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -