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昨日があんなに不調だったのに、今日はそうでもない。そう思いながら市は日陰の下にいた。
あんなにも眠らないようにしていたのに、目が覚めたときは信繁の腹心である筧十蔵の腕に抱かれていて驚いてしまったが、きっと寝ぼけてしまったのだろう。
いい加減直さねばいけないなと思いながら目を閉じる。


入り込んでくる音は平和な音だけではない。
距離をおいたまま大阪城へ砲撃してくる徳川軍は酷くどうしようもないと思う。やるならどうどうと、刀を交えればいいものを


「あ、あの、市さん、」
『あら、六実ちゃん。どうしたの?』


そんな考えを張り巡らせていれば六実から声をかけられる。頭で考えていると近くの音が小さくなってしまったような錯覚があったが、これはもとからだ。


「ちょっと確認したいことがあって」


はて、と市は首をかしげた。
不安げに揺れる六実の瞳を見ながら、そういえばこの子は少し苦手だった気がすると思ってたのはなにゆえか。


『もちろんよ。ここじゃない場所にいきましょうか』


にこりとごく自然に笑って立ち上がる。それから彼女の手をとって歩き出せば少し遠くから誰かの視線を感じた。






「市さん、輪を見せてください」


人目につかないところにつけばとたんに六実が言った。
もちろん、誰かに聞かれてはいけないと少し小さな声ではあるが、市としては何故、という思いの方が強い。


『ずいぶん唐突ね、何かあったの?』
「昨日、倒れられたときいて、もしかして輪の影響なんじゃないかって、そう思って」
『でも今は平気よ?』
「それでもっ」


自分はなんともないはずだ。迷惑は……倒れてしまった時点でかけてしまったがそれくらいだろう。


『六実ちゃん。私は生きて信繁様を守りたいから貴女を頼ったの。だから、私の体に何が起きようと貴女が悲しむ必要はないわ』
「そうじゃ、なくてっ」


だからこそ、本当のことを言ったつもりだ。そもそも自分は誰かのために生きている訳じゃない。真田を守りたいから、信繁の夢を叶えたいからここにいるはずでこの胸にあいたなにかよくわからない空白はきっといまの戦況のせいだ。


「市さんっ泣いてしまうぐらいだったら、もう戦わなくたっていいじゃないですかっ」


少し背の低い彼女が己を見つめている。その手が市のほほに触れて流れ落ちていたす滴をぬぐった。
驚いたように目を開いた市に対して六実は表情を崩す。前の彼女だったらこんなこと許さなかったと。


「市さん。輪を見せてください。貴女が命を救われた代わりにきっとなにかを失っているはずです。」


「彼」の輪を回して明らかにおかしいと思ったこともあった。ならその前に回した彼女はもっと酷いことになっているんじゃないかと恐ろしくなる。
どれだけ弁解されようと、自分がやったことは、やってはいけないことだった。


『…見てもいいわ。でも、手は出さないで』


是と、言葉を受けた。
それに改めて回りにだれかいないか確認してから、六実はそっと市の胸元に手を伸ばす。

意識を集中させて、気を貯める。
そのままそっと顕現させるように力を込めれば市のうめく声が聞こえた。


「っ」


現れた輪は、異常な早さで回りぼろぼろだった。もともと彼女の命を救うために無理に回してしまったのもあるのだろう。まるで炎に焼かれたように穴が開き、いまにも壊れてしまいそうだと、
瞬間、崩れた彼女の体にあわてて、支えて座らせた。


「市さん、どうしていってくれなかったんですかっ」


命の歯車といっていいそれがこんなぼろぼろになるまでいたということは明らかに彼女に不具合が出ていておかしくないのに、


『言って、どうにかなるの?』
「だってこんなっ」
『さっきも言ったでしょう?私が望んだの。このままにしてちょうだい。すべてを背負う覚悟はできているんだから。』


その言葉に、弾かれたように六実は市をみた。
翡翠の瞳は片方だけを紅に変えている。輪を顕現したからであろう、痛みで浮いた脂汗が涙の代わりに伝っていった。
それでも、彼女は笑っていた。


『誰が悪くない。悪いのはこの時代よ』


はっきりと、濁すことなく。市が言ったことはひとつである。
六実だって父親であるそのヒトが殺されなければ平穏にくらしているつもりだった。けれどそれを否としたのは、時代だ。


「せめて、輪の動きを少しだけ弱めさせてください。このままじゃ市さんが壊れてしまいます。」
『平気よ、いまぐらいがいいわ。』
「それでも、ずっとこのままじゃ何かあったときに動けなくなってしまうかもしれません!だから!」


市の表情に慈愛がこめられる。
今まで九度山にいてここまで女性と対話したのなんて大殿が死んで以降じゃないかとすら。
小さく笑ってしまったのはご愛嬌だ。


『わかったわ。でも、止めないで。少し弱めるだけよ?』


彼女は、必死なのだ。
きっと己に施した行為を「罪」として。

是といった言葉に、きゅっと唇を結んで目をつぶる。じくじくと痛む体が、月色を浮かび上がらせては消していった。


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