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どうしても、生きたいと思った。まだ死にたくないと思って、彼女にその提案をしたのだ。だから、これぐらい仕方がないことだと、


『大丈夫。』


まぶたを閉じれば浮かんで消える、いとしいヒトのやさしい微笑みに、あせり崩した幼い子供のような表情。壊れ物を扱うかのように古傷に触れた指先。哀愁を宿したあの瞳。

それらすべてをいとおしく、守っていきたいと確かに思っていた。思っていたのに・・・


『十蔵、私、鬼になってしまったみたい。』


思わず笑ってしまった。
多くの傷は、それは輪をまわすという行為のおかげでふさがってしまった。
それは、彼女が「罪」と証した肩の傷も同様。おそらく身体能力が上がるという意味では、今まで感覚が死んでいた右手ですら使えるようになった。痛覚も鈍ったように思えるが、一番鈍ったのは、心だ。


『あんなに、あなたのこと好きだったのにね。』


もともと、十蔵は幼少期から女子があまり好きではなかった。彼の家族のことになると、彼は複雑そうに話をそらす。
一線をひいて女子と接するくせに、思わせぶりな言動や行動のせいで気持ちを向けられることが多かったのも事実だ。

けれど、二人だけの秘密は、距離を縮め、そしてなによりも高く壁を作る結果になった。そのなかでいつのまにか、彼のそばにいることが心地よく、当たり前だと思っていたこともまた事実。

六実と十蔵の距離が不安に感じたそのことも、事実。それなのに、


『棄ててしまえば、いいのかしら』


心が、死んでいく。はらはらとほほを流れる涙はきっと感情を殺したらもう二度と流れないのではないかと思うほどだ。
それでもいいと、思ってしまった。これからさらに戦況は一転二転してくる。ならば、忍のように心をころしてしまえればいい。

あんなにも心が乱れて悲鳴をあげるならばいっそ、心を殺して死んでしまえればよかったのだ。

でも、その前に、せめて。





そう思ったとき、市の脚は深夜にもかかわらず彼の元へ向かっていた。もう眠っているとも知れない時間だったが、それでもいいと思ったのだ。最期に、暖かさを求めたいと、そう思ってしまったゆえの行動なのだろう。
小さいころ、そうしたように、彼の腕の中で温かさを求めたいと。


『十蔵・・・?』


そろりと言葉を障子ごしにかける。部屋の中から声がすることはなかったがそっと開けばやはり彼は静かに眠っていた。
才蔵や甚八にばれたら夜這いだなんだといわれてしまいそうだが、それでもいい、今だけはと、静かに部屋の中にいりこんで彼の布団にもぐりこんだ。

とくとくと体から伝わる心音に、心が和むような思いになる。あぁ、このヒトが生きていることがうれしいと、まだ感じることができる。


「めずらしいですね。この時間に」
『・・・声をかけたんだから返事くらい、してよ』


眼を閉じてその音に聞き入っていたから彼の声が直に耳に吹き込まれたような錯覚になった。
もともとおきているかとは思ったが、横向きになった彼の腕の中に平然と納まってしまって、その暖かさにほっとしてしまったのと、きりきりとした心の痛みだけがひどく残る。


「朝の事で弁解にでも来ましたか」
『・・・ええ。それと少し、十蔵と話したかっただけよ。でも、なんだかもういいわ。』


この心の痛みは、きっと十蔵への感情を消したくないと心がないているのだ。それを理解しているからこそ、体制を立て直して彼の胸元に体を寄せた。


『・・ねぇ、私、あなたのことが大好きよ。』
「いきなりどうしたんですか。あなたらしくなくて気持ち悪いですよ。」
『そうね、ごめんなさい。でも、どうしても言っておかなくちゃいけなかったの。』


さも、平然と言葉を告げたが、彼にとってはそういう対象ではない。そもそもそういう風には見られていない。
自分は厄介な、お荷物だ。でもせめて輪が回っている今ならば、彼への心をつぶして彼が生きられるなら、それでいいとすら思えた。


『好き、好きよ、あなたのことが、大好き。』


まるで子供のようだと、きっと十蔵もそう思っただろう。珍しいほど自分から擦り寄ってくるその体は戦場で見るよりもだいぶ小さく感じる。先の戦争で炎の中で笑っていた彼女を見たときには戦慄が走った。
まるで、俗にいう千のヒトを消したイザナミノミコトのようだとも思ってしまったのだ。


「私もあなたのことを好いていますよ。仲間として。」


吐露した感情はそれだった。
けれど市はそれでいいと思った。それを言って欲しくてこの場所に来たようなものだったのだからしかたない。
もぞりと動いて、寝転がりながら十蔵の顔を見る。
そのまま、自嘲するように笑って、十蔵のほほにかかる髪を後ろに流した。


『えぇ、ありがとう。うれしいわ。』


そう、これで覚悟が決まったと。伸ばした手を胸元に戻して彼の腕のなかでそのまま目を閉じた。





きっと、目が覚めたころには、この感情は消えてしまっているだろう。
だからせめても、届かなくても伝えたかった。

貴方を誰よりも愛していた。
過去形にして蓋をしてしまえば、自分は迷うことなき導くための鴉になれる。

それでいい、それがいい。
そうして、できた未来で貴方が幸せに笑ってくれることが私の幸せなのだと、





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