30



浮上する意識の中で、確かに自分は死んだとそう思っていた。重いまぶたを押し上げて、やっと見慣れてきた天井が視界に入れば体の中の空気を逃がすように息を吐いたのは、きっと仕方がない。


『・・・・・・あぁ・・・』


記憶がひどくあいまいだ。そう思いながら市は体を起こした。あれだけ受けた傷はすでにふさがっていて、それだけじゃない、自分の罪だと証した肩の傷も、腕の痛みも、すべて普通のままに戻っている。そっと傷口に触れれば、やはりあのいびつな傷跡は影も形もなかった。


『(本当に、化けてしまったわけね。)』


白蓮に体を貫かれ、大量に血を流し、体から熱が消えていくあの感触も感覚もよく覚えている。ぼやける頭の中で、背にした男だけは守ろうと戦ったことも、焼けるように手が痛かったこともそのことも覚えている。
置いていけといったのに、否と言い切り、そうして真田丸に抱きかかえられて戻ったことも、そのあとに六郎に受け渡されそのまま治療されていたことも、

また暗闇の世界に戻れば、確かに耳に残る、「死ぬのは許しません」といった彼の声。それに、「まだ、死にたくない」と思ってしまった自分の過ちと、それをかなえてしまった彼女の力。

自分の中で、ふわふわとした力の根源が力を増幅させていくのがわかる。ひどく、音が聞き取れるようになった。音だけじゃない、それはきっと、誰かの「叫び」のようなものなのだろう。そのくせ、何かが失われていく感覚があるのだから、いただけない。

よすぎる、というのも、難儀なものなのだろう。誰かが近づいてくる音が聞こえる。


『十蔵?』


軽く、声をかけた。
そうすれば、ぴたりと音が止まる。それは、是といっているようなものだろう。
彼は音を消したつもりだったのだろうが、市の耳にはよく聞こえていた。


「もう起きていたのですか。」 
『えぇ、もう体調も大丈夫そうよ』


静かにふすまがひらきながら、彼が告げる。それにやわらかく笑みながら、市は平然と答えた。そのまま室内に入り、そばによって座れば彼女の肩を優しく押して布団に戻し、苛立ちは隠さないままに十蔵は市を見ている。


『そんなに怖い顔してたら、しわ取れなくなっちゃうわよ?』
「茶化さないでください。怒っているんですから。」
『いいじゃない、結果的に、あなたが生かしたようなものなんだから。』


直された布団の中で体の向きを変えながら市は小さく笑う。
突然傷が治ったら、それこそ異形だと、だからこそ、体中に包帯は巻いてあるがその下には傷はひとつもない。
けれどそれを隠しだますために、市は笑うことに決めたのだ。だから、怪我を負って3日は六実以外は面会拒絶にした。
明日には信繁に会おうと思っていたのだが、その前にこの男が来るとは驚きだった。とはいっても、自分が眠っている間に彼が夜こっそりと来ていたといっていたのは寝ずに看病、というなの警戒をしてくれていた六実だったからこそ。


「・・・あなたが運ばれた後、鬼火衆と対峙しました」
『・・・そう。』


少しの沈黙の後、十蔵が言った。そんな彼の目を見れば、複雑な色を宿している。おそらく、それは。


『あの声の男は・・・きっと先代さまなのね・・』


疑問ではなく確信だった。自分たちが間違えるわけがない。父親代わりの人だったのだから、間違えるわけがないのだ。
そうなれば、いやでも思い出すのはあの夜のことだ。罪を背負ったあの夜のことを思い出すと、どうもならない。
何より、一番心配なのは事実が吐露され、彼の居場所を奪われることだ。


「もう二度と、あんな無茶はしないでください。」


記憶をあさりながら、いろいろと考えていたのだが、手が伸びて、するりと市のほほをなでて十蔵が言った。
静かに彼を見上げれば、先ほどとは違い痛みを受けているように彼は眉間にしわを寄せている。その様子に笑ってしまうのは、きっといけないことなのだが、やさしく安心させるように微笑めば「怒っているんですよ」とまた棘のある言葉が返ってきた。


『あなたが生きていれば私はそれでいいのよ。十蔵。』


そのまま目をつぶり、彼の手のひらの熱を感じる。
暖かい、生きている人間の手の暖かさだ。それがひどく安心し、また息がこぼれる。

そう、市にとって十蔵が生きていることが、一番の願いだ。もしも、自分が置かれている立場が十蔵の立場ならば、きっと、たまらない。きっと気でもくるってしまうのではないかと思う。誰よりも守りたく、誰よりも生きてほしいと願い、誰よりも、いとしい人だから。


『それに、私は侍じゃなくて、あなたのための駒だもの。どうか死ぬまで使ってね。』
「・・・その考えもいい加減やめなさい」
『あら、事実でしょう? あなたも私も信繁様を生かすための駒。でも十蔵は死んではいけない人間よ。だからそのために私は盾になる』


口に出して、違うと思ってしまったのは心のうちに秘めておくことにした。
死んではいけない人間じゃない。自分が死なせたくない人間。この人だけは死なせたくない人だ。

でもそれはいつからだったか。なぜ、そう思うようになったか、なんてもう覚えていないのだ。
頭を回せばまわすほど、意識が遠のいていく。きっと体がまだ疲れているのだ。だから、眠さを感じるのだ。


「眠りますか?」
『えぇ・・・人と話したのが久々だったから・・・おやすみなさい、十蔵』
「・・・はい。おやすみなさい」


そっと頭をなでられて目を閉じた。





明朝。
六実に教えられていたとおり、市のところに来た信繁に体を起こせば「無理はすんな」といわれたが笑って首を振っておいた。


「具合はどうだ」
『えぇ、もう万全です、』


信繁の言葉に市はにこりと笑って見せる。
六郎から信じられないほどの生命力だと驚かれはしたが、思ったよりも傷が浅かったのよと言い切り、そして信繁と対峙した。とはいってもまだ病床にとどまったままだが、明日には普通に動けるだろうと市は踏んでいる。


『鬼火衆と、対峙したと十蔵より聞いています。問題はなかったですか』
「・・・あぁ、だが、」
『・・・あの声の男は、やはり・・・』
「否とはいいきれねぇな・・・。もう3年も前になるが、あの声は聞き忘れたりしねぇ。安房守と名乗ってはいたがな」
『あわのかみ・・・』


昨日得られなかった情報に、市は静かにその単語を復唱した。
安房守。死んだはずの真田昌幸。

彼を討つのは自分の役目だと心の中で飲み込んで、また信繁を見た。


『真田丸は』
「建設は順調だ。ちと無理はさせてるがこの調子なら問題なく間に合うだろうな」
『左様でございますか、なればよかったです』


そう、六実を走らせたのは何より真田丸と彼を守るためだった。その一番の目的がかなったのであれば問題はない。
なにより、一番守りたかったものは守れている


「だが、お前は今回の戦に出す予定はない。」


しかし、言い渡されたのはその言葉だった。だろうなとは思ってはいたが、市はにっこりと笑顔を返す。
あの戦いのさなか、己の短銃は一本吹き飛ばされてしまっている。そして何より見た目からして生死の境をさまよった人間を今一度戦場に戻すような卑劣な男ではない。彼はそういう、優しい男なのだ。


『…えぇ、わかっています。』


部屋の空気は硬いままだが、市はそのまま告げた。
やけにあっさりと是といったことに信繁は多少驚いたようだったが『また怪我をして十蔵に怒られるのもいやだし、痛いのももうたくさんよ』と答えてみせる。

別に、怒られようが体をえぐられようが関係はないのだが。


「必ず勝ってやる。おとなしく待っていろ」
『負けてきたら私はおとなしく自害させていただきますので』
「あほか。」
『これでも戦場の女ですゆえ』


軽口を交わしてまた笑った。実際散るならば戦場がいいとは考えるのだが、それをここでいってしまったら監視がついて動けなくなるかもしれない。
ならば、軽く交わしてしまったほうが気持ち的には楽なのだとわかっているからこそ、そう返した


『信じております。』


そして、何よりも彼が生きていることを、願うだけなのだ。

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