23

「市、お前は十蔵のそばにいろ」
『あら、突然どうされましたの?』


次の日。
平然と長屋の近くに戻ってきていた市を一番に見つけたのは信繁だった。そして唐突にそう彼女に命じれば不思議そうに首をかしげるのは仕方がないことだ。


「昨日、勝手に宿を取ったな」


だが、市が外泊したことを知っている。らしい。
その情報源はどこだ、と聞いても彼ははぐらかすだろうが、きっと六郎あたりだろう。
昨日あれだけ二人きりで話したのだから仕方がないといえば仕方がないが、


『私の懐からのお金です。好きに使っていい給料のはずですけど。』
「そういう問題じゃない。」
『ではどういう問題です?まさか、私が敵に情報を流しているとでもお思いで?』


ただ、昨日の今日。
考えていたことを口に出してしまったのは失敗したなと、市は心の中で舌打ちをした。目の前の信繁心底不機嫌そうな顔をしている。


「お前のそういうところ昔から面倒くさいな。」 
『私は自分が価値のない人間だと理解しているもので。信繁様に何度も暇をもらおうと思って交渉はしておりましたでしょう?』
「その反面、戦うことに関しても面倒くさいな。暇を出したらそばで守れなくなるんだぞ?」
『あら、私に守られないといけないほどあなたは弱くて?』


基本、信繁の前だと素でいられるのだ。
ここにもう一人でも参集者がいればもう少し猫をかぶったりもするが、今は二人きりだからこそこうして話せるのだろう。


「お前が弱いんだよ。」


ぽんっと、頭に手が置かれた。そのままわしゃわしゃと髪を乱す勢いでなでられれば市から講義の声が上がる。
その手の届く範囲から抜け出せば、昔見たように信繁が笑っているから、反論しようとして、できなかった。


「散々、鴉だなんだと、お前は鳥にたとえられることが多いが、三年前のあの日以来、風切り羽をやられて臆病風ふかせて縮こまっちまってお前が羽ばたいてるのなんて見てなかったからな。十蔵の前にいるお前は、心底自然だ」


「あぁ、でも俺の前でも比較的自然体だな」と軽い口調で述べるだけ、驚くのだが、さすが大将というべきだろう。よく周りを見ている。だからこそ、みんながついてくるのだろう。


『・・・私は、強いですよ。』
「あぁ、戦は強いが、人間としてはまだまだだな」
『・・・信繁様は、女とはどんなものかご存知ですか?その気になれば、化けるんですよ。』
「知ってるさ、お前でよく実感してる。」


信繁があまりにもまっすぐ見るものだから市は自然とその目から視線をそらしていた。きれいな目なのだ。だからこそ、自分が映っていけないと知っている。
心の中を見透かす、その目が、怖いといつも思っている。


「お前は仲間というよりも家族に近いが、ある種の特別みたいなものに変わりない。勝手に死ぬことだけはゆるさねぇ。肝に免じろ。お前は10人という数字にとらわれすぎだ。」
『・・・・・・ご随意に。信繁さま』
「それとな、お前が思っているより、お前はずっと俺たちの支えになってる。それはわかれ。」












大坂に来てから姿が見えなくなった彼女を探していたのは、信繁だけではなかった。
朝起きたらやはり市はおらず、ただっぴろい長屋の中で目を覚まして六実はため息をついたのだ。少しは、距離が縮まったかとは思ったのだが、彼女はやはり、雲の上のように思える。


「おや、おはようございます。」
「おはようございます。筧さん」


長屋を出て外を散策していればであったのは十蔵だった。どうやらこれから信繁を迎えにいくところらしい。そろそろお偉い方たちとの会議というわけだ。「少し出てくる」といって散歩に出かけた信繁を探しにきたらしいその先で六実に出会ったと彼は笑う。


「あの、市さんを見てませんか?」
「? 部屋が一緒のはずですが。」
「昨日、帰ってこられてなくて。」


けれど、取り合えず報告はしたほうがいいだろうと、十蔵へとその言葉を告げれば彼は表情をわずかにゆがめる。だがすぐにやわらかく笑みを作ると「市は神出鬼没ですから一晩ぐらい帰ってこないことはありますよ」と六実の頭をなでた。

それから二人で信繁がいるであろう場所に向かえば、そこには信繁だけではなく市もいる。
少しだけぴりぴりとした空気が漂っていたが、「信繁様。市。」と十蔵が声をかければすぐに二人のその空気は霧散した。


『あら、おはよう十蔵。かわいらしいお嬢さんと逢引中かしら?』


さらりと市の口から出るのはその言葉だ。
一瞬六実はきょとりとしてしまったが、「六実さんにし心配をかけるのはやめなさい市」と十蔵からの咎めが入る。そんな言葉は知らないとくすくすと笑ってしまうあたり、反省はしていないのだろう。


「十蔵、そろそろ市に首輪でもつけておけ。無断外泊してるぞ」
『私は犬猫とは違うのよ、信繁様。たまにはふらりとお散歩してお泊りしたいこともあるわ』
「お前のそれはいつもだろう。いい加減おとなしくしてろ」


あきれたように十蔵へと告げた信繁に少しだけすねたようだ。いや、そもそも外泊をしたとばれて一番小言を言うのは十蔵だとわかっているから告げられたことが気に食わなかったのだろう。ただ、少しだけ、六実の心中は穏やかではなかった。

どれだけ、市が信頼されているか、大切にされているかが信繁の表情からわかるからだ。自分がどんなにがんばっても、信繁とこんな風に話したりはできないだろう。長い年月、そばにいるからこそ市はその場所にいる。
それがひどく、うらやましいと思ってしまった。


「六実さん、」
「え、あ、はい!」
「申し訳ないですが、私たちが戻ってくるまで市の監視をお願いします。また会議にいなくなられては困りますから」


そんな様子を見つめていたら、十蔵から声がかけられた。思わずきょどってしまったのだが穏やかな笑みでそう告げられてうなづくしかない。
十蔵が言っていたとおり神出鬼没と言われれば九度山にいたころなかなか鉢合わせることもなかった故のことだろうとも思う。
気配すらなかなかつかめなかったと思えば、彼女はいったいどんな訓練をつんできたか疑問にはなった。きっと聞いても答えてくれることはないとは思うのだが。


『ふふ、じゃあ女子二人でお茶でも行きましょうか。』
「お茶、ですか?」
『そうよ?いや?』
「い、いえ!でも私」
『お金なら心配しないで?あまっているくらいだから』


「なら九度山にいたころに出しなさい」と十蔵からまたあきれた言葉が繰り出される。『私の財産だもの。自分のために使うわ』とさらっとその言葉を否定して、歩き出した。


『今日はちゃんと戻るから安心して、』
「そうしてください。」


十蔵の横を通るとき、わずかに言葉を交わして通り過ぎる。「お前もいっていいぞ」と信繁に言われて六実も市の後を追いかけた。




「・・・やはり、市の様子が少しおかしいように思えますが」
「望月のことを守れなかったからこそ、その負い目だろうな。だが、ちと気にしすぎている部分はある。十蔵、お前も市のことをちゃんと見ててやれ、」



「いつか、道を踏み外しそうだ」とその言葉は何を思っていたのか


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