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嫌なものを見てしまった。とそう泣きそうな顔をしてやってきた市に信繁も一緒に居た三好の兄弟も驚いた。
信繁の横に座り、大人しくただ静かな水面を見つめる市に彼はため息を付く。
朝居なかったときの話を伊佐に聞きにきたかと思えば何も言わず、そのまま信繁のそばに寄り添うのは何かにおびえているときだ。それは大殿が亡くなったときによく似ていて−−ただそのときは十蔵のそばにいることが多かった−−三好兄弟は信繁に目配せすると釣り場を変えた。大体、こういうときは昔からそばにいる者たちに任せるのがいいとわかっている。


「最近様子がおかしいかと思えば、どうした。」


静かなその場所で市にそう投げかけた信繁に閉じていた瞳を彼女は開いた。
ゆらゆらと釣竿からたらされた糸が浮きとともに揺れているのを見て、『私、そんなにおかしかったですか?』とただ水面を見て答える。


「あぁ、おかしいな。」


簡潔に、直結に、答えた信繁に口をつぐむ。
間違ったことはしていない、と思うのに、だいたいみんながはぐらかしてしまうことを彼はきっぱりといってくれる。そのことがありがたくて、彼の元へ来てしまったんだと思う。意地を張らなければ良いのに・・・。自分の止まり木はやはり彼のそばなのだろうと思う。


『・・・十蔵と、あの子が仲が良いみたいだから』
「あ?望月の娘か?」
『えぇ、十蔵がよく笑うし、話題に出すの。だから、彼にも春が来たんじゃないかと思って。』


彼の前では本音で話せると思うのは、ある種、幼少期からの名残か。かれこれ20年来になる付き合いに、もう嘘のつき方はばれてしまっている。だからこそ、嘘はつかずに居られることが心地良い。そんな彼にも話せない隠し事を、いくつも市は持っているが。


『ねぇ、信繁様。私にいつ暇をくれますか。』


ポツリと零したその言葉に、信繁の眉間に皺がよった。
最終的に言うのはそのことだとわかっていたが、おそらく、あの昼間、六実が料理ができるとわかってからさらに様子がおかしかったのを見れば一目瞭然だ。

存在価値を求めてしまうが故の、


「阿呆、お前に暇を出したら十蔵がキレんだよ」
『十蔵にいわれてるから私に暇をださないんです?』
「察しろ、お前以外に俺とあんな話が出来る奴いねぇだろ。」


市と信繁は、どちらかといえば兄弟に近いの。血の繋がりも何もない、ぽつりと大阪城の一角で出会った童に此処まで付いてこいだなんていったのはなにかの縁が働いたからだ。だからこそ、そばにおいている。
恋愛感情というよりは家族愛に近いと二人はわかっている。


「お前が不安にならなくても、お前はここにいていい、此処がお前の居場所だ。」
『・・・ありがとうございます。』


こてんっと、幸村の肩に寄り掛かる。ただ動く水面を見て、目を閉じた。

彼が幸せならばそれでいい、もしも彼があの少女と結ばれるのであれば彼が背負う罪を一人で背負えば良い。それだけの覚悟をして、それで押しつぶされないか、これは墓までもって行くべき事だろう。もしも、そのときがきたら、自ら引鉄を引けば良いだけだ。


「安心しろ、引き取り手がなけりゃ俺がもらってやる。」
『あら、私が男性をそういう風な対象で見れないの知ってるでしょう?』
「俺もお前は女としてみれねぇな。」
『信繁様のことを殿方としては素敵な方だと思うけど、戦に引き裂かれてしまうなら、ご遠慮願うわ。』


ゆっくりと瞳を開いた。
深い森へと誘い込むようなその翡翠の瞳が空を映す。


『佐助のところに行って来るわ。』
「診て貰ってくるのか」
『最近、サボりがちだったから。もし良好なら、また使ってね、大将さま。』


その表情は、やってきた頃に比べて大分晴れやかだった。











「昼間はどこに行っていたんですか。」
『別に私がどこに居ようと関係ないでしょう?』


夜の帳が下り、彼女が自室で長い髪の手入れをしていれば、彼は平然とやってくる。
黒から橙に色を変化させているその髪は彼女のお気に入りでもあるが、まるで話しに聞くあの殺戮の風景を具現化したような、暗闇に燃え盛るような炎のようだと言ったのは、誰だったか。もう覚えてすら居ないのだが戦場では恐れられていたものだ。それは随分と昔の話。


「最近、勝手が過ぎますよ」
『十蔵の邪魔は、していないでしょう?私、別に十蔵の世話係じゃないもの』


手を止めることなく、櫛で髪を解かして行く、その櫛を取り上げて、椿の油を差し平然と続きを始めるのは彼の多少のクセだろう。むっとした市だったが、視線をそらすように前を向けばまだ手をつけていなかった夕日色の部分に櫛が通った。


「あまり、心配をかけないで下さい。貴女のみに何かあったらと思うとぞっとします。」
『一応、これでも元真田の家臣ではあるのだけれど。』
「それは・・・昔の話でしょう。」


髪を整える手は止めないままに告げる。わかってはいるのだが、改めて「昔」と称されることが悲しくてならない。


『そうよ、昔の話よ。だから十蔵は早く前を向いて歩いた方が良いわ。』


過去に縛られるのは、己だけで良いと、そう言ったつもりだった。ピタリと手が止まる。それを感じ取って振り返る。驚いたように目を開いている十蔵に満面の笑みを向けた。


『随分と、あの子に肩入れしているようだし、良いじゃない。 謀反者を追い出す良い機会ではなくて?』


昼間、見たのは彼が真田紐を編んでいるところだった。もともと、真田の財源はそれでまかなっているところもあるのだが、情報収集もそれを売りながら行っている。それを今日やっていたのは十蔵だった。そしてその元に望月六実も居た。

間違えてしまったところを改めて教えてもらうにあたり、十蔵は心底丁寧におしえる。その距離は、酷く、近かった。声をかけようとして出来なかったのは、そのためだ、心臓が痛くて、悲しくて、苦しくて、だから信繁の下に逃げた。

もう、自分は必要ない。そう感じてしまったところもある。真田紐を編むのは、唯一市が得意とするところだ。そしてそれにさらに手をくわえ簪や飾り結びなどさまざまな工夫をしていた。けれど、それもあっという間に彼女が出来てしまうことだろう。

信繁に言われた事もあるが、そろそろ本当に暇をもらっても良いかもしれない。そう思ったのだ。


「黙らないとその口、ふさぎますよ。」


いつもの飄々さが、なくなった。髪の毛先でとまっていたその手が遡り、根元を掴めば勢いよく引っ張られる。小さく悲鳴を上げた。
驚きに染まっていた十蔵の瞳はもうない。ぎらぎらと獣のようなその瞳が闇を見つめる。


『っま、あっ!!!!』


がりっと、首元に、それこそ急所に走る痛みに、ノドがなる。噛まれた。と思ってももうおそい。宙をさまよう手を髪を掴んでいない方の手が捕まえる。


「貴女は、私と共犯です。逃げるなんて、赦さない。」


耳元で告げられるその言葉は楔だ。共犯だ。なんていうけれど、実際のところはらわた煮えくり返って仕方ないのは十蔵のほうだった。市という女は心底めんどくさい。自分の身に降りかかることに関してはへらりとわらって済ませるくせに、十蔵が絡むことになると身を挺してその責を覆うとする。だからあの時も、右腕を失う結果になったのだ。戦う為に必要な、彼女の一番の存在意義だったにもかかわらず。

あっさりと、それを捨てて罪を背負って笑った。


『っその、性格、最っ高に最低ね。』


どうやら今日は諦めに走ったらしい。息を吐いて引っ張られるままに身体を十蔵に預ければ『その噛み跡どうするつもりなの』と怪訝そうな顔をした。


「獣にでも噛まれたといえば良いでしょう、」
『青海さんや小助さんに心配されるし佐助に獣の討伐に行かれるわ。』
「毒消しを用意しておかねばなりませんね、」


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