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彼の世話役、兼家庭教師的な立場になってから数ヵ月。
いつものように研究室にこもりっぱなしだった彼女の元に、静かに数日留守だったアッシュと名を変えた彼が戻ってきた。ヴァンのネーミングセンスにあきれたが、意味のない単語の羅列だ。それは自分がもう誰も呼ばせることのなくなった本名と同じように。
『アッシュ?』
ぱたんっと研究所の扉がしまればその扉を背にしたまま、彼は下を向いて震えている。
名を呼んでもこちらに来ないのをみて、車椅子を動かして、少しひろめの床の上にゆっくりとおりて座った。
『おいで、ルーク。』
そのまま、両の手を広げれば飛び付いてくる赤に震える体を抱き締めれば抱き締め返された。
「っあんたは、知ってたのか」
『……レプリカ。ですか?』
無言でこくりと頷いた彼の頭を優しく撫でる。あぁ、ここ数日いなかったのはそのせいかと、複雑な思いを抱きながら『えぇ』と一度だけ。
「俺に!!レプリカがいたことも!!」
『はい。』
「もう帰る場所がないってことも!!!」
押さえられることのない、感情だったと思う。自分の存在意義をなくした少年はまだ10にも満たない子供。突然すべてを奪われて、狂うな、という方がおかしいのだ。
それは、わかっていた。
『私は、ヴァンがなんの目的であなたたちを作ったのか、知らないんです。私は私の目的のためにレプリカを研究しているだけなので。』
「っでも!」
私のすべては、あの赤い翡翠のため。
そう思いながら生きてきた。たとえ、その瞳に写るのが、あの優しい銀色だったとしても。
『灰なんて言わせない、あなたは予言に縛られることのなくなった唯一の存在なのですよ。とても自由な翼です。レプリカに場所をとられたというならレプリカごときに騙された愚かな場所なんて自分から捨ててしまいなさい。あなたを見つけられない家族なんて捨ててしまえばいい。』
顔を両の手で挟んで告げた。そうすれば驚いたように目を見張るまだ小さな炎に笑いかける。
『あなたは唯一で、たとえ顔は同じでも心まで同じ人間などこの世にはいないのです。与えられる居場所に収まらないなら、あなたが自分自身で居場所を作ればいい。』
「い、ばしょ。」
『……私の、本当の名前はサラ。これはここの一部の人間しか知らない捨てられた名前。でも、私は今ディアナとしてここで生きています。新しい居場所を作ることは難しくありません。』
私が「私」を捨てたように。
目を見開いて驚いている彼になるべく優しく微笑んでみせる。
そうすれば耐えきれなくなったたくさんの滴たちが彼の瞳からこぼれおちた。
『、、エル。』
「エル?」
『古代イスパニア語で「翼」という意味です。私とあなた、二人だけの秘密。』
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