図書館の女神、推参

   


あの頃の俺は、中学を卒業したばかりの天才な後輩と、純粋に憧れと強さを求める才能の後輩が出来たばかりで、少し絶望していたのだと思う。圧倒的に自分とは違うそれを見た時、俺はもうここにはいられないんじゃないかって居場所を真っ黒に塗り潰された気がした。
俺は副主将だから当然それなりの役目はある。大地のフォロー、後輩へのアドバイス、全員の空気感の調整、その他諸々。俺にはやらなければならないことの方が多くて途中で抜け出す勇気もなく、ぐっと何かを堪えていた。何かが何かはよく分からなくて、気持ちと思考がぐらぐら揺れながら日々を過ごしていた。自分の中で一番よく分かっていることは、不安だと思うことにあげるなら俺はきっとコートには入れないかもしれない、ということだった。

バレーは団体競技。出れるチャンスも個人競技よりは断然多いし、烏野は人数が少ないから全員試合には参加出来る。ただそこからコートに入るか入らないかは大きな違いで、ボールを拾ったか触ったか打てたかはもっと大きな違いだ。その大きな違いにこだわりを持たないやつなどいない。誰だって、独特のあの空気を吸いたい。俺はそれを先輩だからとかかっこつけたいとかそういうこと以前に勝ちに必要だろうと思ったから心の奥に押し込めた。正直天才の後輩から実力でもぎ取ると言われて、ほっとした。ああ、俺は諦めでコートを出なくていいのだと。

その日は、体育館の整備の関係で部活が休みだった。3年生ともなると卒業後の進路を考えなくてはならない。でも今は次の全国へ切符だけを考えたくて、放課後勉強もせずになんとなく図書館に向かった。町の図書館は大きくはないが近くにチェーン展開している珈琲屋もあったりして平日でも人は多い。閉館時間まで近付いて来たからか、すれ違って出て行く人の方が多い。
参考書や赤本の辺りを無視し、適当に歩き回る。外国文学は翻訳のせいで日本にはない独特な文章になっているせいか、少し苦手だ。なんとなく児童文学の背表紙を追いかける。普通の人にしてみれば高い身長、バレーでなら低い高さから見る子供用に設計された本棚は、昔来た時よりやはり小さかった。俺にもっと高さがあったらなんて野暮な考えはやめたはずなのに、悲観的な悲劇の主役になろうとしている働かない頭を嘲笑った。
このシリーズ完読したな、これ清水が読んでたな、ああこの人好きだったな、と意味もなく見ていた時。不意に隣のコーナー、環境や生物、植物の本が置いてある棚が目に入った。それは大人用だからか幾分か高いつくりで俺は余裕でも低い人にはギリギリ届くくらいだった。そうして、その本棚の1番高い所に目一杯、爪先立ちをして手を伸ばし本を取ろうとしていた女の子がいた。肩より長い黒髪が腕で見えない顔の代わりに大人びた印象を受ける。女子の制服を着ていることから高校生であることが分かる。しかもうちの、可愛いという烏野の制服だ。型に嵌められたような、規定に従って着ていることから真面目な子だろうとも分かる。
生憎学年を表すようなものは見えない。どちらにしろ、同級生か後輩でしかないのだから先輩だと緊張も躊躇うこともない。どんなに手を伸ばしても届かないその子の身長は近くに行くと余計に小さく感じた。その子の指先が示す本を人差し指で引き出すと右手で取り、人の気配にびくりとしたこの子を落ち着かせるためにも出来るだけ穏やかな声で、これであってる?と問いかけた。

「……すみません、ありがとうございます。」

少し高めの大人しい声は、雰囲気と相違はなく、聞き取りやすかった。頭ひとつくらい低い彼女と向き合い、顔を見た瞬間にドキッと鈍い痛みがした。清水で美人は見慣れているはずなのに、俺の前に立つ子はその耐性の付いていない所に斬り込んできて、ブロックする暇もなくがっつり決められた。うちの変人速攻のように。少女漫画的に言うならズッキュンといった感じだ。ダサい言い方だけど。

「烏野の人もここ来るんだ。」
「家が近いので。」
「……あのさ!俺、3年の」
「菅原先輩ですよね、バレー部の。知ってます。」
「あ、うん……。」

まるでナンパみたいに自己紹介しようとしたら相手は俺のことを知っていたようで、呆気なく言われてしまった。彼女の表情は最初の本を取った時に驚きを見せたくらいで全く変わっていない。ちょっとくらい笑ってもらわないと困るな……。先輩と言うからには同級生ではないらしい。

「取ってくださって、本当にありがとうございました。」
「ああ、うん。良かった。」

気付けば彼女はその場を去っており、俺は彼女に向けたままの笑顔で突っ立っていた。外は日が暮れはじめていて夜の暗さが近づいていた。閉館まではまだ時間があるために図書館の中には人がちらほらいるもの、流石に帰らないとまずいなと思って外に出た。図書館独特の閉鎖された空間の空気から解放されると何の疲労か、溜息が出た。
初めてだった。あんなに胸の奥底が訴えかけるような衝撃は。学校で見たこと聞いたことないのが不思議なくらい綺麗だった。あれだけ綺麗なら田中や西谷辺りが騒いでいそうなものの、全く聞いたことがない。2人は清水一筋な所があるから当然かと言われればそうだが、クラスメイトの男子1人くらいから聞かないというのも不自然だ。名前も知らない、後輩の女の子。俺は彼女に一目惚れをしてしまったのだと、図書館の窓に映った顔の赤い自分が告げていた。


20170106




prev|back|next