寂しがり屋たち 


◇◇◇


失ったそのものに何か意味があるわけではないことを私たちは知っている。失ったそのときの記憶や感覚、感情こそが何よりも意味のあることものである、そう知っている。
だとすれば、私のやっていることも彼がやっていることも、全く意味のないことで。失った意味のないアレに取り憑かれてしまった私たちの行く先が、いわゆる真っ暗であることを知りながら進むことを、人は愚かと呼ぶのだ。

「隊長、副長の方は異常なしだそうです。23時45分、決行です。」
「了解しやした。名前はー……ま、どこにでもいなせェ。」
「ありがとうございます。」

日付の変わる世界の中で少しも賑やかさを失わない色街に集まる黒は鮮やかに無意味に見える。しかし、私達はこの賑やかさを少しばかり黒に染めることで息をしているし、信念を通している。
指定された時間までは残り30秒。いい加減でサボりがちな上司を持つと苦労するが、こういう真剣な場では最も重要な役割を果たすこの上司を尊敬しなかったことなどない。自分よりも若い彼につくことになった時はそれなりの苦労をしたが。先月の給料で買った腕時計の秒針が10を指す。すう、と息を吸って、吐く前に上司が戸を蹴った。

「御用改めである!真選組だ!」

彼の声で次々と隠れ潜んでいた隊士達が戸の向こうへと行く。遅れながらも続けて入れば上司の驚愕している顔と、今回狙いを定めていた志士達の悲痛な動かぬ表情が見えた。死体を見て吐き気も動揺もしなくなったのは遠い昔の話。昔はその死体を漁って武器や金を手に入れていたし、今は死体からどうやって死んだかを見るようになった。仰向けの死体には肩から腰のあたりにまで見える刀傷があった。斬られて死んだことは丸わかりである。問題は、誰が殺したか、だ。

「チッ、やられやした。土方の所も恐らく……。」
「内通者というより探られてたってところでしょうね。」

上司の面倒そうな顔を見ながら、近くにいた隊士に指示を伝える。心当たりはある。私が見抜けないとでも思っていたとしたら彼奴は相当の馬鹿で、見抜けることを想定したなら相当の自信家だ。少し出掛けます、と早口で上司に言うと、ちょっと待ちなせェ、なんて声が聞こえてきたが無視して部屋を飛び出す。上司の蹴った戸を踏んで、階段を降りて、色街の中心へと駆け出す。
数ヶ月前なら女性は立ち入りが一切禁止だったここも、陽がまた登って自由になった。月も太陽もあるここは以前より明るい街になったのだ。そうなっても私たちには明かりなどもたらされない。それはどうしたって抜けられない堂々巡りの、永遠ループ無限地獄に落とされて、否、自ら堕ちたからだ。私たちはいつまで経っても大馬鹿だと、拳骨を落とされる人であらねばならないと思っているからかもしれない。
身に染みている勘だけを頼りに走る。十字路に立っても何となくこちらかな、なんて適当な考えで道を決める。彼奴ならどうするか、が前提のことではあるが、もしこれで本当に彼奴のところにつけたなら私は褒められるべきか罵られるべきか判断がつかない。嗚呼でも、やはり褒められるべきなのだろう。関わりのない時間の方が少ない付き合いを私たちは酷く信じているのだから。

「ほう、晋助の言う通りでごさる。本当にわかるとは。」
「舐めないでいただきたい。仮にも真選組の隊士であり、あの時代を生き抜いた者だ。本能的なものの方が強い。」
「本能……でござるか。そなたは晋助と似たリズムを持っているが、やはり異なるな。激しさの理由は静かさこそに有り。それがよく表れているでござるよ。」

この激しさの理由など遠に知っているつもりではあったが、他人に言われるとまた違う。激動の時代に生きて持った思いはただひとつの哀しい願いによって生み出されたもの。時が流れて、今を生きる私にある思いはあの時代の寂しさによって生まれたもの。こういうところを見抜かれるのは苦手だから、ヘッドホンをつけた野郎には会いたくなかったのだが。それも彼を捕まえるためだと思えば楽なこと。

「……で、何が目的?訳もなく殺す相手ではないはず。」

今夜は月の良く見える晴れた夜だった。月の明かりで出来た影に顔は隠れて見えない。派手に舞う蝶と血に濡れた刃だけが、はっきりと瞳に映った。
そうしてゆっくり月に顔を向けていく彼の顔が悦びに満ちているのを、私は知っていた。

「さァな。女ひとりに振り向いてもらうための代金としては物足りねェくらいだ。」
「代金ね、重さと軽さも分からぬ奴になったとは思えないのだけど。」
「……さァな。昔に秤は置いてきちまった。」

瞳の色がまだ見えない彼を私は静かに見る。感情は一切無い、閉じた痛みだけがじくじくと胸を刺した。

「まだ、足りない?殺して殺して燃やし尽くして、全てを無にしても足りない?貴方の前にはもう誰も立っていないのに。」
「誰も、立ってねェ訳じゃねェのはお前も知ってるだろ。現に今、名前はそこにいる。」
「……もういないよ。貴方の知る名前なんて。」
「嗚呼それに銀時もいるだろ。ヅラも。名前だけじゃなく、な?」

開かぬ瞳に何がうつっているのか、聴く機会は一度もなかった、今後もきっとない。そうだとしても、何が在るのかは知っている。私たちの輝いていたあの頃の面影、残像、名残。いつだって誰かが誰かの手を握っていた優しい記憶と感覚が在るのは、彼だけではない。あの頃を生きた誰もが抱いている。それを上手く背負えたか、それだけが違う。
私たちは上手く背負えなかった人ではあるけれど、多分私は背負う覚悟を持てていた。彼には背負う覚悟も勇気もなかった。背負うことを拒否した人に残るのは、ただの残骸。

「……晋助の、瞳にうつった名前はしあわせだったよ。閉じた瞳にうつった名前だけがしあわせだった。」
「だろうなァ。お前は幸せに笑ってたよ。皆も。」
「しゃんと目見開いて世界を名前を見てあげてよ、晋助。背負うことが怖いなら代わりに背負ってくれる人がいるって知ってよ、晋助。」

瞳を閉じたのは彼だけではないのだ、私だってこの見える目の奥を閉じてしまった。こちらを見た彼の瞳にどんな感情がうつっていたのか、私がうつったかは月明かりのせいで見えなかった。

気付けばドタバタと人が群がっていて、上司の上司に肩を叩かれた。彼の苛立ちを表す煙草の煙がいつかの煙管に見えて、はっとした。結局彼を捕まえることも出来なかった。止めることも出来なかった。彼を止める役割は私でないことくらい分かってはいるが、止めたいのが彼に惚れた女のさがなのだ。
色街に楽しそうに出掛けて行く彼等の背中を見送る私に目を向けていたのは彼だけだった。寂しそうなのが、彼には見えていたのだろう。彼だけが行くときに、視線をこちらに寄越して3秒見つめ合う、そして私たちは同時にふっと笑うのだ。互いの思いが何処に在るのかも知らない私たちが出来る唯一の逢瀬だった。
逃したな、なんて上司とその上司から言われるが、私には彼を逃したつもりなど全くない。彼とは昔馴染みで今は敵でも、失ったものの一部が共通しているだけの今の私たちには言葉に出来る関係性がない。愚かな私たちは互いをきちんと見ることも出来ないのだ。あの頃とは違う色街でこうして争うことの意味も到底理解出来ない頭になってしまった。時々互いの尾を追うように、そう、追いかけっこをしている。
ただ、うつったものの見えぬ瞳が確かに私を3秒見つめ、私たちは同時に口角を上げたのだから、今夜のこれはきっと逢瀬だったのだ。追いかけっこが逢瀬になったのは、月明かりのせいにでもしておけばいい。私がそうするように、彼も月のせいにした2度目の逢瀬を計画しているに違いないのだ。


月明かり、寂しがり屋たちの夜


△▽△

20161021
万斉の話し方よく分からなかった…汗



prev | back | next