指先の 


◇◇◇


Love does not consist in gazing at each other,
but in looking together in the same direction.

愛はお互いを見つめることではなく、
ともに同じ方向を見つめることである。

Said Antoine de Saint-Exupéry


***


初めて出会った時の彼は夜通し飲んだ挙句、電柱の下で戻しまくって寝ていた。仕事場に近かったし放っておく訳にも行かなくて、1人では運べないこの人を救うため人を呼んで酔いが醒めるまで寝かせてあげた。目覚めた彼は調子良くありがとねと言ったので大分腹が立ち早く帰ってくださいとだけ冷たく言うと、もう一度ありがとうと返ってきてどうしようもなく馬鹿な人だなあと思った。そんな馬鹿な人を好きになってしまうとは思いもしなかったし、今こうして騙されている彼を見ることになるとも思わなかった。飄々として掴み所ないような、堂々として分かりやすいような、曖昧な彼がこうも簡単に引っかかってしまうとは思ってもみなかったのだ。多分周りの人も。現に彼は、自分が雇っている少女から酷い視線を送られている。

「アァン?何アルか。あれは一体全体何アルか。朝早くから来てイチャイチャ、昼ドラになんねー面白くないもの見せつけられて私にどうして欲しいアルか。大体名前の銀ちゃんにベタベタしてんじゃねーヨ、あのアバズレ!」
「神楽ちゃん、落ち着いてよ!?扉壊さないでね!確かにあれは僕も正直腹立つけどさ……。名前さん、本当に何も言わなくていいんですか?」
「……ん。」

料理以外家事が全く出来ない私は寧ろその出来る料理を生かすため、万事屋に来ていた。依頼がなく食材を買えないからと今あるものだけでボリュームも栄養も味も良いものを作れと彼に呼ばれてやって来たと思えば、彼はどうやらイチャラブ中だった。神楽ちゃんは全てを破壊しそうだし、新八くんは愛想笑いだ。私は“それ”に視線を合わせないようにキッチンに立ち、冷蔵庫の中身を確認して包丁とまな板を出す。いちいち気にしていたら心臓がいくらあっても足りない。だからと言って、五感の一部を除いても入ってくるそれにちくちくという痛みが胸を襲った。

「えっ、そんなに化粧してねーの。ほぼすっぴんとか嘘だろ?」
「綺麗って褒めてくれてるの?やった、嬉しい!毎日スキンケア頑張ってて良かったー。」
「別に綺麗とは言ってねーヨ!テメェの勘違いはクソ汚ねぇからな!」
「神楽ちゃん、抑えて、ね?ね?」

それは、突然のことだった。万事屋に出入りするようになった女性は私とはまるで正反対だった。真選組という男所帯で働いているせいか、顔を洗うことすら忘れてしまうことがある女性らしくなく、料理以外の家事が壊滅的に出来ず、壊した家電は数知れない私とは違う人だ。愛想笑いしか出来ない、斎藤隊長と(筆談で)話すのが1番楽な私とは決定的に違う人。フランスのコース料理を作ったり、休日はエステと美容室通いみたいな、女子力も意識も高いその人は最初からそこが自分の居場所であったかのように彼の隣に座った。依頼内容がなんだったのかもう忘れてしまうくらい彼女は至って自然に、しかし関係者からすると不自然に万事屋に馴染んだ。
私がここに来るのは仕事のない日か時間のある日だけで毎日いつもいるわけではない。けれどよく訪れていたここに全く信頼の置けない知らない人がいることに私は酷く不安になった。私の居場所、それだけではなくて何かもっと大事なものが奪われてしまうんじゃないかと。誰がみても美人のその人に彼の心が奪われてしまうのは仕方ないと諦めがつくとしてもその正体不明だけど大切なものだけは譲れなかった。いや、彼の心も本当は渡したくない。
とんとん、とリズミカルに包丁を下ろしていくと嫌でも聞こえて来るリビングの声に手伝ってくれている神楽ちゃんはまた不愉快そうな顔をした。

「銀さんったら、本当に素敵だわ。この町の人達が信頼するのも当然ね。」
「まぁな!そりゃーね、銀さんだから?」
「あの天パ、名前ほったらかしにしてデレデレアル!股ガバ空き女のどこがいいのか分からないヨ。」
「……うん、そうだね。」

神楽ちゃんは続けて、名前が銀ちゃんの恋人になるのはオーケーアルヨ。と言った。彼女の基準は料理の美味しさな気がする。名前の料理の方が断然美味しいアルと呟く声が聞こえたので、考えは当たっているはずだ。
今日は昼食を作ると屯所に戻って夕食の準備をしなくてはならない。一応その人の分まで料理を作ったが食べてくれるかは微妙だ。以前私の作ったものが皿ごと捨てられていた、あんなことするのは彼女しかいない。帰る旨を伝えるとどういう風の吹き回しか、彼が送っていくと言いだした。彼女がいるのにいいのかと聞けば、もういいらしい。言いくるめる事が出来たのかな私を送るために、なんて都合のいい事だけ考えてあとは思考を捨てた。期待なんて持っても無駄だ。

「名前ー、今日の飯美味しかった。いきなりで悪かった、あんがとな。」
「別に大丈夫です。暇でしたし。」
「でもこれからまた作んだろ?大変じゃねぇの、そんなに料理作って。」
「慣れてますから。それに私はこれしか出来ないし。」

厳しい家庭に育ちずっと閉じ込められて生きてきた私に唯一与えられたのが料理だった。教育熱心な母に逆らえなかった料理人の父が、教えてくれた生きていく術だ。そんな父は攘夷戦争で死んでしまったのだけど。死んだ知らせが届いた日、厳しくて嫌いだった母が泣くのを初めてみた。子供から見てもあまり良い夫婦には見えなかったのに、母が父を愛していることを知った。
そういえば彼も攘夷志士だったはずだ。もしかしたら父にあった事があるかも知れない。父は戦うよりも料理を作りに行くのだと言っていたし、各地を転々としていたと聞く。父の味をそのまま受け継いだ私の味が彼の記憶を呼び覚ましている可能性もなくはないかも知れない。あの時の男の親族だと。まさかね、そんな奇跡みたいなことある訳がない。例え父との繋がりがあってもそれが私と彼の繋がりになるかは分からない。そもそも私は彼より年上の女であり、年下のその人に敵う訳もない。

「名前っていい加減、敬語抜けねぇの?俺年下だし。」
「あ、はい。無理です。」
「マジか!んな、俺嫌われてんの?」
「そういうわけでは……。」

一層の事、本当の思いを伝えられたら何か変わるんじゃないかと思う。だけどそれを口に出来るほどの勇気はこれっぽっちもない。私は意気地なしで自分の意思が強く持てない。だから沖田隊長にも面白くない奴と言われる。局長にも副長にも心配しかされないのはふらふら自分がどこかへ言ってしまうからだろう。彼に好かれる事が出来ないのも、きっと。

「そろそろ、寒くなるな。」
「はい。秋が終わりますね。」

秋空が冬の匂いを連れて来る季節になった。秋始めに出会ったその人はもう二、三年付き合いがあるかの態度で万事屋に来る。大胆と言えばよく聞こえる。図々しい女、と軽蔑の表情で沖田隊長が言っていた。それが彼に伝わっているか分からない。沖田隊長は人嫌いの激しい人ではあるけど、害の有無の判断は優れている。彼曰く、その人は害有りの人物だとか。私は個人的な理由で差別する可能性があるから自分の判断はしないことにした。
不意に彼が手を握ってきて、2人分の体温はカサついた私の指先を温めた。声を上げなかったのは奇跡だ。

「水仕事してっから、もう荒れてんな……。」
「毎年のことです。仕方ありません。」
「……女なんだから気にしろよ。」

突如、女扱いされた途端にじんわりと回っていた血液が急速に進み始めた。それが顔に集まるのもわかる。赤くなってしまう皮膚を抑えようと必死に素数を頭に浮かべる。しかし彼はそんなこと知らない。私の胸に矢を差し込むみたいに笑っている。

「恋人と手繋いだ時に困るだろ。カッサカサじゃ魅力足りないって思われたりするんじゃねーの。」
「そ、れは……。銀さんはそう思いますか?」
「俺は手の感覚くれぇで好き嫌いしないし?中身が良ければ最高だし。名前は見た目もかなり可愛いからこんなことで嫌われたらもったいねー。」

まるで私の隣に彼が並ばないこと前提の話し方に高鳴る胸と冷め行く胸の2つはボロボロだった。可愛いなら、勿体無いなら貴方が貰ってくれて構わないのに。そんな甘い言葉が言えたらどんなに良いか。彼女なら恥ずかしがったフリして簡単に言えてしまうのだろう。私は魅力が料理くらいの出来損ない女だ、これまで恋愛経験も無いに等しい。そんな人が彼のように魅力的な人を手に入れるなど到底無理だ。
屯所まであと路地一本となったところで彼にはもうお別れを言うことにした。最後まで、とは言われたがもうあと少しだし心が痛すぎて早く離れてしまいたかった。適当に理由をつけて彼を説得されることは出来るのに心の声ひとつ言葉には出来ない。馬鹿だと思う。本当に。

「また何かあれば。2人に任せきりで仕事しないのは大人としてどうかと思います。」
「そーゆーとこは年上なワケね。最近物騒だし、名前も気をつけろよ。」
「屯所はすぐそこですから。それに、」

心配してくれるのは嬉しい。しかしそれの後ろに彼女がいると思うと苦しい。振り払うように冷たく、溺れないように冷ややかに。

「それに近頃は好いてくださる方がいらっしゃるのだからそちらにちゃんと気持ちを向けた方がいいですよ。」
「え。ちょ、何それ。別に俺は」
「ちゃんと!……しないと彼女に逃げられてしまいますよ。年下の可愛らしい子なんですから。」
「へぇそう。名前はあの子と俺がくっつく方が良いんだ。」

予想以上に声が出たと思えばそれ以上感情のない声が彼から返ってくる。初めて聞いたそんな声にびくりと身体が固まった。視線は怖過ぎて合わせられない。方向を変える音がしてようやく顔を上げることが出来た。
切なげに歩いて帰る彼の背中は見えなくなるまで見続けられるものだ。いっぱい背負って零れ落ちてそれでも背負って進んで来たのだろう。私も一緒に背負えたら、と何度考えたことか。傷付けたならごめんなさいと心で謝る。大きいな、とその偉大さに目を細めた時衝撃が襲って来て、彼の背中を最後まで見送ることは出来なかった。


指先の熱は今日もくすぶっている



△▽△

20161111



next→



prev | back | next