いくら逃げども春は非道だ さく、さく、さく、さく。
踏み出せば鳴る音が心地良くて辺り一面を歩き回る姿はさぞかしおかしく見えただろう。靴越しに伝わる砕ける感触とそれを聴覚で感じる言いようのない悦は子供の頃を思い出させて、楽しくなる。幼い子はあまりに無邪気で無情だ。一晩の間で出来た美しいものを壊しているとも知らずに壊すのだから。大人になって知っても魅惑的なこれには敵わない。口許が緩むのも、頬が赤く冷えるのも気にせず、ほうと息を吐きながら歩く。朝食を知らせにきた彼に止められなかったら、無くなるまで私はずっと霜を踏んでいたに違いない。

刀剣男士たるものを顕現し、歴史改変を目論む輩と戦わせる。些か信じ難いこの行為が当たり前に受け入れられた自分はとても良く出来ていたと今でも思う。家族と時間を犠牲にして今までの世とこれからの世を守るための戦いに参加したことは間違っていなかったと思う。麗しい数々の刀剣は主と慕い、その強さを発揮してくれる。曲者も多い中で何不自由ない生活を送れているのは長くそばで支えてくれている彼の存在があるからだろう。そんな彼も刀剣のひとりで、多くの兄であるけれど。

「本当に不思議だ……。」
「いかがなさいました?」
「ううん。家族を捨てた私にはこんなに多くの家族が出来るなんて思ってなかった。」
「ああ、昨晩のことですか?」

一期一振は戦績をまとめながらそう言った。昨晩、彼の弟達の藤四郎の兄弟が私のことを姉と呼んだのだ。少しの好奇心みたいなものだったのだろうけど、それを聞いた他の刀剣も私を母だの妹だの好き勝手に呼び始めたのだ。三日月に至っては、ばあさん呼ばわりだったので今剣に殴られていたが。
審神者は一人のみ。この刀剣と暮らす空間には人は私しかいない。他は全て刀剣の付喪神、刀剣男士。それは決められていることで血の繋がった私の家族は私と引き換えに渡された大金で豊かな暮らしを送っていることだろう。過去に刀剣男士を送れるタイムマシンをつくったのに、家族との唯一のやりとりは手紙だけが許されていて、一ヶ月に一度、母から穏やかな内容の手紙が来る。大抵そんな日は穏やかじゃなくて、重傷者が出たりするので、手紙には気をつけている。母は昔から笑顔で鬼のようなことを話す、良い人ではあったけど。

「私にはちゃんとした家族がいるけれど、ここにいる皆も家族だと思う。まあ団結力とか弱いかもしれないけど。」
「そんなことはありません。主によって我々は何処よりも強い繋がりを持っています。」
「繋がりね…………。」 主従関係のそれ以上があるとするならそれは気持ちの問題だ。加州なんかは私に愛されたいと望んでいるけれどそれは、主従のそれと少しだけ違うと勝手に思っている。愛に飢えているのは元の主の影響と過去とが関係していて、彼は私に誰よりも愛を受けたいのだ。もちろん、誰かを贔屓したりすればそこに軋轢が生まれることは分かっている。けどここの誰もが加州には特別が必要だと分かっているから、私は多少加州に甘くしている。そうすれば、無事に良い戦績を持って帰るのだ。 ずるい、と思う。刀剣男士は元々人が使う刀剣で、己の感情や言葉を持たぬ存在だった。そんな彼らが自分の感情を言葉にして決してあり得ることなかったコミュニケーションを取っている。それぞれ、個性があってそれを最大限に活かせば戦いは有利に進められる。加州に特別な愛を注ぐことも藤四郎の兄弟に姉と呼んでもらうことも、最終的には戦いのためという理由があって、やっていること。人と付喪神の差、主と臣下の差はどうしても埋められない。私が自分の刀剣を蔑ろにして政府からの仕事を全く行なっていないとは決して言えない。ある意味、きっと彼らもそれを分かっているのだろうけど。 「主、夕餉はどちらにお運びしましょう。」 「今日は皆と一緒に食べます。隣に座っていただけますか?」 「はい。かしこまりました。」



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