The promise 


◇◇◇


僕がずっと抱えていた不安は彼女に会うたび違うものへと変化していって、穏やかに緩やかに想いが募っていった。それを誰かが止めることは出来ないことだったし、僕は後悔しているわけではない。彼女との時間は僕にとっては砂漠の水に等しいもの、戦場での女神に匹敵するもの、そういう大切なものだった。いつだって彼女はかなしそうであったけれどそれは哀しい、愛しいの裏返しであることを僕はよく知っていた。僕らが確かな愛を紡いだあの幸せと言える時間が永遠に続けばいいのに。そうどんなに願っても叶わないこともまた、僕はよく知っていた。

初めて紹介された時の彼女の顔はただただ不思議そうにしているものだった。最近会う大抵の人には「この人物はどんな人だろうか」と探られる何とも気分の良くないものだったから、彼女の純粋そうな雰囲気に驚かされたと同時に戦争も何も知らぬ平和な育ちだろうと胸の奥が焦げ付くのが分かった。自分はあの悲劇を目の当たりにして守らなければと戦場を選んだのに、このひとはこんな完全に守られた空間で豊かに暮らしている、それも自分達が傷つくのと引き換えに。そんな言い様のない憤りが喉元まで来てしまったが、優秀で尊敬している彼、アスランの紹介でここに来ている身としては何も言えなかった。しかしアスランのいなくなった後で、僕はこの時思ったことの全てがいかに愚かであるかを知るのだ。彼女こそがこの戦争の1番の被害者であることもここで豊かに暮らしているわけではなく、閉じ込められているのだと。

「アスランとは一体どういうご関係なのですか?」
「ああ、彼は言わなかったんですね。そんな配慮無用だと言うのに、いえ、ニコルさんに配慮したのかも……しれません。」
「あの、何のことですか?」
「私の母はコーディネーターの第1世代ですが、父は地球軍の幹部にいたのですよ。」

至って普通に言ったその一言に身体が固まる。彼女はあろうことか敵の子供だったのだ。母親はコーディネーターでも父親が地球軍、敵の内部深くの者だと言うのは、ナチュラルを根本から嫌うこの国では息をすることすら無謀に等しい。そんな彼女が、軍の地下で暮らしている意味が幼い脳で少し理解出来たが、そもそも彼女がここに来てしまった理由が分からなかった。彼女は本当に当たり前だと言うように、自分の出身と過去を話した。

「母もこの国を作った1人でした。それでアスランやラクスとも知り合いました。戦争の前は楽しかった。あの頃も確かに差別は存在したけれど理解出来る日が来るのだと期待もありました。それも、最早叶わぬ夢かもしれませんが。」
「しかし、どうしてこのような場所で暮らすことに……」
「悲劇の直後、母は地球との和解の為に働いていましたが"不運な事故"で死に、父はそれが暗殺だと思い、ザラ議長に銃を向けたのです。」

明らかに母親は暗殺だろうし、父親も嵌められたのかもしれない話だった。社会は非常に複雑で人の思いが絡み合っている。自分と同じ年だと言った彼女は、巻き込まれてしまった当時幼い子供だったはずで一度に両親を亡くした心中は計り知れないものだった。彼女は加えて、もう過去の話で諦めも遠についています、と言った。表情は酷く悲しみを秘めた笑顔だった。彼女はザラ議長から両親の才を引き継いでいる為に反乱分子として殺すことも考えたが、表向きを考慮してこのような形になったのだと言う。一時期はアスランの婚約者候補でもあったことから彼女に対してそれなりの情もあったのだろう。彼女は他人の人生を語るように述べた。
出会った瞬間の穏やかさは誰よりも辛い経験が生み出した真逆の姿だった。本当なら泣き喚いて復讐を考えても良いのに彼女は抵抗も無駄であると幼い頭で理解してここまで来てしまったのだろう。そう思えた瞬間に、自分の抱いていた愚かな思いが消え去り、代わりに苦しいような喜びに似た何かが込み上げてきた。それは温かさを持ったまま胸の奥に居座って形を作った。私の存在はないものだから弱味を吐き出してくださって構いませんよ。彼女が柔らかに言った甘えに素直に応じてしまったことは、僕が彼女を信頼して恋をしてしまったからだと気付くのに時間はかからなかった。

それから頻繁に足を運んで、その度に何かしらの手土産を持って言った。彼女が特に喜んだのは柴犬とピアノで両方とも僕がいない間も大切にしてくれていた。彼女が歌が上手なことには驚いたが出自を考えれば当然のことで、それでもそれなりの努力をしたのだろうと幼い彼女を想像し思いを馳せた。その歌がピアノと調和して旋律を奏でている間、これが幸福なのだと思わずにはいられなかった。僕は既に彼女の虜になってしまっていて、彼女のそばにいられるならどんな苦難も楽に思えて仕方がなかった。戦う理由に彼女の幸福の為、という項目が増えたことが自分の強さであると皆に宣言してしまいたい。醜い独占欲すら彼女の前では小さなものに見える。僕は多分これから先彼女以上に思える女性はいないと思う。
それでも時は残酷に鐘を鳴らし、敵を追う為地球に降りることが決まってしまった。自分の役目が戦場にあることを理解出来ない年頃で立場であったならどんなに良かったか。選んだのは自分自身でそれを責めるつもりはなくても、近くにある死の気配がどうにも拭えなかった。彼女に会ったのは基地を出る寸前までだった。もう互いの気持ちを理解していたからか、告げた永遠の誓いは大した拘束力がないように感じた。

「キスを、しましょう。」
「はい…………。」

彼女に触れる手のひらがあつい。指先からじりじりと灼けるような熱を感じてこれはきっと愛だと思った。貪るようなくちづけと時折交わる視線、肌が擦れるぎこちない感覚。どれも感じるたびに体が満たされるのに心と頭が淋しさと別れを訴えかけてくる。それを振り払うように自分らしくない荒々しい手つきで、腕の中に彼女を抱き込んだ。そうしてしまえば後は一瞬と永遠を一緒にしたような時間で、隣で眠る彼女を見つめていた。もう出発の時間は迫っている。昨晩の疲労で彼女は朝になるまで起きないだろう。乱れた彼女を思い出して口許が緩んでしまうのを必死に抑えると起きないとはいえ、慎重にベッドを降りた。
着替えて、自分がいた痕跡を消すように持ち物を片付ける。部屋を見渡すと、彼女の少ない持ち物の中に僕があげたものが点々とあってこれまで消してしまうのは躊躇われた。どう足掻いても帰って来なければ悲しませてしまうし、彼女の記憶からニコル・アマルフィという人物を消すことは出来ない。それならせめて、永遠に憶えて忘れられずに誰のものにもならないで欲しいと我儘な自分がいる。静かに彼女の家を出ると人口の月明かりが出入り口までを照らしていた。
犬のニコルが行くなと言わんばかりにすり寄ってくる。彼女が名付けたが、本当に寂しさを埋める為に僕の名を付けるとは思わなかった。思えば、彼女はずっと僕を驚かせて中身を掴めさせてくれていない気がする。そんな彼女が唯一腕の中で確かにいたのは先程までで、僕が今歩く道には彼女の温もりしかない。大丈夫、お前は僕の分身なのだからナマエを守れるよ。そう言って撫でると不服そうにわん、と一声鳴いた。彼女がもうひとつ大切にしてくれているピアノに近づくと手をそっと乗せた。奏でたメロディが聞こえてくるような感覚がして泣きたくなってしまった。本当に僕はここを離れるのだ。
死にたい訳ではない、死にたくないという方がよっぽど強い。なのにどうしてだろう。僕はきっと誰かの為に死ぬのだろう。そう考えれば考えるほど、彼女のことが気掛かりだった。出会わなければ良かったとも考えてしまうくらいだ、運命は変えられないだろう。だから少しでも彼女に幸福を、と鞄から用意していた小さな箱を取り出し、ピアノの上に置いた。朝起きた彼女がこれを見たらどう思うだろう。死ぬかもしれない自分が明確な約束のものを置いて行くことに。泣くだろうな、と想像しただけで苦しい。戦争がどれほど愚かで醜いか十分に見てきた。あの場所で生きる為に沢山の敵を斬ったことは決して償える罪ではない。彼女は自分を罪だと言ったが、それなら自分も罪だろう。戦争を言い訳に人殺しを正当化しているようなものなのだから。彼女は僕を戦争に向かない人だとも言ったけど、僕こそ向いている。守りたいものがあるから人は戦う。戦う意思がある人には必ず守りたい何かがあって、それが地位や名誉でも家族や友人でも結局守りたいものに変わりはない。ひとつ、悲しむ人がいるかどうかが違って心残りがあるかどうか、それが戦争で去る命の重さの違いなのかもしれない。

「……迎えに来ます、ナマエ。」

夢の中の彼女にそう言うと後ろを見ずに鞄を握りしめて空間を出た。覚悟はもう何処かに置き去りにしている。


僕はきっと永遠を望んでいたよ


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20161204
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