Accident 


◇◇◇


大体今日の私は運が悪いのだと何度言えば分かるのだろう。
目覚ましは電池切れ、母が食パンを焦がし、靴紐は登校中に2度解け、午前中の授業全てに当たり、昼食は家に忘れ、午後の授業後にプリントを転び散らばりながら運ばされ、終いには部活中に飛んで来たボールが顔面に当たって鼻血が出た。不運なのは最早私の専売特許みたいなものだからしょうがないなぁと諦めがつき、大抵のことは何度目かと数えるのも忘れてしまったほど体感していることだったりする。しかし!1日のうちに起こる不運は1度か2度、多い日でも5度までで、今日のような1時間に1回起こるといったことは全くなかったのだ。家族の誰もこんな不運にぶち当たることがないのに私だけが世界の都合の悪さを押し付けられたみたいに転けたりしている。それにももう泣くことのない年齢、高校生になったのに、私は自分の血と涙を一緒にぽたりと地面に落としてしまった。
不覚にもその姿を部活の全員に見られていて、普段は不運をゲラゲラ笑っている奴らもさすがに黙った。黙るなら助けて欲しいなんて、言えるような素直に育てなかったことをこの時ほど後悔したことはない。ボールを叩くけたたましい音が響いていた体育館の中はたった一粒の涙で時間が停止したように静かになった。唯一のマネージャーで普段泣かない私が泣いたからか、いたたまれない空気がそこら中に漂う。どこもかしこも痛いなぁ、と落ちてゆく血を見ながら思った。

「…………大丈夫か?」
「もっと早く言ってよ……。」
「んな、泣くなって。仕方ねぇだろ、お前の不運には慣れてても泣くのは慣れてないんだよ。」

黒尾はいつだって1番に私を笑うのに、こういうみんながどうしようもないなと思った瞬間に真っ先に助けてくれるような意地の悪い人だった。初めからこういう優しさを見せてくれればいいのに。だから黒尾はモテないんだ。
黒尾はやっくんに救急箱、研磨にティッシュと的確な指示を出して流れる血を物ともせず、私の鼻をつまんだ。強く押さえられているわけではないのにじわりと傷んだ鼻にまた涙が出てくる。目の前の黒尾が滲んでぼやけていなくなる。

「あーもう、痛ぇのは分かったから、な?泣くなって。つーか、リエーフうるせぇ!!」
「だって黒尾さん!名前さんから血がぁ……。」

リエーフは大体いつも心配してくれる人だったけどこういう時には凄くうるさいと思う。若干邪魔?かもしれない。けれど部活の中では心配してくれる数少ない人なので確保しておきたいのも事実だ。大丈夫、と涙声で言えば余計激しい声で本当ですか!と言われる。頭に響くからやめてほしい。
黒尾の指示通り持って来た2人によって止血と片付けが行われていった。主将の指示的確かよ。もしこれをしたのが冷静な2人でなかったら私の血は止まらなかったかもしれない。こういう時にも余裕を見せつける黒尾が腹立たしい。結局その日の部活は3分の1が私の鼻血に使われたおかげで研磨にとっては楽なものになったのだった。

東京の夜は明るい。それはどんな田舎よりも言えることだけど、この音駒の周りは住宅街もあるから一括りにして言えないことだった。不審者の情報は最近ないけど女子にとっては暗い道という単語に当てはまるだけで恐怖になったりする。私は普通に帰れる肝の座ったタイプで元々男子部活のマネージャーだから気にしなくなったけれど、時たま、女子だろ扱いされると戸惑ってしまう。

「名字、帰んぞ。」
「いいよ別に。研磨待ってるんじゃないの?」
「先に帰らせた。どうせゲームしながらだろ。」

黒尾は用意周到に私を送る計画を立てていたらしい。策略巡らしてとことん攻め入る黒尾には敵わないが、今日は絶対一緒に帰りたくないと思っていた。

「……今日はいい。」
「意地張るな、転んだらどうする。」
「どうせ、転んで鼻がこれ以上潰れたらとかそういうことでしょ。」
「いやそれもあるけどそうじゃねぇよ。」
「ほらやっぱりあるじゃん。」

面倒くさい女だなぁと自覚はしている。黒尾が絶対私をここで見捨てるはずないと知っているからわざわざこうしてただを捏ねるような真似をしてしまう。いつだって黒尾は私をどこかで見てくれているし、怪我したらすぐに気がついてくれる。女子力のない人間から少しだけある人間になったのは黒尾のおかげだろう。また怪我するのだから怪我しても放っておいた中学生の私にはもう戻れない気がしている。3年間ずっと支えてもらっていた私にはもう。

「…………帰るぞ。」

呆れたような視線と無言の圧に負けて、黙ったまま黒尾についていく。インターハイは出れなくて、次の春高が最後の最後だ。黒尾は残ってゴミ捨て場の決戦をやるという大きな目標に向かって走り出している。私も公認のマネージャーが見つかるまではぎりぎりまで部活に出るつもりでいる。少なくとも黒尾が引退するまではちゃんとやる。それが私なりの恩返しだと思っているからだ。バレー未経験で知識もなくて全く役に立たなかった1年生から比べると後輩をからかう余裕も仕事中にコートを盗み見る技術もある。私はきっとバレー部を支えるために生きて来たのではないか、というやり甲斐もあった。それがもうあと少しで終わることになんとなく、心が苦しい。黒尾がこうしてもう手を率いてはくれないだろうな、なんてことも苦しい。

「黒尾は進路決めたの?」
「名字は?」
「……都内の文学部ある大学に進んで宗教の勉強する。」
「元々母親がカトリックなんだっけ。」
「うん、まあそれもあるけど。黒尾は?」
「俺はー…………」

黒尾が言葉に詰まって考え込むのを歩きながら見ていたその時、ふわりと揺れるのが分かって、ああこれこけると思った。名字、と名を呼ばれて気がつくとこける前に黒尾が支えてくれていた。こけて体を痛めなかった代わりに私はがっつり黒尾の腕の中にいたけれど。感じたことのない距離感と温度に血がよく巡る。な、なんじゃこら。不運も不運で最悪だ。人様に迷惑をかけたことない私の不運だったのにこれでは黒尾に申し訳なさ過ぎる。急いで離れようとしたのにそれは出来なかった。黒尾が腕を解かなかったから。

「ちょ、ごめんなさい。あの、こけてごめん……。」
「……ほんと、腹立つわ。」
「へっ。」
「少しは俺の気遣いの意味とか考えろよ、名字は。」

それは一体……。黒尾が優しく時々してくれるのは手の焼けるペットか子供のようにしか思っていないと考えていた。やっくんが沙月は子供みたいだと言っていたから。黒尾も当然そうでなんか変な感情を持っているのは私だけなのだと。しかしそれは違うらしい。ならば、この場合私は期待するべきなのだろうか。今日はひたすらに運がなかったのに?部活中に鼻血を出すような日だったのに?悩ましい私の頭を殴るように、黒尾は体勢をそのままに至近距離で耳元にこうつぶやいた。

「俺、今日の不運は名前に好きって言えっていう神のお告げかと思ってた。」

今日の私は運が良いのかもしれない。好きな人に告白されてしまったのだから。真っ赤になった顔で黒尾を見ると黒尾は照れたように笑って名前、と言った。


Accident is love!?


△▽△

20161130
珍しい感じの文章になった. これがaccident(?)



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