silent night 


◇◇◇


彼のピアノを聴いている時間と彼と過ごす時間だけが、私が安心していられる時間で、許された自由な時間だった。コンクールを開けるほどの実力を持っていながらも戦争という理不尽なものによって安全な世界にいる立場から守る立場に変わった。誰よりも優しい心を持っているのに、彼は私も国も守るためだと言って1番前で戦った。いつか戦争が終わって安心して暮らせる日が来たら迎えに来ると、恥ずかしそうに顔を赤らめて彼は言った。その時に私は彼だけのもので永遠を信じていたから、子供と嗤われるのだろう。

アスランに連れられて来た彼は戸惑いがちに話し、ピアノが好きだと言った。戦場にこれから出て行くにしては大人しい性格で私は思わず大丈夫ですか、と聞いてしまった。アスランは婚約者との食事があると早々にいなくなっている。父も軍人の彼と比べる訳ではないが、あまりに軍人らしくない。本当はピアノを弾き続けて人々に感動をもたらすべき人であり、戦場で向かってくる敵を撃ち落とす人ではないのだろう。私は正直に言ってくださいと彼に言った。他言しません、軍人らしくないと否定もしません、貴方の志は素晴らしいのですから、そう逃げ場をなくすように言葉を繋げば、それを分かっていたようで彼は貴女は狡い人みたいですとあどけなく笑った。

「……本当は怖いです、戦場に行くのもそこで死ぬのも。」
「それならどうして軍人に?」
「それでもこの国を家族を守りたいんです。惨劇を見て、強くそう思ったから。」

儚げに笑って涙を零さない彼が酷く強く見えたのは間違いではなかったと思う。
彼はそれからというもの、時間さえあれば来てくれるようになった。国の中心が回っている軍の施設の地下に存在している存在しない区域に何度も入るのはあまり良くはないことだったが、アスランと一度来ていて私の友人だと言えばさほど問題になることはない。そもそも問題にしてここが公になる方がもっと問題なのだ。地下に広がる草原と造られた空と一軒家は宇宙空間にあるはずが、柔らかな重力を持ったように穏やかだった。上では敵をどう殺すか会議が行われているというのに、草木は人工的な風に揺れて花の香りがする。ここはそういう浮世離れした世界だった。それを現実世界にしたのは彼だったと確かに思う。私は彼に会うかもしれないと毎日、平和な娘のようにワンピースしかない服をあれこれと悩んで選んでいた。唐突な3度目の来訪を告げたのは彼ではなく彼が運んで来たものだった。

「わ、あの、これって……。」
「珍しいでしょう、犬です。」
「犬……。」
「地球の日本で愛されていた柴犬という品種らしいですよ。譲り受けたんですが、僕の家では買えないので貴女にと思いまして。」

手のひらにギリギリ収まらないくらいの大きさの犬は草原を暴れるように走り回っている。彼の母が動物アレルギーだったことが判明して露頭に迷う所だったこの犬を私ならいいと思って運んできたのだという。この時代に動物を飼う人はあまりいない。人工知能の付いたロボットなら持っている人がいるがこういった普通の動物は凄く珍しいものだ。

「……どうして、私に?」
「えっ!えーっと……、貴女が1人だと寂しいかなと思ったんです。僕はこれから暫く来れそうにないので。」
「戦場に行かれるのですか。」
「はい。それに!柴犬は番犬として置いていた家もあると聞きました。この子は僕の代わりに貴女を守ってくれると思います。」

それではまるで自分が守りたいが出来ないから代わりにこの子に任せるといっているみたいで、意味は守りたい、ただそれだけのようだ。彼は自分が何を言ったのかすぐに理解し、口元を押さえて耳を赤くさせた。

「す、すいません……。変なこと言いましたね。貴女を守ってくれるなんて。」
「いいえ、ありがとうございます。本当に嬉しいです。それと私の名前はナマエです、ニコル。ナマエ・ミョウジ。」
「あ……はい、ナマエ……。」
「なんでしょう、ニコル。」
「呼んだだけです。ナマエは意地悪な人ですね。」
「褒め言葉として受け取っておきます。」

そうして彼は戦場に向かっていった。柴犬の名前は彼の名にして何度も呼んだ。ニコルは彼のように大人しく従順な性格の子で、躾をするとすぐに覚えて手がかからなかった。彼からは通信制限されているこの空間に直接連絡が来ることはなかったが、贈り物のニコルの餌と共にメッセージが2度送られて来た。どちらも元気かどうか、近況を報告するもので私からの返事がないことを不審に思う内容はどこにもなく、私の体調を心配するだけのものだった。私も返事を書きたい、そう申し出たが呆気なく却下されてしつこく言えば彼が来ることも制限されるかもしれないと強気で出られなかった。それが悔しくて苦しくて不安そうに鳴くニコルを抱き締め、眠る日々が続いた。 そうしてニコルが最初に見た時よりも1.3倍くらいの大きさになった頃、彼は突然やって来た。

「ただいま戻りました、ナマエ。」
「……本物の、ニコル?」
「はい、そうです。」

和かに微笑むものだから心配で不安でやはり寂しかったのは私だけなのかとボロボロ涙を流しながら真っ直ぐ立つ彼の胸に飛び込んだ。予測出来ない行動だったからか、数歩後ろに下がったあと、泣き続ける私の頭を黙って撫でてくれた。
1人で住むには広い家のリビングで温かい紅茶とお菓子を出すと美味しそうに味わってくれていた。椅子に座り、膝上のニコルを撫でる彼は少しずつ別れてからの話をする。
彼は戦闘に勝利して帰って来たらしい。友人が数人亡くなったのだと哀しそうに語ったがその瞳に涙はない。彼らの分も戦うと意思が篭っていた。彼は家に帰る分を除いて1週間以上の暇があるからとその間毎日来る約束をしてくれた。家族のために戦うと決めた彼がその家族との時間より自分との時間を選んでくれたのは嬉しかったが複雑過ぎる。

「本当に良いのですか、家族と過ごさなくても。」
「はい。どうせ、無事で良かったと母を泣かせてしまうだけですし、父からはこれからも頑張れと言われるだけです。」
「しかし…………。」
「家族の為に戦いを選びましたけど、今は何だかナマエのそばにいたいんです。ここにいた方がいいと思うんです、何故でしょうね……。こんなに穏やかなのは久しぶりな気がします。」

いつ命が絶えるかも分からない緊張感の中で彼は生き抜いて来た。殺さなければ殺される。死ぬかもしれない、死にたくない。その恐怖からか、彼はふっと意識を遠くに眠ってしまった。賢いニコルは眠りを感じ取ったのか静かに彼の膝を降りて私の足元に擦り寄る。毛布をかけてあげると彼の寝顔は何も知らない子供のようだった。
こうやって何かを一緒にする訳でもなく、楽しく話す訳でもない。ただ今を見つめて共に過ごす、それだけで気持ちがずっと穏やかになるのは初めてのことだった。まだ数える程しか会ったことがないし、過ごした時間も数えれば短いと言えざるを得ない。顔を見た回数や時間を超えて長く一緒だった友人のように優しい時を過ごせる彼にどうしようもないほど惹かれてしまうのもまた、時間の問題だった。彼は宣言通り次の日もやって来た。しかもピアノを持って。グランドピアノを運び入れた彼は、ラクス嬢の「静かな夜に」をアレンジして弾いてくれたり、有名なクラシック曲を聞かせてくれた。眠たくなる音楽ではなく感動的で脳が心が揺さぶられるようなメロディに拍手を送ると彼は恥ずかしそうだった。

「ナマエも弾いてみてください。」
「幼い時に少し習っただけで、下手ですし、笑いませんか……?」
「笑いませんよ。」

ドドソソララソ、きらきら星を拙い指使いで弾いていくと彼は楽しそうに笑っていた。

「笑わないって言いました!」
「ごめんなさい、あまりに必死な顔だからっ……。」
「やっぱりニコルが弾いてください!私は歌いますから!」
「もしかしてラクス嬢の曲ですか?」
「それだけなら自信を持って歌えるんです。」

彼は、不思議そうに私を見つめたあと、アレンジしたのを歌と合わせるため更に音を変えた伴奏を弾く。ここに来る前何度も彼女と共に練習させられたのだ、体が自然と覚えている。歌っていなかったブランクと才能で、本物の歌姫と比べ物にはならないほどの歌声だったが彼は相当驚いた様子だった。上手だと褒めたあと、僕はナマエの方が好きですと愛を告白するように言った。また恥ずかしいことを言った自覚があったか、しばらくして顔を赤くしたけれど、それ以上に私は真っ赤だったと思う。
彼は期限の1週間のうち、6日目の夜にここに泊まった。宿泊者など許されないと思っていたが申請はすんなり通って彼は秘密ですと、申請が通る秘策を教えてはくれなかった。その夜、彼は年相応の恥ずかしさをどこかへ置き去りに一緒に寝ようと布団に潜り込んできた。追い出そうとしたが腕を絡め取られてしまったので仕方なくこのまま朝を迎えることを覚悟した。繋いだままの手が燃えるように熱いことを彼もよく分かっていたのだと思う。

「……ナマエ、まだ起きてますか。」
「はい……。」
「僕はまた戦場に行きます。家族と、ナマエとニコルを置いて。」
「はい……。」
「僕は絶対に戻ってくると約束出来るような立場じゃないことくらい分かってます。前線で戦う身でそんな約束は貴女を苦しめるだけだと。」
「はい……。」
「それでも約束したいんです。貴女を必ず迎えにくると、 いつか戦争が終わって安心して暮らせるようになったらきっと、きっと迎えにくると。」
「……私は罪の子です、赦されるか分かりません。私の方が貴方と約束出来る立場ではない。」
「ナマエは、何も」
「それでも約束しても良いですか?迎えにくるのを待っています、と。」

私がここに閉じ込められている理由を彼は一度だって問い詰めたことはない。時折零す私の言葉から全てを察して、探らないでいてくれる。それが彼が他人とは違う証拠であり彼の優しさだった。彼は手をぎゅっと握り締めるとそのまま自分の方に引き寄せて私を抱きしめた。恥ずかしい気持ちと優しい気持ちと愛おしさで、近づいて香る彼の匂いを思い切り吸い込んだ。

「……約束します、ナマエ。愛してます、貴女を。」

愛を告げられたのは一体いつぶりだろう。生まれた瞬間にどの子も言われる親からのそれ以来ではないだろうか。ずっとずっと否定されて生きてきて、私の人生にはもうないと思っていた全てを彼は与えてくれる。自然にあふれた涙を彼は少し身体を離すと拭ってくれた。そんな彼の瞳にも涙が浮かんでいてどうしたら私達は泣かずにいられるのだろう、そう思った。愛を語るときですら笑顔を浮かべることができない私達の愛は涙で濡れるだけでないはずなのに、泣くことが全てだとそれしか出来ない。キスをしましょう。彼は泣きながらそう言って唇を重ねた。何度も何度もくちづけをして、舌を絡めて、背中にあった彼の手が首筋に回って肩から降りていくのも厭わず、この時間が永遠であれば良いのに、と泣きながら願った。

目が醒めると人工的な太陽は昇っていて彼はもういなかった。昨夜がまるで幻で、服の乱れがないのは、彼が初めからいなかったことのように感じてしまう。彼はここにはもう絶対にいないはずなのに探しにふらふらとリビングに入る。その時にふと見た窓ガラスに映った私の首筋には沢山の痕があった。それでやっぱり夢ではなかったと安心したのはどうしようもない。外に出るとニコルがそばに寄ってきてひとつ、鳴いた。そしてついて来いと歩いていくから素直にそれに応じた。 徹底的に管理されたこの空間に雨は降らない。哀しみを流す雨はもう何年も知らない。そういうと彼は晴れが永遠に続いているから外にもピアノが置けて羨ましいと笑った。哀しみをもう知らなくていいからとも言った。私は彼といる時自分の立場も過去も全て忘れて幸せになれた。幸せを連れてきた青い鳥は私にとって彼だったのに、哀しみを告げる大降りの雨も彼だと今日まで知らないふりをしていた。
裸足のままで彼が私のために持ってきて弾いたピアノに近づく。閉じられたピアノの上には小さな箱とメモがひとつ置いてあった。震える手で、それを取って見ると「ナマエへ 約束です」とだけ書いてあった。箱をあげると彼の髪色の宝石がついたリングが入っていて、ぼたぼたと頬を伝うそれを拭った。彼は何処かで自分がいなくなる予感があるのかもしれない。もう私には会えない予感がしているのかもしれない。それなのにこんな風に残していくなんて貴方の方が狡いと思う。嗚呼でも私の方がきっと狡いのかもしれない。彼のコートのポケットに忍ばせた懐中時計に気付いても、私の髪で編んだ小さな糸が入っていることに彼は気付かないだろう。私との時を忘れないで約束を果たしてと懇願するような女の狡さを彼は笑って許してくれるだろうか。御守りになっていれば良いと都合の良い後付けに全ての願いが在るなんて、誰も思わないだろう。
ニコルが器用に椅子からピアノの上に飛び乗る。そうして座ると私の方を見つめて小さく鳴いた。彼がさようならともありがとうとも言わなかったことが彼の絶対的な約束であると不安な心で信じることしか出来なかった。


星も降らない静かな夜に
愛しあったぼくたちの狡さ



△▽△

20161120
本編で生きてて欲しかった人の1人. 続き有り
BGM. Flavor Of Llfe/宇多田ヒカル



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