「え?そうでしたっけ……。」

素っ頓狂な声を上げてしまったのは、今日の夜に親父さんが地域の集まりに出席するということを忘れてしまっていたからだった。私と親父さんは食事を一緒に取っていて親父さんは頻繁に飲みに出かけるような人ではないため、ほとんどひとりになることはない。しかし今夜はどうしてもひとりになることを病気のせいで記憶の外に放り出してしまっていた。
親父さんは眉を下げて心配そうにすまねぇと謝る。謝るのは忘れていたこちらの方だ。これだからメモしておけばよかったのに。カレンダーに記された小さな米印が、予定有りのマークだったならもっと分かりやすくして欲しいと記した当時の私を攻めた。頭を抱えている間に時間は過ぎて、6時半にはもう行かなければならないから親父さんは急いで出かけてしまう。気をつけてと見送ると私は店の施錠を確認し、中で繋がっている住居の居間に座り込み溜息をついた。
晩ご飯、どうしよう。
ひとりだけなので簡単に済ませてしまってもいいが、それすら面倒になってしまった。反対に自由を利用して外で食べるのもありだが、この1年外食したのは土方さんと総悟くんと行ったファミレスくらいしかない。女ひとりファミレスでも大丈夫なたちだが、今日はどうも全てが面倒な気分のうえファミレスという気分でもなかった。

そうして私に思い浮かんだ案は、お酒を飲みに行こうということだった。最も面倒な案だが、飲んだくれの彼が来たからだろうか。そういえばこの世界に来てお酒を飲んだ覚えがない。向こうの世界の時には友人達と時々いや頻繁に飲みに出かけていたというのに。考え始めるとお酒を飲みたいという気持ちは止まることを知らず、財布と携帯、その他を適当に巾着に入れて夜の江戸に出かけることにした。
昼間の賑わいはそのまま夜も続いていてかぶき町の方は特にそうだった。赤、黄、青のネオンがじりじりと輝いていて昼と変わらない明るさを保っている。昼間歩いたことのある場所のはずだが、時間帯が変わると全く違う場所に見えて迷子になりそうだ。誰か美味しいお店を知らないだろうか……。こういう時に普通の友人がいない私は困ってしまう。北斗心軒とか行けたらいいのに。そんな都合良くお店が分かるはずもなく、適当にどこかにしようと決めたその時だった。

「わ!」
「…………坂田さん?」
「よ、花梨何してんの?」

突如、肩を叩かれ後ろを向くとそこには先程別れた彼がいた。あんまりいきなりのことで、一二歩後ろに下がるとそんな避けんなよ、と笑った声がする。夜の街でキラキラしている銀髪は目立つなあ、と呑気なことを思った。お店での関わりしか持たないつもりがもうこんな風に出会ってしまった。歩いていて偶然出会ったなんて今までは全くなかったのに。まるで病気になってから運命が変わり始めたようだ。

「夜1人で歩いてあの親父、大丈夫なのかよ。」
「……今日は外でご飯を食べようかと思いまして。」

女ひとりで歩いているところではなく、親父さんから言われることを心配する所が彼らしい。だからモテない男なのだ。
会話が途切れそうになる前に、いつもは親父さんと食べてるんですけど今夜はいらっしゃらないので、と付け加える。彼は少し驚いたようにした後、ふと何かを思いついたかのように笑った。

「へぇ、そうなんだ。じゃ、俺と食べる?」
「え……?」
「俺も今日1人なんだよね。1人で食べんのもあれだし、一緒行こうぜ。」

軽く首を傾げていった彼の言葉に私は頷けなかった。まさかのお誘い。彼は気まぐれな人であり、また考えて行動する人であるが、今回は恐らく後者だろう。大方想像がつくのは飲み代がない……といった所だろうか。ほぼほぼ初対面の人に奢らせようとするその神経は置いといて、そんな風な態度が取れることがまず凄い。まあ、そうやって出来る人脈が彼を支えるひとつの柱なのだろうけど。と、考えられることを考えたのち、1番大切な彼の誘いについて頭は働き始める。寄り道してしまう思考がいけない癖だとは分かっているが。
さて、私が彼の誘いを断る理由はどこにもない。先程までの考察通りだとしても2人分のお金がないわけではない。1人で食べるよりも2人で食べた方が美味しいことはよく知っている。それに、

「あーもー、考え込むくれぇなら行こうぜ。花梨ちゃん。」
「えっ、ちょっと、待ってください!」

どうして分かったのだろう。
ここまで頭の中をうろうろしながら考えていた時間を計れば僅か3秒ほどしかないはずだ。それくらいとても短いことなのに、彼は目敏いようで私の腕を取り真っ直ぐ進み始めた。
取られて触れる腕のあたたかさが、存在を確かめる熱となって身体を巡る。駆けて歩くような速さで進められる足に着いていくのが精一杯で、行き着いた場所がそこが飲み屋の前であることに気付いたのは立ち止まって数十秒してからのことだった。

「わり、俺速かった?」
「まあ結構……。」
「ごめんって。そんな睨むなよ。」

けらけらと笑うように話す彼は見たことがないように思う。描かれているときの彼はボケているか、つっこんでいるか、真剣か、哀しそうか、の単純な表情ばかりだった。それなのに今現実として、人としている彼の顔は複雑で読みづらい。けれど中身は単純なのだろうと思う。そうでなければ、彼ではない。
飲み屋に入るとそこの女将らしき人が笑って彼の名を呼んだ。それに付随して彼もそして他の客も騒ぎ始める。かぶき町で長く生きてきた彼のコミュニティは広い。信頼と少しの呆れと、彼に対するかぶき町の人々の思いは強い。何でもあり、の豊かな町だからだろうか。戦に疲れ果て何もかもを失ってしまった彼には丁度良かったのだ。全てを受け入れ、決して邪険になどしないこの町。私もここに飛ばされたなら何か違ったのだろうか。結果として土方さんの元にお世話になっている身としては別にもう関係のない、どうでも良いことだけど。周りの人に彼女か?と茶化されながら、彼はお酒と唐揚げ定食を頼み、私も同じものを頼んだ。
女将さんはただ笑って一升瓶とグラスを2つ置いた。

「え、酒飲めんの?」
「はい。普通に。」
「嘘ォ、成人してねぇと思ってたわ。」
「そうですか、もう随分前に十代は終えましたけど。」

どうやら彼は私を未成年と思っていたらしい。若く見られることは嬉しいが、それはそれで問題がある。未成年を居酒屋に連れてくるなんてどうかしている。キャバクラで働いているお妙ちゃんが未成年だから感覚が鈍いのだろう。一升瓶を持って彼の持つグラスに傾ける。会社の飲み会では常にこういうことをしてきた。慣れているからか、彼はじっとこちらを見つめていたけど知らない振りをした。
暫く話題は自分達の自己紹介になった。彼のことは私は知っているが彼はそのことを知らない。やはり私が知り合って間もない人だからか、彼は自分のことを多くは語らずに自分の仕事がどういうことかや一緒に働いている2人話になった。それも尽きると強制的に私のことを聞かれるので、違う世界から来たことと真選組と関わりがあること、病気のことは口に出さなかった。
彼は酔いが回ると表情筋が崩れ、原作の通りグスグズになった。だから6股にされてしまうのに。私は彼に言った以上に酒に強いので同じペースでも顔の色さえ変わらない。アルコールが回って多少ぼうっとしつつも、にへらと笑う彼を見て多少口角を上げた。彼とお酒を飲むのは楽しい、何も考えずに済むからだと気付いてしまったから多分もうこうしてグラスを交わすことはない。

「でさぁ、吉原の百華の頭が酒癖悪いの何の。殴られるわ、蹴られるわで散々だっての。あれが夜に輝く月とかありえねぇー……。」
「月読の 光りに来ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに」
「ん?」
「知ってますか、万葉集。」

彼は先生から様々なことを学んだはずだ。教えてもらっている時居眠りをしていたとしても、きっと心に残っている。突然話を切ったせいで不思議そうな顔をしながら、彼はあーそれね、と言った。

「何だ、月明かりがあるから山越えて早く来いってヤツだろ。」
「はい。この歌が私1番好きなんです。」
「へぇー、花梨って意外と乙女?」
「意外……ですか?この歌には返し歌もちゃんとあるんですけど、それは悲しかったので覚えてません。ただ、」
「ただ?」
「この歌の女性は想い人には会えず、朝を迎えることはなかったでしょうね。朝日が彼女の瞳に映ることはなかったと思います。」

彼は酔った目を一度大きく開いて、そうか、と言った後にグラスの酒を勢いよく流し込んだ。その後、まるで歌の話は無かったように他愛もない話をして家まで送ってもらった。別れる間際に彼が何かを呟いたが、それが何かは分からなかった。酷く哀しそうだったことしか、月明かりで私には分からなかった。


月下美人は薄明を見ない

はかない恋
A queen of night



20161219



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