世界を飛び越えてから1年。とても平凡で危なさなど欠片もない生活にもようやく慣れてきた時だった。
私を救ってくれてお世話になっている人達の前で私は花を吐いた。


目を開けた瞬間に違う光景が広がっていた。アスファルトとコンクリートの壁があった世界が、まるで三百年前戻ったように低く広い空があった。紙の上の中でしか見たことのないその光景は腕に当たる風とその匂いと感じる視線で夢ではないのだと気付く。
私はどうやら全く違うところに来てしまったらしい。
頬に触れて地面に落ちている髪の色茶に染めていたはずでこんなに黒くなかった。それに顔に触れた感覚が目鼻立ちが明らかに違う人のものだ。服装は着物を着ていて帯が少し締め付けて苦しい。

少し冷静な、ここで慌てて泣いたり叫んだり走り出したりしない自分が不思議だった。人は容量を超えると何も出来なくなるらしい。痛い視線を浴びながら前を通る人々を見つめていた。
一体、ここはどこだろう……。

「おい、お前何やってる。通行人の邪魔だ。」

真っ白になりつつある頭に飛び込んできたのは、現実では見たことない姿をしたものと聞き覚えのある人の声だった。

「……土方、十四郎?」
「あァ?なんでお前俺の名前知ってんだ。」

紙と画面の中でしか見てなかったその人は確かに存在していた。黒の制服、V字と笑われる髪型、開ききった瞳孔。イケメンとされる鬼の副長。彼は現実世界にいた。


そうして私は銀魂の世界に飛んでしまったのだと気付いた。友人に勧められて漫画とアニメの両方を見ていた私はこの独特の世界観にはまっていた。周りに同じように見ていた友人は多く、誰が一番好きかなんて高校生に戻ったように話していた。皆が副長とか晋助様ぁとか言う中で私は唯一の銀さん推しだった。ちゃらんぽらんだけど格好良いあの人に憧れていた。私にはあんなに夢中で走ることは出来ないから。
単行本を読んでいた私は真選組が江戸を去るところまでしか買っておらず早く買わなければ送ると思っていたのに、その本を買いに行く途中で周りは一変したのだ。

当然家なんてないし、戸籍すらない。定型の話なら何故か戸籍があるのだろうけどそんな当たり前に不思議は起こらない。私は見知って見知らぬ土地で存在してはならない人だった。ついでに姿形を銀魂仕様にしてくれたのは良かったが。
とりあえず面倒過ぎる私は土方さんに連れられて真選組の屯所に行き、事情を聞かれた。ありのままを話せばふざけてるのかと言われたがその後やってきた山崎さん(名前を呼ばれていたし顔に覚えがあって確かに地味だったから)にどこかの天人が何かを使ってどこからか何かを呼び寄せたらしいことが分かった。
私にはよく分からなかったが、呼び寄せた何かが私だったとか。話の内容にも納得がいったのか、土方さんはすまねぇと謝った。鬼の副長に謝られるなんて恐れ多かったが事情聴取中は怖かったのでありがたく謝罪してもらった。

私はこの世界にいなかったもので家も家族も仕事もない。そんな私に土方さんがそれらを用意してくれた。跡継ぎのいない団子屋さんに住み込みで働けるようにしてもらったり戸籍を作ってもらったり。それはもう、一生感謝しきれないことばかりしてもらった。最初から私の居場所がここにあったかのようにしてもらえた理由は、世界が変わってから半年後に教えてもらった。
私を呼んだ天人の技術では元に戻せず、今後私が生きている間に元の世界に戻ることは不可能らしい。だから土方さんは罪悪感とせめてもの償いでやってくれていた。
何も持たない私にこれだけのことをしてくれた土方さんは鬼ではないな、と笑ってしまったのは秘密だ。団子屋の親父さんも一緒に笑っていたけど。
元々土方さんは団子屋さんの常連客で、真選組も近いから隊員の人は多く来る。古くからあるこのお店は高齢の親父さんの代で終わるかに思えたが、そんな時身寄りのない私が丁度良かった。団子屋は閉めずに済むし私も生活基準が出来る。フォロ方の異名を持つ彼はさすがだ。

元の世界にいる兄のように接してくれた土方さんは今の世界での兄のように思う。他にも総悟くんは弟というより友人だし、山崎さんも良い仲間といったところ。真選組の皆さんは初め私が副長の女と思っていたらしいが誤解が解けた今、常連客になっている。
お妙ちゃんはしつこい客に絡まれていたところを助けてもらった時以来仲の良い女の子の友達で、九兵衛さんもお妙ちゃんから紹介してもらった。近藤さんに会ったのはやはりお妙ちゃんに会った後だ。ストーカー本当にしている。
新八くんも神楽ちゃんもお妙ちゃんが連れて来てくれて仲良くしてもらっている。彼らは良い子で、あんなブラック職場で働いているとは思えなかった。まあ様子を見る限り満足して楽しいんだろう。

かぶき町は遠くもない。近いわけではなかったけど、こうも主要のメンバーに会えるならきっと銀さんにも会えるはずだったのだ。しかし1年経とうとそんな気配はない。例えどんなに誰かの話で名前が出ても会えるわけではないのだ。ストーリー上、万事屋の名前を呼べば何かしら起きるはずなのに。桂さんにもあったし町でちらりと高杉さんも見た。

どうして、私はあの人に会えないのだろう。

そんな思いが日々募っていったことが、いけなかったのだと思うのだ。

「あ、土方さん。いらっしゃいませ。」
「よォ。みたらし2つ。」

隊服を着たままということは仕事の合間なのだろう。土方さんは総悟くんとは違い、サボることはないから休憩だと思う。親父さんに注文を伝えに行き、急いで持ってくる。仕事中は一分一秒大事なことを知っている。

「最近は攘夷志士の動きも少ないですね。町が平和で何よりです。」
「まぁな。俺達も仕事がねぇよ。……ところで、まだ会えねェのか。」
「はい。姿を見たこともありません。」
「俺なんか昨日定食屋で一緒になっちまったぞ。いい加減会いにいかねぇか。」

何度か一緒に行こうと言われたがそういう風に会うのはどうしても嫌だった。あの人はきっとそばに行こうとすればするほど遠ざかる。1回だけ万事屋に行ったことがあるが、その時も何故か彼はいなかった。これはもう、何かしらの運命が働いているのだろうと自分から行くのはやめた。
土方さんは眉間にしわを寄せてみたらし団子を頬張る。

「大概お前も頑固だな。運命なんざ信じちゃいねぇが、お前見てると不思議と信じちまう。」
「そうですか?ただの乙女チックな良い頭ですよ。」

自虐するとクスクス笑う声が響く。笑っていると喉の奥に違和感があってこほっ、と咳が漏れた。二度、三度と咳は出る。

「風邪か?大丈夫なのか。」
「いえ、そうじゃないんですけど……。ここ何日か、ずっと出てて。」
「親父!花梨休みにさせてやれ!」
「土方さん!」
「おうおう、今日は客もすくねぇから問題ねぇぜ。」

親父さん、と叫ぶと壁の向こうから顔をひょっと出した親父さんがニヤと笑った。暗に休めと言われているのだろう。はあと溜息をつこうとする間も咳は止まらない。

「病院行くか。医者に診てもらえ。」
「うっ……すいません。」

土方さんの食べ終わった皿を片付けてから保険証とお財布を取って行こうと、皿を取り方向転換した時。
喉奥から何かがこみ上げて来て、ゲホッと息が出来なくなり、膝をつく。
おい、と土方さんの声が遠くで聞こえる。咳というよりは嗚咽のように息が漏れて生理的に涙がたまる。
ゴホゴホと口に手を当てると手に何か当たった。

「…………え?」
「……おま、まさか………。」

手のひらにあったのは紫色の花びら。驚くよりも先に花びらが口から零れ落ちる。咳がようやく収まった時には辺り一面紫色だった。
これが、治る見込みの薄い「花吐き病」であると知ったのは意識をなくし病院のベッドで目が覚めたあとだった。


ニゲラの憂鬱
夢の中の恋
Love in a mist



20161010



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