四年前の私が今の私を見たら多分最低だと冷ややかに言うだろう。
進学先を東京の大学に選び、そこに高校時代からの知り合いがいたことが私の最低の始まりだったように思う。出会い頭二人であ、とハモったことは今でも笑える話だ。

「夏ー、俺の下着どこやった?」
「洗濯物の中にないなら外に干してると思うけど。それでも無いならノーパンで過ごせ。」
「酷くね、俺にノーパン要求とか。欲求不満ですかー。」

昨夜それは解決したので構いませんと言えばそういうこと言うなと苦笑いされる。どうせ貴方しか聞いてないので別に女気取る必要性はないんだけど。外と中のギャップが酷過ぎて別れた男は数知れず。唯一許してくれる男がクロだっただけだ。

そういう大人の割り切った関係になってしまったのには深い理由がある。
たまたま同じ大学同じ学部になったクロは高校の時遠征で訪れた学校のバレー部キャプテンをしていた。私はテニス部で本当なら関わりのない人だったが、飛んで行ったボールを探しているとそのボールを拾ってくれたのが彼だった。そこから少しだけ話をして別れたはずが、次の日もまた会ってしまい彼から運命だと言われて連絡先を交換した。東京から帰ってきてクラスメイトにその話をするとその人がうちのバレー部と縁の深い学校の人だったことを知る。ゴミ捨て場の決戦?とか古い付き合いらしくてそれを言うと知っていたと笑われた。教えてくれれば良かったのに、どうやら彼はいじめたがりの人間だとそこから知っていく。

同じ学年だったことと趣味が似ていたことで連絡は良く取っていて遠距離友情が生まれていた。私が東京の大学に行くことになり彼に報告して移動して来た日に会い、それだけだったのに、まさか同じ大学同じ学部。付き合いがまだまだ長くなることを受け入れたらいつの間にか大人の関係になっていた。

「……クロって夜エグいよね。」
「急になんだよ。そーゆー話するタイプじゃなくない?」
「いや今まで長続きしない理由を探してたらそうなった。クロは寝癖以外の見た目と性格もいいのに一年と持たない理由はそこしかないかなと。」
「そういう夏は割り切り過ぎて長続きしないよな。彼氏のことを彼氏と思ってねぇ感じ?」

お互いに昼から始まる講義を取っていてゆっくりブランチを食べながらそんな話をする。悪い所を探せば簡単に見つけられる自分達が馬鹿すぎる。互いに見た目も中身もそう悪くはないはずなのに恋人だけは上手くいったことがない。彼の方は高校時代に二年ほど付き合った子がいたらしいがいろいろあって別れたとか。多分夜の方面で耐えきれなくなったんだろう。アレは流石の私も引く。彼氏を正しい認識で見れていないであろう私も私だが。所詮は思いを伝えて体を重ねてそれ以上でもそれ以下でもない関係だろうと幼い頭で考える。だから続かないんだ。

「あー……今日終わったら暇?」
「ヘルプで合コン入ってる。無理。」
「キャバ嬢か。ヘルプ言うな、そして目の前に男がいるのに合コンとか言うな。」

付き合ってる訳でもないのに?問いかけは言葉に出来ず飲み込んだ。クーラーの効いた部屋の陽射しは心地が良い。窓からここまで伸びてくる太陽の光に少し冷たくなった心を溶かした。

「そういうことだから特別何かあったら連絡して。少ししたら出れると思うから。」
「夏も狼に襲われそうになったら連絡しろよ。お前まだビッチじゃねーんだ。」
「まだって何よ。これからなる気も予定もないんだけど。」

サラダのレタスを口に入れながら睨みつけると、どうだかと肩を竦めた。一応同時に付き合わないようにはしているし、いない時は多少自由だがワンナイトはない。大人らしく上手に付き合いをしている。クロの方が先に用があると出掛けてしまって私は後から鍵をかけて出る。二人で暮らすこの部屋は同棲というよりシェアハウスだ。まあ男の女のそれは行うけど。他の人を連れ込むことはない。決まりがある訳でもないのに二人共しようとしないのは変な意識があるからだった。

大学に行って友人に会うと今日は大丈夫かと聞かれる。彼女が合コンの誘いをした張本人でオーケーしたのはヘルプだから。今はクロとの付き合いがあるので、他の人とは何もない。恋人でもないのに他に染まる気はなかった。変なの。


午後十時。アルコールが脳内に染み渡り酔いに酔いまくった私は今どうしてかクロの背中にいる。バレーをやっている彼の背中は普通よりずっと大きくて逞しい。通常外で触れないその体温に意識は浮いていた。 「……なんでクロの背中にいるの?」 「お前な……、記憶無くすまで酒飲むなよ。連絡しても返ってこないから迎えに来た。まあ夏の友達に勘違いされてこうして帰宅途中だ。」

噂好きで私が話したことのないクロが気になってしょうがなかったのだろう。クロによると、友人はちゃっかり彼と連絡先を交換したのだという。さすが私の友。出来る女は辛い。

「ねえクロ。なんで、迎え来たの?」

何もないならそこら辺の道端に放ってくれていた方がマシだ。この薄着を通してあつさを感じるくらいならアスファルトの熱で溶けてしまった方が良い。期待するだけさせといてあとはご自由になんて一番酷なことをさせるクロが憎い。愛してるを通して憎すぎる。

「…………心配したんだよ。」
「え?」
「悪りぃか、心配したら。」
「いや、意外で……。」

酔った頭で正確な判断は出来ないが、クロは照れている。口調は荒いし歩く早さは上がった。ああ、クロも私を意識してくれてるのかな。なんて少女漫画的思考をやめにする。彼に似合うのは青春スポーツ漫画一択なのだから恋愛は似合わない。熱帯夜の中でどろどろに溶けるほどの甘さはいらない。この男は爛れた関係の酷い男であって欲しかった。歩けるか、と背中から降りても支えるように手を持つことなどあって欲しくない。手のひらから伝わる何かを感じて動揺しているのは明らかだった。言わないでおこう、言わないでおこうと胸深くに閉じ込めておいた想いをこじ開けることはしない。こちらが明けるまで辛抱強くクロは待つ。私が負けて悔しがる姿を甘く見つめるのだ。そういう男が、どうしようもなく好きだ。

「……てつろう」
「なんだよ、いきなり名前呼ぶなん」

握られていた手を離し、少しいやかなり高い彼の肩に手をかけ唇を重ねた。快楽を高める行為としては何度も何度もしてきた。だけどこんな風に外で軽い触れるだけのキスは初めてだった。これで満足する自分の心は単純だ。

「……ごめん、部屋出る。」
「…………なんで。」
「クロのこと好きだから。好きになったから出てく。」

泥沼に陥った関係にはいつか終わりが来る。そこがなくともそこで死なねばならない。私の恋心は沼の底で腐っていく予定だったから今こうして引き上げて燃やしても問題なんてない。涙なんて流す乙女ではないので、怒ったように睨みつけてクロの瞳を見た。彼は激しく動揺していて狼狽していた。私がそんなこと言うはずもないと踏んでいたんだろうな。好きになるような少女ではないと。
期待するだけ無駄だったのだと嘲笑う。しかし、それは違った。

「出て行く必要ねーだろ、好きなら。」
「迷惑でしょう?元々恋人なんて関係じゃないんだし。」
「…………普通何の感情もない奴と暮らしたりしねーよ。」
「は?」

言葉を理解したと同時に目の前は暗くなる。背中に当たる二本の腕は暑苦しいくらい暖かかった。

「ちょっと!クロ!」
「ったくお前はさ、会った時から俺の気持ちガン無視だよな。」
「はぁ?会った時って、」
「大体あんな頻繁に連絡する程マメじゃねーし、遠いやつと連絡取らねーし。正直同じ大学って分かった時スゲェ嬉しかった。」

これはどうやら私の耳がおかしいのかもしれない。だってこの人はまるで私が好きだというように話すのだ。あの最低で傾いた関係をしていた私に、だ。しかし、徐々に強くなる腕の力に嘘は見られない。

「あの、黒尾さん、」
「俺は初めから好きなのにふらふらして、どれだけ悩めばいいんだよ。わざとやってんじゃないのも腹立つし。マジで今度から縛る。縛って放置してお前が誰のものか分からせてやるわ。」
「そ、そんなプレイはちょっと、」

黙れ。低く心に響く声がした。唇に触れた何かはそこをこじ開けて口内に入ってくる。深く長いキスは息を切らす。回数を重ねた分だけ互いのいいとこも弱いとこも知っている。主導権を握るのはいつもクロだ。しかし、彼がこんな風に荒れるのは私のせいだと思うと私が彼を動かしている気がする。それだけ、互いを知り過ぎてしまっていた。


四年と一週間前の私が見たら幸せそうで気色が悪いと冷ややかに笑うだろう。私とクロはどこから見ても恥ずかしい立派な恋人達になっていた。

「夏ー、俺の下着どこやったー?」
「洗濯してたたんで置いたけど。そこら辺にない?」
「あー……あったわ。へぇ夏ちゃんは彼氏の下着でこーふんしないんですか?」
「その中身でしてるから大丈夫。」

からかう声に無駄に反応せず冷静に返すと逆にお前なあと非難の言葉が来る。結局のところ、クロ……ではなく鉄朗は高校時代から私のことが好きだったらしく連絡を取っていたのもそうだったらしい。私は徐々に彼を好きになったが彼は一目惚れとか。惚れた方が負けというが私達はどちらも惨敗している。この間までのどこか冷めた空気が生ぬるい暖かさになっていて若干気持ち悪い。鉄朗のあの告白にもあったようにいろいろ散々好き勝手にされているが、愛故に許せる。……バカだな。歪んでいた世界はいつの間にか正しく戻っていた。

それも愛故に、だろうか。


愛を送る傾斜六十度世界