死んだ彼は星になれただろうか。

彼岸花が咲き始める最近はやけに息苦しい。蒸した空気のせいもあるが、確実に花のせいだと思った。
血のように赤く。炎のように赤く。
どう転んでも彼を連想させざるを得ない赤い花が私の思考も平衡感覚も狂わせる。去年まで好きだった赤い花は、記憶の中に仕舞い込んで嫌いな花になった。
否。私は赤が嫌いに“戻った”だけだ。以前だってそうだったから好きになった時でさえ、服の色に赤はなかった。ひとつだけ彼に貰ったワンピースは赤い。嫌いなその色を身に纏った今日、この日だけは吐き気を覚えずに着られるのだ。明日着たら私は吐いてしまう。特別な今日だけ限定。
黒のヒールをコツコツ鳴らしながら階段を上がる。近くの花屋で買った白菊が腕の中でゆらゆらゆれた。残夏でぐわりと暑いために耳横を汗が通る。そのまま首、胸、お腹まで降りて服に滲んだ。ようやく上がれたな。体力の消耗の激しさに日頃の運動不足がたたる。息を整えつつ、目的の場所へと向かうとそこには青色の先客がいた。

「久し振り。伏見くん。」
「……夏さん。」


▽△▽


この二人が新しく入った子や。なぎさんからの簡単な説明に笑う。こんなに緊張感のない紹介も面白いがそれ以上にその新しい子の緊張が良く伝わってきてそこまでするか?と面白い。

「はじめまして。秋野夏です。よろしくね、八田くん、伏見くん。」
「よっ、よろしくお願いします……!」
「……どうも。」

赤くなって照れている子が八田くんで、無愛想に目を見てくる子が伏見くん。二人共高校に行かずこちらに来てしまったのだと聞いて勢いよく、なぎさんと王様を見つめた。

「……誑かしたんですか?また『溜まってるもん吐き出せる場所あるで』とか云々言って。駄目だって言ったじゃないですか、未来ある子をこっちに持って来ちゃ駄目だって。どう考えたって若過ぎるし、それに一応保護者って立場になるんですよ。」
「そないなこと言うとるお母さんみたいな夏がなってしもうたらどうや?」

にやにやと笑いながら、流暢な京都弁で話すなぎさんにイラッとした。

「責任転嫁しないでください!もう、一般人に力見せるなってあれ程言ってるのに……。この時期の子は一番ちゃんと支えてあげないといけないんです。じゃないと王様みたいな体たらくになります!」

ブハァッと吹き出した二人に王様はおいと顰めっ面だ。きょとーんとする新人二人とは大違いの爆笑二人はお腹痛いと言っている。ないわーとなぎさんが言う。そして、

「キングにそんなこと言えるの、夏だけだよ。」
「多々良だって時々言うけど?」
「俺はねー、別にキングの動向否定したりしないし。夏は悪いこと傷付けることは絶対許さないでしょ。その違いだよ。」

蜂蜜の淡い色をした流れる髪の毛と優しそうな顔立ちの彼も、珍しく爆笑だ。

「とりあえず俺の自己紹介しとくけど、その前に夏は俺の彼女でキングと草薙さんの妹分だから手出ししたら命はないと思ってね?」

十束多々良、よろしく。
脅したとは思えないほどにっこり笑った彼に新人二人はびくっと肩を揺らした。私としては彼女として紹介され、牽制をすでにかけてくれているなんて大事にされているんだなと多々良の束縛に感動していた。普段あまり気持ちを前に出してくれない人なので不安になることは多い。彼の見た目は誰が見ても良いものだから寄ってくる女の子も少なくなくて、泣きそうになる。
そんな彼が自ら言ってくれたのだ。

「……多々良っ!!」
「うわ、珍しいね。人前で夏がくっつくことなんてないのに。」
「いろいろ嬉しいから。本当に、好き。」
「えー、それ言われたら俺も好きって言うしかなくなるね。」

照れたように笑う彼に私も笑う。女の子に近い華奢な体で抱き留めてくれる力強い彼に胸の奥が音を立てた。

「あ、あれ、なんすか……。」
「……まあほっとき。バカップルの戯れや。」
「はぁ……でしょうね。」


△▽△


正直な話、伏見くんが来ているとは思わなかった。制服姿でしか会うことがなくなった彼の私服を見るのは何年かぶりで懐かしい。

「花、持ってきてくれたんだね。ありがとう。」
「いえ。別に。」

言葉は少ないが、何も思っていないわけじゃない彼は、初めて見たその時と変わらぬ優しい人だ。
墓とその周りを掃除し、花を添えて、線香をあげる。一連の動作に伏見くんが加わったことで普段より随分早く終わった。

「……あれからもう随分経って、どう?ちゃんとご飯食べてる?」
「相変わらず親みたいですね。夏さんは、赤はどうなんですか。最近、動きがないんで。」
「草薙さんは調べに行ったからバーはお休みしてるし、八田くんは……荒れてるって言ったらいいかな。」

タブーになってしまった彼の唯一の味方の話をすると至極興味なさげに視線を墓に向けた。

「多々良はね、伏見くんのこと気にしてた。赤を離れて青に行く原因に、多少気付いてはいたけど何も言わなかったし。……原因をはっきり聞いたのが、私だったっていうのもあるだろうけどね。」

彼女は困ったように口角を上げた。蝉が鳴くその音がやけに耳に響いて、彼女の表情をよく見れなかった。
俺が青に行く時理由を話したのは彼女だけだ。母親のように優しさを振り巻いていつも公平だった彼女には話さなければいけないと思ったからだ。案の定、公平に、好きにしたらいいと言ってくれた。優しい彼女が、理不尽な王に苦しめられることになるとはあの時の俺は考えもしなかった。
王に惹きつけられて、十束さんと結ばれて、そして大事な両方を王に奪われた。それでも優しい彼女の心の行き先は誰が知っているのだろう。
もし俺が赤に残っていれば、彼女は憂うことなく今も純粋に笑っていれただろうか。いや、考えるのは野暮だ。何をしたって過去は変わらないし、防げたかも分からない。ただ、俺も彼女も道を歩んでいるだけだ。


▽△▽


「明日はアンナの誕生日だね。楽しみだなあ、パーティ。」
「料理は草薙さんと一緒に作るんでしょ?」
「そうなの。喜んでくれるといいんだけど。」

HOMRAから二人、明日のためにビデオを撮りたいと言う彼のためにビルの屋上を目指していた。十二月にもなって凍えるような寒さが襲うようになり、コートが手放せなくなり始めていた。赤の力を使えばあったかい所かあつあつになるのだろうけど、そんな無粋なことはせず寒いねと言いながら階段をのぼる。片方にカメラもう片方に私の手を持ってあがる彼の顔は綻んでいて、何でも楽しむ性格の彼が特に楽しそうにしているのが分かる。
アンナは人をあまり得意としない。けれど、赤のクランのメンバーは特別で大事で大事にしている。当然のように大人の意地汚い所も何もかもをあの小さな体で見てきたのだ。哀しい少女は今、大人になろうとしている。それを喜ばないわけがなかった。

「……伏見くんもいたらよかったね。」
「夏。それは駄目だよ。伏見の決意無駄にする気?」

分かってる、とだけ返すが本当は今頃不貞腐れながらも楽しそうに輪の中にいるはずだった。彼の青での生活が良いものだと送り出した方として安心できる。八田くんも復讐心にも似た執着をしているが、どうか二人が元に戻ってくれるといい。あの夢を語って楽しそうな二人に。

「夏、俺といるのに他のこと考えてたでしょ。妬けちゃうなあ。」
「多々良のそばにいるから他のこと考えるの。だって多々良のことは一番私が分かってて、そばにいられるのは私だけだから。」
「そんな風に考えてるって変だね、夏は。」

そう言いつつ嬉しそうな彼の顔は、何度見たってドキリとさせられる。この人を好きになったのはその優しさもだが、奥に秘めた苦しみに触れて初めてそばにいたいと思った。誰にも見せないそれを見せて欲しいと。改めて好きだと思えるし、好きになって良かった。この幸せな気持ちをずっと抱えていたい。

「アンナにもいつか好きな人が出来るといいなあ。」
「そうだね。彼氏を連れてきたらキングは娘はやらん!とか言いそうだし、草薙さんは彼氏の見定めしそう。普段とは逆の二人が見れそうだ。」
「あはは、それ浮かんじゃう。ん……あれ?どこ行ったんだろ。」

首につけていたはずのネックレスがいつの間にかなくなっていた。あれは今年の誕生日に多々良から貰った大事なものなのに。あと一階あがると屋上に着くまで来ていたが、これで探しに戻るとなると相当時間を食ってしまう。

「失くしたの?一緒に探すよ。」
「いいよ、私のせいだから。アンナのために星空撮るんでしょ?後で行くから。」

時間取るかもしれないと言うと渋々と言った様子で彼は先に上がると言った。ビルからは出ないでね何かあったら助けられないと彼氏らしく注意を受けた。そんな彼は珍しくて笑ってしまう。心配されてもその理由を話したりしてくれない。助けられない、なんて助けて貰える存在だと言われているものだ。……絶対にネックレス探そう。彼に背を向けて今まで二人で上がってきた階段を下りる。
今思えば、これが私が生きている理由。
それが偶然だとしても、確かに彼が守り助けてくれたのだと後から知る。


△▽△▽


なかなか見つからないネックレスに私は少し苛立っていた。ビルに入って二階くらいまではあったのだ。このビルは七階建てで五階まで降りてきても見つからない。結構時間は経っていて、多々良を待たせてしまっているかもしれない。
仕方ない。諦めよう。
私は今降りてきた階段をまたのぼることにした。もしかしたら二人で降りた時に見つかるかもしれない。むしろ二人で見つけた時の方がきっと嬉しい。結果見つからなくても多々良と二人なら。そう思って一歩階段を上がった時。
パァンと何かが弾ける激しい音がした。ゾクっと背筋に走った嫌なものに屋上の彼を思う。そこからの私の行動は素早くて運動不足で息絶え絶えになるも足は止まらず、変な焦りだけが生まれる。大丈夫、大丈夫だよね。だって、多々良は赤のクランズマンなんだもの。王様のそばにいて、力も持ってて、加護を受けてる一人で、だから。
開け放った屋上の扉。
夜の光に包まれたそこに寝転ぶ人と赤に視界が真っ暗になるのがわかった。

「…………たた、ら?」
「……っは、夏……?」

返事がした。急いでそばによってその身体を抱き上げる。唇から流れるものは赤く、思わず手を見たらそこも赤だった。

「……や、だ。やだよ、多々良。死んじゃやだ。」
「はは、大丈夫だって。何とかなる。へーき、へ」
「平気じゃない。これ、撃たれたんでしょう?早く救急車。それよりなぎさんに連絡して、」

携帯電話を取り出そうとする手を止めたのは紛れもなく血に染まった多々良の手だった。

「なんで、」
「二人きりを邪魔されたくない。」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ……。」
「ねえ夏……、ネックレスは見つかったの?」
「見つかんないよ。それはどうでもいいからもう喋らないで……」

このまま放っておけば死んでしまう。早く病院で治療を受けないといけないのに彼はまるで時間稼ぎをしているかのように関係のない話をする。

「……じゃあ、新しいネックレスしとかないと。俺、意外と独占欲強いから、さ。ね?」
「うん。知ってる。ネックレスならまた買って?買いに行こう。だから、」
「夏。」

ごめんね。
その一言と共にじゅうと焼ける音。刺すような痛みが襲う。声にならない声は吐息となって彼の髪の上に落ちた。あまりの痛みに顔を彼の頭に押し付ける。血の匂いの中に陽だまりみたいな彼の匂いを見つけて泣きそうになる。
ごめんね。
もう一度彼がそう言ったと思えば、私の意識はブラックアウトした。


△▽△


「次に起きたら、病院だった。」

あの時のことを教えてくれという伏見くんに淡々とありのままを話した。苦悶の表情にやっぱりまだ話すべきじゃなかったかなと思う。

「……首の包帯はその時のですか。」
「うん。外せば……手の跡がくっきり、ね。」

夏なのに包帯が外せなくなってしまったのは彼のせいだ。暑いと言って外せば手跡なんて物騒すぎる。普通の女の子にはないもので外を歩けない。

「十束さんの力は、暴走することも傷付けることもありませんでした。それなのにどうしてわざわざアリスさんに……。」
「彼は器用だったから暴走しなかっただけで本質は皆同じだったんだと思う。あの時、全てを曝け出した。それだけだよ。」

ある意味の束縛で一生離れられない独占欲だと思った。ネックレスの代わりにしては大き過ぎるプレゼントだ。医者に治せるとも言われたが丁重に断った。人を傷つけることを得意としなかった彼がつけた傷。特別を表しているそれを取ることなんて私には出来ない。出来るのは彼だけでその彼はもういない。


「もうひとつ、聞いていいですか。」
「なに?今日の伏見くん、積極的で変だね。」
「どうして赤の力が使えるんですか。」

その質問はずるい。どうしてか、私もずっと分からなかったのだから。
私は彼が死んで以来、インスタレーションを受けていないのに赤の力が使えるようになっていた。とはいえとても微弱なものだったが生前の彼のような中和の力だった。彼は死ぬついでにとんでもないものを贈ってくれた。
この間、なぎさんから連絡が来て謎が解けたと報告があった。火傷がある種の吠舞羅の印と同じになっていて力は彼から受け継がれたものらしい。弱いのは王から直接受けたものじゃないからと。ずっと守ってくれるということなのかもしれない。この力があれば彼は私のそばにずっといることにもなるのだ。どんな形であれ、ずっと。私が離さない限り彼は縛られることになる。

「……多々良は案外欲の強い人だった、ということじゃないかな。」

夏空を見上げると積乱雲はまだ生まれていない。青々とした空だけが広がっていて、この調子だと今日の夜は星が綺麗だろう。確か、新月だったはずだ。赤とは真反対の空は吸い込まれてしまいそうでそのまま私を彼の元に連れ去ってくれればいいのにと思った。


▽△▽


「ねえ多々良、もし駆け落ちしようって言ったらどうする?」
「突然何かと思えばそんなこと?当然分かったって言うけど。」

この前テレビで駆け落ちするドラマをしていたので何となく彼に聞いてみる。すると悩む様子もなく即答で返事が返ってきたのでつまらない。

「悩まないの?私と二人で知らない場所に行くんだよ?」
「まあ何とかなるでしょ。それに、アリスがわざわざ皆を見捨てていくとは思えない。何かから逃げて付き合ってるわけじゃないし。」
「……それもそうだね。」

少し予想していた返答と違ったので再びテレビに視線を向ける。すると離れた場所にいた彼が後ろから抱き締める。首に回された腕に手を添えると後ろを向かされキスされる。

「俺はアリスをどこかに攫いたいくらい好きだけどね。」
「……分かってるくせに。」

望む答えで喜ぶことを知っていて焦らす彼は意地悪だと笑う。二人逃避行してまで貫けるような愛だけど、逃げる必要性もなく逃げる選択肢もない私達は恵まれている。


△▽△


二人だけでは逃れられない運命だった。
彼はそれに従った。
そうして全部全部遺して逝ってしまった。
私に力も想いも全部託して逝ってしまった。私に王様を止めることなんて出来ないのに。まるで自分がいなくなることが分かっていたかのように跡を力を遺し、止めて欲しいと言わんばかりに笑っていた。頬を流れる涙。冷たいそれは最後に触れた彼の体温と同じくらい温かい。
赤は嫌いだ。事故にあった私の両親を奪ったのも赤で彼も王様も赤が奪っていった。それでも離れられないのは、好きにしてくれた彼がまだ私の赤だからだ。
どうして、遺したの。
持っていってくれなかったの。
泣き叫んでも彼から答えが返ることはない。きっと虚しく星空が広がっているだけだ。彼が最後に撮ったビデオには愛してるの言葉があった。放送されたそれにはカットされていてデータは私の手元にしかない。皆のそういう気遣いにも泣けてしまう。

彼は、星になれただろうか。
死んでしまった人はお星さまになるんだよなんて言う。神話でも死んだ者を星に変える話があるのだ。
彼は夜空に輝く星になれただろうか。
私が見上げる夜空に彼は存在しているか分からない。
彼が見下ろす地上に私は鮮やかな赤を咲かせているかも分からない。 泣いたら見えない小さな光の中で、たったひとつの赤を、見つけられる自信は二人ともないだろう。いつか私が彼のことを泣かずに語れるように想い出になれたら見つけられるだろうか。見つけたら泣いてしまうことはわかっている。彼は私を泣かせまいとしていたから見つからないようにしているだろう。私も無理矢理笑う彼が嫌で他の赤に隠れてしまうのだから。

首に残る彼の生きた証はまるで彼岸花だ。赤く赤く咲いている。
多々良。
呼んでも返ってこない答えをいつまでも待ち続けることを誰かに許してもらいたい。私は赤い痕が海に漂う旅人の北極星のように彼の道標になる彼岸花になっていれば良いと夜空に見上げて泣くしかないのだ。
泣く私をへーきへーきと言って慰めてくれる人はもういない。

たったひとり想う人は彼岸花が咲き誇る上で星になるのだろう。


星に願いを君に幸あれ


彼岸花の花言葉
悲しい思い出
思うはあなたひとり