パチリパチパチ。闇の中で光がはぜる。バーベキューの締め括りにと皆がやる花火は彩色艶やかな輝きで満ち溢れていた。
十二人という大して多い訳でもない集まりの中で、それぞれが持つ花火に火が点き、誰かに移っては消えていく。この光景は、見た事ない初夏前の蛍飛ぶ田園風景に似ていると思った。画面の中だけだったそれが今こうして目の前にあると人は何を言う気にもならないらしい。
私はバーベキュー会場にと借りた家の窓のサッシに座って、騒がしく楽しい皆の声に笑っていた。対照的に、静かに。

「夏さんもどうかしらー?」
「いや大丈夫だよ。見てるだけで。」
「そう?」

お妙ちゃんに誘われたが丁重にお断りした。凶暴すぎるあの子の側にいたら怪我しかねない。あ、新八くんが。
花火の被害者が一名出たが特に気にせず眺める。そういう関係性で出来た十二人である事を私はずっと前から知っている。
小学校中学校と同じで、人生のほとんどを一緒に過ごして来た。今年から高校生になりそれぞれ分かれたが今こうして集まっているのを見ると不思議だ。
不意に横に気配を感じて見れば、それはとても良く知った顔。

「行かなくていいの?」
「…面倒くせェ。」

呆れるように溜息をつき、さり気なく隣に座ってきた。
距離、手のひら二つ分。
これだけ近い距離に座られたのは隣の席になった以来で身体の何処かが嫌な音を立てた。

高杉は嫌な人間だ。
平気でこちらを揶揄い、傷口に塩プラスアルファで唐辛子を擦りつけてくる、優しさのない男だった。
過去形にしたのは、高校生という大人と子供の狭間、曖昧な時が訪れた頃に、ポキリ彼のアイデンティティは失われた。
眼帯がつけられた左眼からはとうに表情を読むことは出来なくなってしまった。
根本的なものは変わっていないが、外面は世間的に上昇した。そんな彼を未だ何処かで触れようとしている自分がいる。針山に登ろうと、岩漿の中に飛び込もうとしている自分がいる。

このバーベキューを企画した辰馬は、何故か銀時と一緒に数人と花火から逃げ回っている。火傷する、熱い、天パが、と叫ぶ声が近所迷惑になっているのは確実だろう。午後八時を過ぎて家には家族団欒している人も多いはずだ。近くにある家々には申し訳ないが、これが多分青春だから許して欲しい。
日が暮れてもなお暑い外と冷房の効いた部屋の中の間にいるせいか、喉が渇く。後ろに置いておいたお茶のペットボトルに手を伸ばす。数センチだけ届かない。わざわざ立ち上がる程でもなく、頑張ればいけないこともない。でもそれすら面倒だ。ああもうこんな時に手足短いと揶揄われてきた私は、
瞬間、手の甲に影がうつり、顔の前にペットボトルが移動していた。
ペットボトルを持つ手は日焼けの気配など欠片もない骨張った。

「相変わらず短ェな。」
「……高杉もでしょ。」

素直にお礼が言えず、奪い取るように受け取る。バカみたいだと思ったが、高杉を睨みつけながらお茶を傾けた。
腹が立つ。
高杉はいつまでも酷い人間であれば良かったのだ。人の不幸に微笑み、時に阿呆過ぎる失敗をしても帳消しに出来る成功を収めるような。気に食わない、こちらを苛立たせるだけの。
それだけの存在でいて欲しかった。
本当に腹が立つ。
ドクリと波打つ正体が心臓より奥深くにあると気付いた自分も。
もうどうしたって止められない自分も。

「大体何で今頃バーベキューなんだよ。こういうのは普通夏休みにしろよ。もう九月も一週間終わるぞ。」
「アイツはバカだからしょうがないよ。」

バカ呼ばわりされた事にも気付かない辰馬はまだ追いかけられている。
線香花火しましょうとお妙ちゃんが声を上げると、それまで食専門で戦っていた神楽ちゃんや沖田も花火に移る。見上げる花火はしだれ柳が最後だが、手持ちは線香花火に限りますよね!とお妙ちゃんが花火を開けながら言っていた。
日本人の習慣的なものだから誰も反対しない。
こちらに走ってきた神楽ちゃんに三本の線香花火を渡される。はい高杉にもやるヨと同じく三本。
参加しないつもりが神楽ちゃんのおかげで強制参加だ。
これを消費しない限り帰れない。

「……やるか。」
「意外とやる気?」
「いや、やらねぇと帰れねーよ。」

高杉も長い付き合いで互いの性格を理解している。神楽ちゃんの天然に嵌ったか、策に嵌ったか。考えると怖い。
立ち上がり、喧騒の中へ進む。
火をつけるために垂直に立っている蝋燭の周りには円が出来ていた。
全員火が揺らめく方向に体を向けて線香花火に集中している。一部は花火無視だけど。あの中に入って火をつけるのは暑苦し過ぎる。
思わず眉間に皺が寄ってしまう。
女子高校生らしくはない。
どうしようかと考えていれば肩を叩かれ、そのリズムから高杉だと知れば彼の手にはライター。
炭や蝋燭に火をつけたそれをどうして高杉が持っていたかは何となく聞かなかった。聞かぬが得だ、私がライターに気付いた瞬間の表情からして。
しゃがみ込んで一本分ける。
カチ、と音がし、高杉の線香花火に橙色の光が灯った。
線香花火の先端に近づけ、白煙がふわりと漂ったら、手で押さえたままのライターを近づけてくる。好意に甘えて私も火をつけた。目指すは消えるまでだ。
細長い導火線に色が灯るとすぐに丸い火溜まりへと変化した。
カチリと音を立てライターの火が消えると、辺りは背後から差し込む部屋の明かりと二つの線香花火の灯りだけになった。
じ、じじ、と小さな粒子を散らす。
並んだ火溜まりから粒子は空中で消えてはまた飛び出す。
徐々に大きくなる粒子はとうとう火花になり、形取って火溜まりから離れていく。バチリバチリとなる音が心地良い。先程とは打って変わって静かになったあたり、皆火を落とさぬように必死だ。

「……ね、こうやって火花の形が変わるの、全部ちゃんと名前があるの知ってる?」
「あァ。聞いたことがあるな。」
「玉が出来た時点で牡丹、今激しく散ってるのは松葉。それで……ほら落ち着いたら柳。それからー……あ。」

説明していたせいかゆらゆら揺れた火溜まりは地面へと落ちた。灯りは急速に失われていく。直後、高杉のも落ちた。

「落ちちゃった…。」
「説明してるからだろ。」
「高杉が知ってたら説明しなくて済んだ。」
「言い訳だな。」

キッ、と細い目で見ると知らん顔で次の線香花火に火を付け始めている。 ライターを押さえたまま寄越してきたので大人しく二本目を始める。

「……最初が、牡丹か。」
「そ。花言葉とか知ってる?」
「高貴、壮麗、恥じらい、誠実。」
「何で知ってんの……。」

真顔でスラスラと答えた高杉に少し引く。そういう事は知ってるのか。

「…もしかして松葉牡丹の花言葉とか、」
「無邪気、可憐、さわやか。」
「や、柳は…?」
「自由、従順、率直。」

目が見開くのがわかった。
意味が分からない。確かに頭が良いし、無駄な知識持ちであるのも知っているがまさか花言葉を知っているなんて。
顔色を伺うと何一つ変わっていないから本人は至って真面目なのだろう。
ふと肩が当たりそうな程近い距離な事に気付いた。肩先から頭に血が上り熱くなってしまう。高杉はどんな感覚しているんだ。

「火、落ちてる。」
「え?あ、あぁほんとだ。」

動揺したのが手にもちゃんと伝わってしまっていたらしく花火は呆気ない終わりを迎えていた。
一方で高杉の方は柳から少しずつ火花がなくなって来ていた。これなら最後まで。しかしそれも叶わず、火は落ちた。やはりセットでついてきた線香花火はなかなか上手く最後までいかない。決して落ちない線香花火というのもあるが、それだと楽しみはない。

「次、最後か……。散り菊まで行けるかな。」
「消える時は散り菊なんだな。」
「まあ、直前の事を言うらしいけど。」

ふーんと興味無さげに最後の線香花火に火をつける。
最後まで行きたいが、多分無理だろう。安物だし。
また牡丹から三度目の花火が始まる。

「高杉、夏終わるね。」
「まぁな。」
「来週文化祭だって。秋だね。」
「早いな。」
「一年前とか、受験受験で忙しくなってたわ。高杉はそういうのなかったよね。羨まし。」

もしかしたらあの頃から少しずつ変わっていたのかもしれない。
高杉だけは焦らずに普段通りだった。皆が不安がっている時だって表情を変えず、本を読んでいた。
鈍い痛みを与えてきた高杉晋助は、鋭く冷たい痛みをもたらす高杉晋助になっていた。
それもとある拍子にハッと気付く、ゆっくりとしたレベルで変わっていた。
線香花火が少しずつ形を変え、名前も変わっていくように。
高杉の外面が変わると同時に中身も。
無論私も変わっていないとは言えない。年齢も上がった。環境も変わった。
当然人も変わる。
どうしてだろう。
高杉は変わらないと思っていたのだ。 それが自然の摂理で、当然の事だと、何ら疑う事を知らず、私は思っていた。
涙はない。悲しいわけじゃないから。
ただ苦しさが増しただけだ。痛み、苦しみ、不安、負の感覚が少し増しただけ。
しかしそれはこうして二人肩を並べていると嘘になり、胸を高鳴らせる感情にしかならない。
分かっている。分かっている。
私が高杉を好きで、だから変わって欲しくない、私が好きなのは変わらぬ高杉だから。
でも、苦しいのは嫌だ。

「私を信じて。」
「……え。」
「菊の花言葉。そういう言葉らしい。」

二度目と同じようにいつの間にか私の線香花火は終わっている。高杉は柳が終わりそうだ。あと数秒もせず散り菊へと変わる。
相変わらず表情は変わっていない。
……なぜだろう。
やっぱり私は高杉が好きだ。
変わっても、変わらなくても、高杉が、この人間が好きだ。
終わると高杉が呟くと線香花火は火花を散らすのを止め、静かに消えていった。見事な散り菊。
不思議と周りの景色がクリアに見えるようになって、高杉の顔がよく分かる。
少しだけ夏の熱に溶かされて赤くなった顔。無表情ではなく、ちゃんと感情のある好きな人の顔。

「…また来年も出来るといいよね。」
「だな。」

来年、高杉は変わっているだろうか。
今と変わらないだろうか。
それは予想付かない事だけど、ひとつだけ望めるといい。
私のこの気持ちがどうか変わらずありますように。
それでいれたらどうあってもいい。
それだけでいい気が。

アイツが望むなら変わらぬままでもいい。それでもただ、
距離、手のひらひとつともうはんぶんに触れたい。
これは確かなひとつの想い。


線香花火と、平行線。独占欲。