With love on your birthday
それからというもの、真子は名前と距離を置いて過ごすようにしていた。
ろくに顔も合わせなければ当然会話もなく―――結局、名前があの青年へ心変わりしたのかははっきりしないままだ。だが、このまま自然消滅するように恋人関係は終わるのだろうと真子は思っていた。
何も、ずっと避け続けるつもりはない。恋人でなくなるにしても、同じ境遇である仮面の軍勢の仲間であることに変わりはない。また普通に顔を合わせられるようにするための“冷却期間”と真子は思うようにしている。名前もその空気を察しているのか、無理に真子に声をかけようとはしなかった。
そんな日々が続いたある日のこと。
例のごとくジャズレコードを聴きながら寛ぐ真子の前に3人の姿が立った。
「ハァッ・・・名前の気も知らんで、ホンマ呑気なモンやな」
「ん?・・・あぁ?何や、揃いも揃って急に」
物申すと言わんばかりにやってきたのは、ひよ里とリサと白だ。
仮面の軍勢で唯一名前は元隊長、副隊長ではなく元五席。今では立場の上下など無いようなものだが、それでもかつての名残でひよ里たちは名前をメンバーの可愛い末っ子として可愛いがっている。
それを知っている真子は、彼女たちが言わんとしていることがわかった。わかっているからこそ、早々に反論する。
「事情もよう知らんで口挟むなや。オマエらは名前の味方したいんやろーけど、」
「やっぱりアカンね、これは。ひよ里、やったり」
「がつーん!とやっちゃえー!」
「言われんでも、そのつもりや」
「はぁ!?な、なんでや!ちょお待っ」
真子の反論を遮るように、リサは大げさな程に溜息を吐いて白と共にひよ里をけしかける。片足を蹴り上げ、脱いだサンダルをひっ掴んだひよ里が振りかぶった。それを見るやぎょっとする真子が止める間もなく、
「こンの、ハゲシンジが!!!」
「痛ァアア!!?俺が何したっちゅうねんアホ!!!」
サンダルがさながらハリセンのような音を立てて真子の頭に振り下ろされた。
ひよ里の暴力は今に始まったことではないが、これは謂れのない暴力だ。ソファーから転げ落ちる真子は打たれた頭を擦りながら反論に吠える。
「不器用な名前も名前やけど、察してやらんシンジがアホや!」
「言うとくけど、事情知っとるから来たんや。名前が浮気した、なんて思っとるならとんだ大間違いやで」
「名前はねー、ずっと真子のことしか考えてないんだよー!」
「・・・はぁ?」
ひよ里、リサ、白の言葉に真子は違和感を覚えた。最初は強引に名前の味方をしているのかと思ったが、そうではないようだ。
当惑する真子の鼻先に、掴んだままのサンダルをビシッと突き付けてひよ里が言う。
「言うといたるわ!“今日”シンジは名前に謝ることになんで!絶ッ対になァ!」
「何でやねんそれ?・・・お、おい!?よう分かるように言ってかんかい!」
そしてひよ里は「行くで」とリサと白を引き連れ倉庫から去って行った。残された真子は頭上にひたすら疑問符を浮かべて、彼女たちが出て行った開け放されたままの入口を見つめている。
今日もよく晴れており、新緑の風が倉庫の中へと舞い込んでくる。
「ん・・・」
その時だ。入口に差す光を背に受けて逆光になった人影が現れ、真子は目を細めた。このシルエットにこの気配・・・わざわざ確かめるまでもなかった。
ひよ里のせいでずり落とされたソファーへと戻りながら、再びジャズ音楽に興じ始める。彼女、名前の足音がゆっくりと近付きそして真子のいるソファーの前で止まった。
「ごめんね、真子。私が不器用なせいで、怒らせちゃった・・・よね」
「ッ・・・」
この期に及んでわざわざ謝るつもりだ。そう思った瞬間、真子の中で忘れ去るつもりでいた怒りが込み上げてきた。
「何や今さら、」
―――パァンッ!!」
「ッうぉおお!?」
「あ!ご、ごめん!!」
苛立ちと共に立ち上がろうとしたまさにその時、目の前で弾けた“何か”が真子に飛んでくる。その音と衝撃で軽く目をくらましかける真子だが、自分に降りかかるキラキラとした紙吹雪や細い紙テープで、その“何か”の正体を知る。
「アホか名前!この“クラッカー”っちゅうのは人に向けたらアカン!て注意書きに、」
「たっ、誕生日おめでとう真子・・・!」
「あァん!?誕生日やと!?・・・・・・誕生日?・・・誕生日ぃ!?」
急に目の前で放ったクラッカーについて怒る真子に、名前は精いっぱいの大声で言った。
面食らった真子はオウムにでもなったかのように誕生日?と繰り返す。それがおかしい名前はクスクスと笑った。
「そ。真子の誕生日、自分で忘れちゃった?」
「・・・!・・・まさか、それで・・・オマエ」
今日5月10日は真子の誕生日。名前の言う通り、真子はすっかり忘れていたのだ。今日が自分の誕生日だと分かった途端、真子に衝撃が走る。まさか、これまでの名前の疑わしい行動や、さっきのひよ里たちの意味深な言葉の理由は―――。
そんな真子へ、名前は隠し持っていたものを差し出した。
「はい、プレゼント」
「お?・・・おぉ」
それは、名前が自分で包装紙で包んだらしいプレゼント。不器用なりに一生懸命包んだのだろう、よく見ればセロテープがはみ出ていたり包装紙の一部が破れていた。
この正方形、この薄さと重さ、真子の好きなレコードのジャケットによく似ている。未だに誕生日の驚きを引きずったまま、真子は包みを開いていく。
「ん?・・・ぉおおッ!?これ・・・!どないしたんや!?」
「へへ、苦労して手に入れたんだよ。貯めたバイト代注ぎ込んでね」
中身は真子の予想した通りレコードだった。しかし目を見開いて驚いたのはそこではなく、その内容だ。
そのレコードは真子が昔から・・・それこそ尸魂界に居た頃からお気に入りのジャズシンガーのもの。現世では既に故人ながら伝説と謳われたシンガーであり、若かりし頃のレコードは希少で手に入りにくい。既に廃盤となって久しいこの一枚は、真子がずっと欲していたが希少すぎて入手を諦めていたものだったのだ。
手にあるレコードと名前とを交互に見やる真子に、あり日の記憶が蘇る。
『この一枚がどーしても手に入らへんのや。名前にも聴かせてやりたいんやけどなァ』
『はぁ・・・そうなんですか』
あれは、部下だった名前の気を引こうと真子が自慢のレコードコレクションを披露した時のこと。名前は「すごいですね」と褒めたものの、それは彼女なりの気遣いでジャズ音楽にさほど関心はないように真子には窺えた。だからそれ以降はレコードの話は控えるようにしていたのだが、名前はずっと覚えていたのだ。真子が欲してやまなかった、そのレコードの存在を。
「バイト仲間のお兄さんがCDショップの店員でね、レコードにも詳しかったの。それで相談に乗ってもらってたんだ。何とか手に入らないかな、って」
驚くあまり黙り込んでしまう真子に、名前はそのレコードを手に入れた経緯を説明してみせる。
件のCDショップとは、真子が名前を見かけたあの店だ。雨が降ったあの日、店から出てきた店員こそ名前と一緒にいた青年の兄だった。既に廃盤されたレコードはマニアの間だけに流れており、名前のような素人が手に入れるにはその道に詳しい者の手助けが必要だったのだ。
そして今回の真子の誕生日には間に合いそうにないと諦めかけていた最近になって、ようやく手に入る吉報が入ったという。いつぞやに真子が見かけた、CDショップの前で青年と嬉しそうにしていた名前はその吉報に喜んでいたためだ。
「・・・そんなら、俺を驚かすためにコソコソしとったんか」
「その・・・サプライズ、っていうのをやってみたくて」
気恥ずかしそうに、そして気まずそうに名前は頬を人差し指で掻きながら笑った。
「ひよ里たちに最初に相談したら、私はバカ正直だから止めた方が良い、すぐバレるのがオチだって反対されたよ・・・ははは」
「ああ、そんでアイツら・・・」
雨雲が晴れて光が差し込むように、徐々に真相が明らかになっていく。
ひよ里、リサ、白の3人は名前の『サプライズ作戦』を最初から知っていた。知っていたからこそ、真子の思わぬ誤解で作戦が破綻に向かっているのを見かねて忠告にやってきたのだろう。「にしても、ひっ叩く必要あったんか…?」と真子はひよ里のサンダル攻撃を思い出して頭を擦る。
彼女たちに反対されても、名前はどうしても真子を驚かせたかった。うまく真子に隠れてレコードを手に入れるつもりだったが、作戦には誤算がつきもの。思いがけず真子に見られてしまい、変に疑われることになってしまった。
「説明しよう思たら説明できたやんけ。何であん時言わなかったんや」
真子が言うあの時とは、雨降りの帰り道のこと。あの時名前が言い淀んでしまったがために、真子は疑いを確信に変えてしまったのだ。
その指摘に名前は、視線を斜め下に落として答える。
「・・・だって、それじゃサプライズにならないでしょ。誕生日に驚かせたかったんだもん・・・」
名前としても事情を打ち分ける訳にはいかなかった。あんな言い方をして、真子に疑われることも覚悟の上だった。だが・・・
「でも、その前に嫌われちゃったら意味な・・・、ッ!?」
喜ばそう驚かそうと思うあまり、真子の気持ちを考えていなかった―――謝ろうとする名前の手がグイと強く引かれた。と思えば、目の前の真子に抱きすくめられてられていた。
「し、真子・・・?」
「ホンッマにアホやな。サプライズっちゅうのは、オマエみたいな正直モンが一番やったらアカンやつやろ」
「う・・・ごめん」
「しゃーけど、それを変に疑った俺はどうしようもないアホやな」
言いながら、真子は華奢な名前の体を強く抱きしめる。何故名前の心変わりばかりを疑ってしまったのか、今となっては自分自身が腹立たしい。「悪かった」と名前の耳元で謝る真子は、ひよ里の言葉を思い出していた。『今日シンジは名前に謝ることになんで!絶ッ対になァ!』―――なるほどその通りだった、と思う。
「ふふ、じゃあ“アホコンビ”だね私たち」
「ったく、よう言うわ」
屈託のない笑顔を浮かべて名前が顔を上げて言う。その笑顔こそ、真子が心惹かれ惚れ込んだ笑顔。ツッコミで返す真子もつられて笑みを零した。
「ね、真子。このレコード、私も聴いてみたい」
「ああ、そういやそんな約束しとったな」
名前に促され、真子はプレゼントされたレコードをプレーヤーにセットする。二人で改めてジャケットに記されたタイトルを見てみると、誕生日をテーマにした曲のようだ。
プレーヤーの針が盤面を滑り、プツプツいう独特のノイズ交じりの少々曇った音楽が流れ出す。古臭いといえばそれまでだが、この“レトロさ”が真子は好きだった。
ずっと欲しくて、だが入手困難で諦めていたレコードを今まさに聴いている。それも名前からのプレゼントで。自然と口元が緩んでしまう真子は、ハッとして傍らの名前を見た。彼女は満足そうな真子を、それはそれは嬉しそうにニコニコと眺めていた。途端に気恥ずかしくなった真子は、話題探しついでに尋ねた。
「あのバイト仲間っちゅう男、ホンマに何もないんか?パッと見じゃ、恋人同士に見えたで?」
「もー、そんなワケないでしょ!大体あの人、婚約者がいるんだよ?それにね・・・!」
「それに?何や?」
何故か名前は途中で言葉を詰まらせ、目を反らしながら顔を赤くさせる。言うのは恥ずかしいという様子だ。が、「何でもない」と誤魔化せる空気ではなく、恥ずかしそうに声を潜めて言った。
「・・・・・・真子のほうが、ずっと良いもん」
「ッ!・・・ああ、アカンわこれ」
「え?・・・うぁッ!?」
それを聞くなり、真子は片手で目を覆って溜息を吐いた。その意図が読めず名前が目を丸くさせた瞬間―――視界がぐるりと変わる。視界には、見下ろす真子と倉庫の天井が見えた。
「今のは誰がどー聞いても“襲ってエエ”ゆうサインやな。よっしゃ、任しとけ」
「ちょ、ちょちょちょっと待って!そんッ・・・んぅ・・・!」
組み敷かれ、とんだ解釈の飛躍に名前が反論に口を開いた隙を狙い、真子は唇を塞いでしまう。「それ以上言わんでええ」とばかりに。
二人の吐息が漏れるソファーからずり落ちるレコードのジャケット。そのタイトルは、
【With love on your birthday】