標的3 秘密の放課後練習
「あぁー……、今日も終わった…。」
朝の珍事件などなんのその、今日も常通り、平和な一日だった。教室の自身の机で、六限目の終わりを告げるチャイムを聞きながら、伸びをする。ポキッポキッと、関節が良い音をたてる。
手早く終礼を済ませ、鞄と薙刀袋を抱える。するとそこに、今日も授業中元気によく寝ていた武が声をかけてきた。
「桜ー、今日部活ないのか?」
気の抜けたようなその声に振り返り応える。
「ない。速攻帰って家の手伝いしねーと。」
「あー、おじさんそんなに忙しいのか。」
後ろの机で両肘をついて、ついさっきまで寝てました、というような表情だ。
「まぁな。じゃ、しっかりやれよ。部活。」
今にも再び寝そうな武の頭にポンポンと手をおき、早足で教室から出た。
武には家の手伝い、と言ったが、今私は本日二度目の竹寿司に訪れていた。もちろん今度の用は、アホな幼馴染みを起こしに来たわけではない。今ごろ部活中だあいつは。
「こんにちは。」
がらりと、引き戸を開くと、そこではちょうどおじさんが鯛をさばいているところだった。空中を舞った鯛は、目にも止まらぬ速さで捌かれていく。数秒とかからず、鯛は舟皿に盛り付けられた。
中央に頭をおき、囲むように身が盛り付けられている。何度見ても見事だ。
「…おっ!桜ちゃん!今日もやるか。」
そういってニカリと笑うおじさんはいつもと同じ、幼馴染みのお父さんで、寿司屋の店主。でも、一変、竹刀を握れば、剣士に変わる。
「……はい。今日も、よろしくお願いします。」
今更ながら、おじさんの実力に身震いした。
剛のおじさんが所有しているあさり組の道場。山本家の裏から直通の道が伸びており、ものの数分で来ることが出来る。
私も時折、部活がなく並中の道場が使えない日は、ここを借りさせてもらったりしている。
「全くもって…神司の野郎は…。」
調理服から道着に着替えたおじさんが溜め息をつく。
「実の娘に、殺人剣術と打ち合いをさせるなんざ、心配じゃねぇのかねぇ…」
私も、道着に着替え、黒い薙刀袋から薙刀の木刀を取り出す。
「…父は、優しい人ですよ。ただ、鍛練の時だけ厳しくなるだけです。」
そう、父はちゃんと充分すぎる愛情を私に注いでくれていると思う。そりゃ、家柄として普通の家庭ではないから、普通の家庭と比べることは出来ないけれど、私本人が大変満足しているのだから、それでいいのだと思う。
そう言って、クルリと手のなかで木刀を回す。
「…とは言ってもなぁ…一人娘なんだから大事にしてやりたいと思うのが、父親だろ?それとも、俺はバカな倅しかいねーからこう思うのかねぇ…」
おじさんが竹刀を持ち、しみじみ考えるように呟く。
「ハハハ、どうでしょう?」
笑って、こちらも戦闘の態勢を整える。
「…さて、やろうか。桜ちゃん。」
「はい。」
広い道場に、二人きり。黙ってしまえば、沈黙のみが辺りに漂う。私は、一度大きく息を吸い、また吐いた。
何秒か、何十秒かの静寂の後、
「…………ッ!!」
最初に動いたのは私。中段に木刀を引くように構え、回転を加えながら左から右へ薙ぐ。その瞬間、ただの木で出来ているように見えた木刀が、鋼の刃のついた薙刀に変わる。
貫薙流当主に伝えられる、《花鳥風月》と呼ばれる変形刀。使用者の腕で、剣にも銃にも変わると言われる。
私が振った一閃は、熟練者でなければ、反応を示すことすらできない速さの筈だが、やはり、剛おじさんは一筋縄ではいかない。
「…ハッ!!」
ガキンッと、金属同士が合わさる音が鳴る。掌を返し、瞬時に薙刀を受け止められる。手に持った竹刀はすでに、真剣に変わっている。
時雨金時、時雨蒼燕流当主が代々受け継ぐ、仕込み刀。強度は勿論折り紙つきだ。
力での押し合いならば、私は確実にかなわないので、そのまま衝撃を受け流し、後ろへ飛びすさる。右手で薙刀を持ち、腰を低く低く落とし、体勢を低くする。左手を地につけ、バランスをとる。
おじさんは、今朝の高校生なんかとは違って、技を使わないと適わない。低い体制から、地を舐めるように素早く間を詰める。
「貫薙流 花の技、呉の型。孤高の白百合。」
そのままくるりと回転し、おじさんへ薙刀をつきだす。勿論避けられてしまうが、この技はここからだ。
剛おじさんに避けられた攻撃を無理に引き戻さず、流れのままに自身の体を中心に薙刀を回転させ、また突きを繰り出す。
今度は二度連続して。それすら弾かれ、薙刀が大きくぶれる。さすがおじさんだ。でも、私もおじさんと特訓を始めて二年間、なにもしてなかった訳じゃない。
ぶれた薙刀を、ぶれるままに振る。すると、クルリと薙刀が回転し、刃の部分が私の背後に来る。そんなのお構いなしに、刃の無い反対側の部分で、また突きを出す。刃がなくとも、突きの威力は甚大だ。これが、花の技呉の型、孤高の白百合の特徴だ。
いくら避けられても、いくら弾かれても、それを吸収し何度も何度も突きを繰り出す。応用の型。
「…中々、腕をあげたな。桜ちゃん。」
私の猛攻をあしらいながらも、まだ幾分か余裕があるのか、ニッコリと微笑むおじさん。ガキンッと、薙刀が上に弾かれる。
これ以上は、私の集中力がもたない。薙刀の流れのままに、軽業師のように上に飛び、一回転して着地する。
その瞬間、おじさんの様子が変わったことに気付いた。
来る………!
私も、薙刀を中段に構え、呼吸を整える。おじさんが刀を両手に構え、真っ直ぐに突進してきた。この技は…見たことがある。
「時雨蒼燕流 一の型、車軸の雨。」
鋭い突きが、私の薙刀の攻撃範囲の内側に入ってくる。
薙刀は日本刀よりもリーチがある分、ある程度距離を保った状態での戦闘は、薙刀の方が有利なのだが、今のように、懐に入られると薙刀は少し反応が遅れる。
だが、ここで易々とやられていては、私は星の守護者にはなれない。
「貫薙流、樹の技弐の型、鉄竹。」
薙刀を体の横に立て、右から左へスライドさせる。あと数センチで私の身体を捉えていた刃を、薙刀の腹で弾く。
だが、やはりおじさんと私では腕力が違いすぎた。弾いたものの、弾き足りず脇腹をかすって刃が通り抜けた。
「っ……!」
すぐに体勢を建て直そうと、身体を捻るが、懐に潜り込まれた刃を弾ききれなかった時点で、私の敗北は決まっていたのかもしれない。だが、タダではやられない。素早く返された時雨金時の刃が、私の喉元に突き立てられた。
「……まだま…ッ!!…」
まだまだだな、そう言おうとしたおじさんが、自身の脇腹を見て、口を閉じた。
おじさんの白い道着には、私の薙刀の銀の刃が突き付けられている。
それを見た瞬間、おじさんはニヤリと笑い刃をしまった。私も薙刀を引き、ただの木刀に戻す。
「ふぅ……。」
やっぱり、剛おじさんとの手合わせは、これ以上ないくらい、命の重みを感じる。私は張り詰めていた息を吐き出した。
「…いやー、ほんとに強くなったなぁ…。」
道場から竹寿司への帰り道、おじさんが、額の汗をぬぐいながら言う。
この二年、最初こそおじさんの気迫の剣技に、こてんぱんにしてやられていたが、徐々におじさんの剣技を見極め、吸収し糧にしてきた。だがそれでも、まだまだ足りない。
「いえ、まだまだおじさんには敵いませんよ。」
笑って答え、竹寿司の店の裏へ続いている引き戸を開いた。
「…さて、私はそろそろ……」
帰ります。そう言おうとした瞬間、がらがら、と店の表の引き戸が開けられる音と共に、ただいまー!!と、元気のいい幼馴染みの声が聞こえてきた。
私がおじさんに手合わせを頼んだときの条件が、武には絶対に言わないこと、だった。時雨蒼燕流後継者として、武に継いでほしくないのか?と、聞いたところ、自分で必要だと思ったときに、自分で言ってきたら教えてやる。言ってこなかったら、そんときはそんときだな、とおじさんはカラカラ笑って竹刀を拭いていた。
だから、この二年間ずっと、私の部活がない日で、かつ、武が部活で遅くなる日を選び、おじさんと手合わせをして来た。武の前ではその話は絶対にしなかったし、放課後帰りに竹寿司によっていることも内緒だ。
そうして、二年間守られてきた秘密の放課後練習が今、白日の元に晒されようとしている。
現在の状況を整理しよう。武は表の店に居る。私とおじさんは家の裏口だ。二人共道着を来ているこの状況で、姿が見えなかったのは不幸中の幸いとも言えるが、それでも武がちょっと歩を進めて店の奥に来れば、まずいことに変わりはない。
「や、ヤバイですよ!おじさん!」
「と、とと、取り敢えず着替えてくるから、桜ちゃん、武の相手をしといてくれ。」
私の背を店の方へとグイと押して、ダッシュで着替えるためにその場を後にするおじさん。どうして今日に限って早いのだ。学校では部活と言っていたし、普段なら確か七時くらいまで練習があったはずだ。今はまだ五時頃だ。
私は、道着のまま、頭の中でなんとか言い訳を考えながら、竹寿司の店内への暖簾をくぐる。
「お、桜。今日はおじさんの手伝いじゃなかったのか?」
暖簾をくぐって裏から出てきた私に、制服姿で不思議そうな顔をする武。
「あ、おぉ。花の配達があったからな、そのまま道場借りようと思って。」
道着姿の言い訳もこれでたった。道場は部活が無かったとき、たまに借りてるし、不審には思われないはずだ。だが、やはり武に嘘をつくのは苦手だ。少しどもってしまった。
「へー、熱心だなー、桜は。…ん、でもなんで学校の鞄持ってんだ?」
肩にかけていた学校の鞄を怪訝そうにのぞき込む。こういうとこだけ、よく気づくな、こいつは。
「…あー、それより、今日は随分早いな。」
かなり露骨だが、話をそらす。
「ん、あー。今日はミーティングだけだった。」
「そうか。」
なんとタイミングの悪い。
「そういや、親父は?」
キョロキョロと店内を見回す武。おじさんはまだ着替えれていないのか、帰ってくる気配はない。
「…さ、さっきまで道場に居たから…よくわかんねぇ。」
ダメだ。嘘が露骨すぎる。武からの視線が痛い。さすがの能天気バカでも、こんなわかりやすい嘘、不審に思うだろう。
だいたいこんなアドリブで誤魔化すなんて、難易度が高いに決まってるだろう。
「桜ー………俺に、なんか隠し事してねぇ?」
首をかしげ、武より少し身長の低い私に目線を合わせるようにしてくる。
……ほんっと、…こういうときだけ勘が良い。
「なんも、無いって。」
頑張って、ポーカーフェイスで言ってみたが、バレて無いだろうか?
「…………………………………………んー、ならいいや。」
武は少し考えたあと、いつもの爽やかな笑顔に戻った。いいのかよ。ずっこけるかと思った。
そうだ、こいつバカだった。野球バカだったよ。多分疑念は消えてないだろうが、どうでもいいって風になったんだろうな。
「おー、武。早かったな。」
おじさんが、やっと、汗をふきふきカウンターに入ってきた。
「あ、親父。どこいってたんだよ。」
「…べ、便所だ、便所。」
ひきつった笑みを浮かべながら、魚を冷蔵庫から出すおじさん。
「ほんとかー?」
からかうように笑いながら自室への暖簾をくぐる武。その姿に、二人揃ってホッと一息ついたところで、また武が戻ってきた。
「そういや、桜。」
急に引き返してきた武にビックリする。
「な、なんだ?」
「この後ひま?」
暖簾の隙間から顔を出している武。
「まぁ、特に予定はないが。」
「じゃ、宿題教えてくんね?」
暖簾の間から拝むように手を合わせてくる武。そういえば、今日数学のプリントあったな。
「いいぞ。でも、うちでな。シャワー浴びたい。」
先程のおじさんとの手合わせで、汗をかいたからか、それとも、武の言動に冷や汗をかいたからか、身体がベタベタする。
「オッケー。ちょい待っといて。」
たんたんと、階段を上っていく音が聞こえる。今度こそ行った、と思い、おじさんと顔を見合わせ、揃って安堵の息を漏らした。
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