「そう言えばよ、なまえの好物って何なんだ?」
僕と天さん、そして赤木さんとで何をするわけでもなくぼーっとしていた。最初はぽつぽつ会話もあったのだが、次第にそれも煩わしくなって、ここにあるのは沈黙だけになって久しい。なまえちゃんは少し離れたところで一生懸命編み物をしている。これまた何を作るわけでもなく、ただ長く編んでいるだけなのだが。天さんのお嫁さんに教えてもらって以来、ハマってるのだそうだ。編み針から垂れ下がった作品は、なまえちゃんの上達の歴史を物語っていた。
「なまえの好物、なぁ」
「なまえが来たときに用意しとくんだってよ」
「オムライスじゃないんですか?」
以前に赤木さんが「オムライスだけは完食する」と言っていたのを思い出しつつ言った。
「白米の方が好きだぞ」
「それじゃ答えにならない…と思う」
「まぁ、多分オムライスか白米だな」
「本人に聞けばいいじゃないですか」
なまえちゃんも会話が聞こえないわけがない距離にいるんだから答えればいいのに、と思ってなまえちゃんを見る。あぁ、これは外の世界なんて見えちゃいないな。そんな感じの真剣な目だった。編んだ先に何があるわけでなくても、ただ細々とした地道な作業がなまえちゃんの性分にぴったりだったんだろう。
「なまえ」
「・・・」
「おーい、チビすけ!」
案の定、赤木さんが呼んでも反応はなく、2回目に天さんが呼んでやっと気づいた。自分の名前を呼ばれて反応したと言うよりは、天さんの大きな声に驚いた感じだ。僕たちに注目されているのに気づいて、なまえちゃんは首を傾げた。
「好きな食べ物、何だ?」
天さんはいつも、ごく自然になまえちゃんの理解できる簡単な言葉に噛み砕いて説明する。それがなまえちゃんの求める内容かどうかは別にして、簡単すぎも難しすぎもしない絶妙なバランスなのだ。天さんがなまえちゃんと同じレベルの思考回路だからできるのだ、と赤木さんは笑う。 なまえちゃんはさらに首を傾げる。勘違いした成人女性がすると殴りたくなるようなこんなわざとらしい仕草も、なまえちゃんがすると悪魔的にかわいらしい。裏がないからだろう。
「あのね、しろいご飯すき」
「ほらな、言っただろ!」
「白米出せば満足ってそりゃあ楽な話だけどよ、嫁たちは満足しないだろうなぁ」
「じゃあ、好きなおかずは?」
「おかず…」
せっかく元に戻ったなまえちゃんの首が再び傾いてしまった。最初からこう聞けばよかったんじゃないだろうか。やがてなまえちゃんの首がまっすぐに戻ると、3人の注目が再び集まった。
「お、決まったか」
「あのね、しゃけ」
「鮭…まぁ、なまえが好きならそれでいいけどよ…」
「赤木さん、もっといいもの食べさせてあげてください…」
「バカ言うなよ、お前らよりよっぽどいいモン食ってるって」
「コンビニ弁当が高いのは、質がいいからじゃなくて流通コストの問題ですよ」
「出前の天丼もたしかに美味いと思うけどよぉ」
「うるせ…」
たまに食べるならいいかもしれないけど、それもたびたび重なるとあまりいい食生活とは言えないだろう。いまさら赤木さんが毎日のバランスを考えてご飯を作るなんて無理な話だ。そのことを一番わかっている赤木さんは、この話題が居心地悪かったらしく何か他に反らそうと考えているようだった。
「そうだなまえ、この世で一番美味いものって何だかわかるか?」
僕が赤木さんを初めて見た日にされたのと同じ質問だ。好物を聞いたあとにこの質問をするのも変な話だが。 今度の質問に、なまえちゃんは意外にも即答した。
「赤木さんご飯っ」
「赤木さんご飯?」
「俺の作った飯だよ」
赤木さんはニヤーっと笑うと、なまえちゃんを手招きした。そしてなまえちゃんを膝に抱くと、頭をわしわしと撫でながら言う。
「こんな子供でもわかることをよ、水だとかふぐさしだとかバカなこと抜かしやがって、大の大人が」
「あの時の答えって何だったっけ」
「作った人の心のこもったものが一番美味いって話です」
「なまえにはわかるんだよな、そりゃあ俺はなまえのために作ってるんだからよ」
じゃあ今夜は世界で一番美味いもん食わせてやったらどうですか、そう言いかけてやめた。嬉しそうになまえちゃんの頭をかき混ぜ続ける赤木さんと、幸せそうにその愛情表現を受け取るなまえちゃんに水を差しちゃいけないと思ったからだ。天さんの方を見ると、ばっちり目が合った。天さんもどうやら同じことを考えていたらしい。 急に笑いだした僕らを、赤木さんはいぶかしそうに見たが、僕たちが今わざわざ意味を教えなくても、いざご飯って時になったらこの会話を思い出すだろう。そして、なまえちゃんの幸せそうな顔を思い出してもなお外食で済ませるほど、赤木さんはなまえちゃんに対して鬼になりきれないはずだ。 よかったね、なまえちゃん。そう呟くと、なまえちゃんからは笑顔が返ってきた。
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