――ふぁみり、バレー部のやつに告白されたらしいぞ。
 昨日の部活前に聞いた田所の言葉が、オレの頭のなかで反響している。一昨晩からずっとこの調子だ。せっかく部活もオフで何も予定がない土曜日だというのに、どうにもこうにも気持ちが落ち着かない。
 頭を空っぽにして気持ちを切り替えるには、やはり自転車で走ることが一番だ。自主練の準備を始めようとしたころ、まさかのふぁみりから電話がかかってきた。
「前に巻島が見たいって言ってた映画、レンタル始まったから一緒に見ようよ」
 思わず、ハァ?と素っ頓狂な声をあげそうになった。お前、告白されたんだろう。休みの日にオレなんかと映画なんて見ていいのか。返事にどもっていると、山吹は「あれ、今日部活休みって田所に聞いてたんだけど」と投げかけてくる。
「部活は休みだけどよォ」
「じゃあ他に予定あった?」
「…ないっショ」
 そこで器用に嘘をつけないのは、相手がコイツであるからに違いない。
「じゃあ今から行っていい?」
 そう尋ねるふぁみりに対して、オレは弱々しい肯定の返事を返す。二、三言会話を交わすと、電話はぷつりと切れてしまった。

 オレとふぁみりは、2年生のころからクラスメイトだった。しかし、口下手でクラスメイトであろうとも必要以上にしゃべらない自分が、どうして彼女と仲良くなったのか。それは、自転車競技部のチームメイトである田所を通じてだった。ふぁみりと田所は、家が近所の幼馴染同士だった。
 オレは、ミニシアターで上映されるようなB級映画を見ることをささやかな趣味にしていた。レンタルビデオショップで、新作であろうと1本しか並べられていないようなDVDを借りてきては、自宅のシアタールームでのんびりそれを見ていた。ふぁみりもそういったマイナーな映画がすきらしく、オレの趣味を田所を通じて知ったらしい。
 ふぁみりが話題に上げる映画は、どれもオレが好んで見るものだった。派手な演出がなく、日常を丁寧に切り取り、淡々と流れる日々のなかで、登場人物の感情が繊細に描かれているもの。フィクションであるとわかっていても、リアリティを感じる映画がすきだ。誰かの日常やそこに表れる感情を見るということは、視聴者にとっては非日常である。そのときに感じる浮遊感と、見終わったあとには覚える妙な解放感が気に入っていた。
「巻島は、どうしてこういう映画がすきなの?」
 ふぁみりにそう尋ねられたとき、理由を伝えることが気恥ずかしくて言葉を濁した。だけど、ふぁみりは「わたしは、誰かの日常を見ていることが自分の非日常になるからすき」とはにかんだ。そのとき、胸の中心がとすんと何かで射抜かれた感じがした。

 ふぁみりが、オレの家にホームシアターがあることを知ったのも田所の仕業だった。ロードレースのDVDを、ウチで見たと話したらしい。ふぁみりはその話にとても興味を持ち、「ホームシアターで映画を見てみたいから、お邪魔していい?」と聞いてきた。オレは一瞬迷ったものの、結局断らなかった。
 それは、ふぁみりがまどろっこしい言い方をしなかったから。見ようと言った映画が自分も見たかったものだから。いろいろ理由付けたけれど、一番はそう言われてまったく嫌な気がしなかったからだし、正直なところ下心もあった。

 薄暗い部屋の中、ふたりきりで過ごしてもふぁみりは何ら普段通りだった。はじめは「人の家だから緊張する」なんて言っていたけれど、DVDを流し始めてしばらくすると、ふぁみりはソファーに深く腰かけて画面をぼんやりと見ていた。
 ずいぶんリラックスしているその姿は、彼女のプライベートな一面を垣間見た気がした。体を丸めているほうが落ち着くのか、途中からソファーの上で体育座りをする姿、じっと画面を見る瞳を縁どる睫毛の長さ、集中しているとなぜかくちびるを触る癖。オレばっかり気が気じゃなかった。
 そして、映画を見終わると、その感想やら学校のことやらをだらだらと話したあと、「楽しかった」と満面の笑みで帰っていった。
 ふぁみりが帰ったあと、身体の底には疲労感ともに幸福感が広がっていた。普段はひとりでいることに慣れた部屋が、ずいぶん広く感じた。そして、空っぽになったグラスがテーブルに置かれているのを見て、また別の感情が湧き上がってくる。ふぁみりから漂っていた柑橘系の香りが、持ち主が消えた今も部屋のなかに居座っていた。
 現実の非日常が、日常へと戻っていく。自分が抱くには不釣りあいなその感情に、オレは自嘲せざるを得なかった。

 うちにやってきたふぁみりは、今日もいつも通りだった。いつも行っているレンタルビデオショップの袋とコンビニの袋をぶら下げて、ゆったりとしたシフォンのブラウスにショートパンツを身に着けている。あまりにも普段通りのその姿に、不思議と苛立ちさえ覚えた。
 何を飲むか尋ねると、ふぁみりは間髪入れず「メロンソーダ」と答える。「作ってくるから先に部屋に行ってろ」と言うと、ふぁみりは慣れた様子で2階に上がっていく。
 メロンシロップとソーダで作るメロンソーダは、ふぁみりが気に入っているものだ。もともとはオレが好んで飲んでいたものだが、ふぁみりが初めてウチに来たときにこれを出すと「家でメロンソーダが飲めるんだ」と目を輝かせた。それからというもの、ウチにくるたびこれをせがまれるようになった。まあ、気に入ってもらえることに悪い気はしない。
 部屋に入ると、準備を終えたふぁみりがソファーに座ってオレを待っていた。持ってきたメロンソーダをテーブルに置いてやると、目当ての飲み物を買ってもらった子どものような笑顔になり、それに口をつける。いつもだったらそれが密かに嬉しいのだけれど、今日はなんだか違っていた。

 映画は、ヨーロッパの田園地帯が舞台に、そこで自給自足をしながら生活をする老夫婦と、とある事情で都会から越してきた若い夫婦の交流を描いた作品だった。オレもふぁみりも、老父を演じる俳優がすきで、彼が出る映画は何本か見ている。
 この映画も当たりだった。映像の色彩はノスタルジックで絶妙だったし、BGMを極力減らし、生活の自然な音を重視している演出も味があった。老父役の俳優の演技はもちろんよかったが、その他の出演者の演技も惹きつけられるものがあった。
 だというのに、オレはどうも画面に集中できず、時折ふぁみりに視線を向けてしまう。彼女はいつも通り、ぼんやりした表情で体育座りをしながら真っ直ぐ画面を見つめていた。ふと目についた彼女の指先が、テレビから流れる映像の光を反射して、今までみたことのない色でつやめいていた。

 映画のエンドロールが終わる。内容は頭に入っているものの、いつもとは違う疲労感が自分のなかにあった。
 オレは深く息を吐き、DVDプレイヤーからディスクを取り出す。半透明のケースにディスクをしまっていると、「ねえ」とふぁみりが呼びかけてきた。
「巻島、何かあったの?」
 映画が終わったというのに、ふぁみりはソファーの上で体育座りをしたままだった。体を縮こまらせて、何かから身を守っているふうにさえ見える。
「…何でそう思うショ」
 図星を当てられて焦る気持ちと、お前のせいだと皮肉を言いたい気持ちがぐるぐると混じりあう。いびつな形をしたそれを飲み込もうとすると、喉の奥がひりひりとする感覚に襲われた。
「なんか、何となくだけど、いつもと違う」
 品定めをするようなふぁみりの視線が、オレに向けられる。居心地が悪い。それから逃れるように目を逸らし、腰をあげた。けれど、この部屋のなかに逃げ場はない。立ち上がったところまではいいものの、途端に手持ち無沙汰となってしまった。
 仕方なくレンタルビデオ店の袋を拾い上げ、ケースを閉まってからふぁみりに手渡してやる。座っていても手の届く範囲にあるそれを、わざわざ立ち上がって拾ったオレの姿を見てか、ふぁみりの表情は更に疑いの色を増した。
「今日、来るの迷惑だった?」
 急にしゅんと縮こまるふぁみりに対して、「違ェよ」と否定する。自分でもわかるくらい苛立った声音だった。ぐるぐる混じり合って、原型を残していない感情のなかから、必要なものを何とか見つけ出す。
「お前のこと、心配してんだよ」
「わたしのこと?」
 心当たりを探しているのか、眉をひそめて険しくなった彼女の顔を、じっと見つめる。しかし、それは見つからなかったようで、最後には「わたし、心配されるようなことないけど…」と口にした。
 どうして、そんな大事な出来事が見つからないのか。自分のことではないのに、ばかみたいに苛立ちを覚える。
「お前、バレー部の奴に告白されたんだろ」
 驚いた、とでも言わんばかりにふぁみりの目が見開かれた。そして、「何で知ってるの」と尋ねてくる。尻すぼみなその声は、今までに聞いたことのないくらいか細くて恥じらいを孕んでいた。赤い実がはじけたように、ふぁみりの顔が染まっていく。
「誰から聞いたの?」
 心なしか震えているふぁみりの声。正直、動揺してしまった。彼女のこんな姿は見たことがない。それに、ふぁみりに告白をした相手が、この姿を作り出している元凶だと思うと、こころの奥がざわざわと波立つようだった。
 オレが何も言わずにいると、ふぁみりから「田所から聞いたんでしょ。」と言い当てられてしまう。バレたと思ったが、それでもオレは黙っていた。けれど、不自然に逸らされた視線を見てか、ふぁみりは「田所のヤツ…」とぼやく。隠そうとした話の出どころを、自分の不用意な仕草でばらしてしまい、半ばやけになって髪をかき上げる。
「こんなとこで油売ってる場合じゃねーんじゃないの」
「油売ってるって…わたしは巻島と映画見たくてここにいるんじゃん」
「だからそのこと言ってんだよ」
 お互い、語尾が荒々しくなってくる。意志の疎通ができていないことは明確だった。ふぁみりは「ちょっと意味がわかんないんだけど…」と口ごもり、俯いてしまう。この期に及んで全部言わせるつもりか、と思ったが、オレの勝手な苛立ちはピークに達していた。
 「この映画だってそいつと見りゃあいいだろ」
 そう吐き捨てたと同時に、自分の身体がぎしりと悲鳴を上げた。胸が締め上げられるような感覚。こうなるとわかっていたから、言いたくなかったんだ。
 一方のふぁみりは、ぽかんと口を開けて黙ってしまった。
「…巻島、勘違いしてるみたいだから言うけど、告白は断ったよ」
 息苦しい間を十分挟んでからふぁみりが口にしたそのことばに、今度はオレがぽかんとする番だった。「マジか」と気の抜けた虫の息のような声がこぼれる。ふぁみりはこくりと頷いて、大げさにため息をつく。「何でそんな誤解してたの」と言われ、オレの表情が硬くなり、顔がかあっと赤くなった。何でかわからないが、コイツが断ったという考えはオレのなかに1ミリもなかった。穴が合ったら入りたいとは、今のような状況を指すんだろう。
「ねぇ、巻島」
「…何ショ」
「わたし、巻島とこうやって過ごしてるのが最高にうれしいんだけど」
 棘のある声にそぐわない甘ったるい台詞。ちらり、ふぁみりに視線を向ける。何でだ、こいつも顔真っ赤じゃねェか。熟れたリンゴのようにさっきよりも頬を染めたふぁみりは、「こっち見ないで」と言いながら氷のとけたメロンソーダを口にする。
 オレも、一旦カラカラの喉を潤そうと同じものを口にする。炭酸はとっくに抜け切っていて、甘ったるい緑色の液体が体のなかに流れていく。
 その表情に、その言葉に、オレはうぬぼれてもいいのだろうか。


土曜日は深いソーダ水のなか


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