幼馴染みの孝支のことが私は大好きだった。バレー馬鹿で、優しくて、気配り上手で、ちょっと抜けてるところがあって、そして、誰よりも努力を惜しまない。そんな魅力の多い彼のどこが好きかと問われれば、私は迷わずこう答えるだろう。私は、彼の、弱いところが好きだ。





「俺、来なくていいって、言ったべ?」
「でも、来るなとは言われてないよ」

 インハイ予選、三回戦で惜しくも負けてしまった烏野は十二分にかっこよかったのに孝支は難しい顔したまんま、明後日の方向をみていた。孝支の試合はたとえ登校日だろうと絶対に見に行ってたし、今日だってずる休みしてまで見に来たのに。孝支が怒る理由がわからず、私は途方にくれていた。いつから孝支は、私に本音を教えてくれなくなったのだろう。孝支は嘘が下手だから大抵のことはわかってしまう。別に来てほしくなかったわけじゃないけれど、わざわざ学校休むことないじゃんかと口を尖らせた彼は、きっと私が観戦しに来たことが気に食わなかったのだろう。夜中の12時頃、五年ぶりに私の家に押し掛けてきた彼は、幼い頃のように私のベットに腰かけて足をぷらぷらと揺らした。



 ソーダー飲む?と聞くと、ん、と小さくうなずいた孝支は、まるで子供みたいだった。思わず嬉しくなって駆け足で台所へと向かう。孝支のお気に入りのレモン風味のスパークリングウォーターをガラスコップに注いでストローを差す。部屋に戻ると孝支はベットに寝転んで眠っていた。少し残念に思いながら孝支の寝顔を見つめる。元から童顔の彼は、眠ると余計に幼く見えた。かわいい、と思わず吐いた言葉が部屋のなかで飲み込まれていった。




 あのね、孝支。小さい頃はそうじゃなかったかもしれないけれど、私は、頑張れとか、ファイトとか、そんな言葉は言わなかったし、言えなかった。それってきっと、自己満足だと思うから。私は孝支が頑張ってることを知ってる。タッパも、飛び抜けた技術も、これといった才能もないとわかっているからこそ人一倍努力している貴方を、ずっとずっと、ずーっと見てきた。貴方が人知れず流した涙も、縮まらない能力差に歯を食いしばったことも、笑顔に隠した貴方の気持ちも、私はちゃんと、全部全部知ってる。だから、頑張れなんて言えなかったよ。私の自己満足で"頑張れ"なんて気持ちだけ押し付けて応援した気になったって意味なんてない。今日だって何も言えなかった。

 でも、今日の試合でね、孝支がコートに立ったとき、ぱあってコートが活気付いたのがわかって私、思わず叫びそうになったよ。孝支、孝支って。キラキラした笑顔で声張り上げて、ただトスをあげていく貴方がとてもまぶしかった。すごく、貴方の名前を呼びたかった。呼べなかった。私って、いつからこんな風になっちゃったんだろうね。ごめんね、いつも素直になれなくて。

 私は、孝支、私はね、貴方の帰る場所になりたいんだよ。私は頑張れなんて言えないけれど、その代わり、お疲れって頭撫でてあげられる。貴方を受け止めてあげる。だから、お願い。私の前ではいつも"菅原孝支"じゃなくて、あの頃の"孝支"でいてほしいの。あんなに苦しそうな笑顔で、笑わないでほしいの。いつだっていい、どんなときでも私はここで待ってるから、またここに戻ってきてほしいの。私じゃ、役不足かもしれないし、昔みたいにいかないことはわかってるよ。でも、私はずっと待ってるから。








 ぽつりぽつりとふぁすとの口から紡ぎ出された言葉を、俺は寝たフリをしながら聞いていた。途中から起きていたけれど、どうしてもコイツの本音が聞きたくて俺は罪悪感を感じながらも狸寝入りを続けた。暫くして太ももの辺りに重みが加わり、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。ゆっくりと頭を起こす。そっとふぁすとの頭に手を乗せ、さらさらとこぼれる髪を掬う。綺麗だと口にするとなんだか照れ臭くなるので心のなかで止めておく。頬に手を寄せると擦り寄ってきたふぁすとをみて、ああ、俺は本当にコイツがすきなんだなって思った。


 五年前、中学二年だった俺達はからかわれたことがきっかけで人前で普通に会話ができなくなった時期があった。毎朝迎えに行くこと、下の名前で呼び会うこと、一緒に帰ること、互いの家で宿題をすること。それら全てがなくなった。バレーの試合だけは相変わらず見に来てくれていたけれど、ふぁすとは俺に声援をくれなくなった。二人だけになると今まで通りにふざけあえるのに人前では妙によそよそしいのが嫌で、俺はふぁすとと出来る限り距離を置くようにした。ふぁすとを、傷つけたくなかった。ただそれだけのことなのに、いつのまにか大きな溝みたいなものが俺達の間には生まれていた。

 高校に入ってからある程度距離は縮まったものの、その溝はどうしても埋まらなかった。理由はただ一つ。俺が、ふぁすとの前では弱ってる姿を見せたくなかったから。変に意地はってカッコつけたかったから。今日の試合にだって、できれば来てほしくなかった。俺がスタメンじゃないことはしょうがないことだし、試合に出させて貰えたからよかったはずなのに、どうしてもふぁすとにだけは知られたくなかった。大好きなふぁすとの前では、俺のことを全部知ってるふぁすとの前でこそ、俺は男でありたかった。ごめんな、ふぁすと。素直になれないのは、俺も同じだよ。



 ふぁすとをベットに寝かせてからもう一度顔を覗き込む。額に一つ、キスをしてから布団をかけた。小さなテーブルの上のソーダー水がぱちぱちと音をたてた。そういえば、喉乾いてたんだっけ?ガラスコップに直接口をつけて一気に飲み干す。しゅわしゅわと口のなかで弾ける泡沫は少し温めのレモン味。あの泡と一緒に自分の中のちょっとしたわだかまりみたいなものもとけていったような気がした。俺もふぁすとも、大概変わってないなあ。いつも無意識のうちに、お前は俺を救ってくんだよ。泡沫に溺れそうな、溶けてしまいそうな俺を助けてくれるのは、いつだってお前だったし、これからもずっとお前がいい。そしていつかは、俺もお前を救えるようになるから。だからもう一度だけ、お前の、ふぁすとの、声をください。







「こう、し…?」
 重たい目蓋をやっとの思いで持ち上げる。まだぼーっと霞む脳内。どうやら孝支は帰ってしまったようだ。額に残る微かな感触は多分、私の夢なんだろう。寝転んだままんーと伸びをすると手に紙のようなものが当たった。起き上がって見てみると、それは孝支のメモだった。ゆっくりと視線を滑らせて行く。覚醒しきっていない脳が文字を認識するまで何度も何度も。内容を理解すると同時に頬が緩むのは、しかたのないことだと思う。顔に熱を感じて再びベットにダイブした。だって、きっと、あの額の温度は夢じゃない。やっぱり孝支はずるいなあ。大好き。

 大丈夫だよ、孝支。今度は声が枯れるまで叫ぶから。

 まだまだ先の春高へと向かう彼の背中が目に浮かぶようだった。大丈夫、きっと烏野はもう一度翔べるはずだから。




"今日の試合、見に来てくれて、本当はすげぇ嬉しかったよ。ありがとう。
俺、次も多分スタメンじゃないだろうけれど、もっともっと活躍するから。俺は俺の方法でチームを引っ張るから。絶対に勝つから。
だから
応援よろしくな。
ふぁすとの声を、きかせてくれ"


土曜日

深いソーダ水
のなか



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