※全て及川の回想と独白になります


不釣合いでも間違いでもなかったと言いたい。強いて言えば、彼女は俺より数倍博識であり、賢いひとだった。そして、常に危うさを側に置いていた。それは一種の決められた事であったのかもしれない。人類すべてが平等に森羅万象の渦へ溶けるための必須項目。世界のバランスを取るため。そうでなければ不可解、……いや、自分が納得できないと言うのが本音。

俺もファーストも運命なんて信じない質だったけど彼女は特にリアリストで、天国も地獄も救済も世界の終末も偏にばっさりと切り捨てるような人だった。馬鹿らしいの一言で。だけど、本当にそれを信じている人の前では決してそれを口にしなかった。時にはそれ――何かを信じる心、信じる対象という依り代――が必要な人間もいるんだ、と。自分の言葉や考えが人より鋭いことをきちんと知っていて、むやみに鋭利さを振り回す人じゃなかった。自分の事をだからこそ人に遠巻きにされず、上手な生き方を知っていたんだと思う。竹を割ったような性格のファーストは今まで付き合ってきた女の子たちと真逆もいいところ、バレー部の面々にはどこで捕まえたんだ、今までのタイプはどうしたと囃されたっけ。


消えた。本当に、ある日、突然。彼女のアパートは元々家具が少なかったから、捨ててしまえば処理は早かったんだろう。家具より遥かに部屋を埋め尽くしていた本も綺麗さっぱり片付けられていて、後日俺の手元に数冊だけ送られてきた。メッセージカードくらい付けてくれたっていいのにそれもなく。その代わりに俺がプレゼントした栞が紐でまとめて箱の底に入っていて、ファーストはもう俺の元に帰ってくる気がない事、彼女との連絡がこれきりである事を悟った。ファーストから作られるものにはいつも鋭さがある。だからそれは最後の最後、縋ろうとした俺の手もすっぱりと切っていった。「ずるいよ」今まで自分にだけは向けられることのなかった鋭さ。切り口が綺麗過ぎて、痛みを覚えるには時間がかかった。

俺はファーストを愛していた。だけどお互いの言語が違っていたから、俺も彼女も痛む道しか選べなかったんだろう。ファーストが俺を愛していて、そのために俺の前から姿を消したんだと知ったときは初めて人目を憚らずに泣いた。隣に岩ちゃんが居なかったらそのままふらふらと知らない街に溶け、失踪してしまったかもしれない。ああまさか、お前がもう眠っているだなんて露ほども思っていなかったんだ。どこかでまた寝ぼけた誰かの尻を叩いて、教えて、学んで、笑っているんだとばかり。

「及川。後を追うなんて事は、」
「しないよ。分かってる。そんな事したらファーストに本の背で殴られる」
「ファミリさん、なんで何も言わなかったんだろうな」
「……俺がこうなる事まで知っていたからじゃない?」
「………」
「ごめん、冗談。岩ちゃんまで暗い顔しないで」

彼女は賢い人だった。だから全部知っていた。自分の身体が長くない事も俺がその事実を受け入れられない事も、そうしてすべてを見通す事の代償も。文豪でも発明家でも、出来た人は早く亡くなってしまうよね。いつかそう言っていた彼女もまた出来た人だったから、決められた事だからファーストは人より早くこの世界から取り去られたんだろう。


「ねえ徹、知ってる」

“人を忘れるときはね、声から忘れるんだって”そう言っていたファーストの声をもう思い出せなくて、馬鹿だなあ俺、と一人で静かに微笑む。こんなかなしい事を覚えていなくていいから、愛しい彼女の事を覚えておけばよかった。

ねえファースト、謝りたい事があるんだ。“忘れられる事は社会的な死”なんだって、いつか言ってたよね。だったら俺は……いや、謝っても意味なんかないか。ああでも俺はファーストみたいに人の痛みの知り方は知らなかったけど、世界で一番しあわせになれる方法なら知ってるよ。そうしたらもう無くすものはなくなって、その声も名前も温かさも柔らかさも残しておける。もし、減らないけれど多すぎる事は決してない、そんな素敵な世界があったなら俺たちはもっと指を絡めてばかみたいに泣いたり笑ったりできていたと思うんだ。腫れた瞼なら下ろしてしまおう。重たすぎて不必要だ。濁った瞳なら向けてはならない。綺麗で鋭利だった輪郭が見えなくなってしまう。

俺は盲目になる。いつかお前の声の温もりを思い出すまで、星明かりのない宇宙を歩いていくよ。だけどもしまた目を開けるときが来るとすれば、それはすべてが均等に配られて多くも少なくもない世界で二人がまた出会えたときかな。太陽じゃなくて星。でも俺の中にはそれしかなかった。だから探しに行くよ、それまでは、迷子でいさせて。


君の宇宙で迷子になりたい


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