恭弥先輩、窓から外を見つめる彼に向けて小さく呟けば彼は無表情のままこちらを振り向いた。君さっきから何してるの?と、数分間にらめっこしているそれを指差して子供みたいに彼はこてん、と小さく首を傾げる。彼には似合わないその可愛らしい仕草にくすくすを堪えきれない声をもらせば、不機嫌そうに眉を寄せて近づいてきた。

「ねぇ、馬鹿にしてるの」
「だって先輩、今の似合わな…ぷぷ、」
「咬み殺すよ」
「ちょ、女の子に暴力はいけないって言ってるじゃないですか」
「君、女だっけ」
「……酷くないですか?」

それでさっきから何してるの?と私の言葉を無視して再び彼が言葉を投げる。今度は首を傾げる仕草は無かった。なあんだ、残念。普段は仏頂面の先輩の子供みたいな表情は貴重なのに。

「懸賞パズルです」
「………」
「あ、今しょうもないって思いましたね」
「馬鹿じゃないの」
「馬鹿じゃないです」

応接室という名のこの部屋は外の天気が荒れてるおかげで薄暗い、その中で黒いトンファーが鈍くひかった。すとっぷストップ暴力反対ですよ先輩。うるさいな、馬鹿は黙ってて。ちょ、やっぱ酷くないですか?昨日も一昨日もこんな風に馬鹿じゃないかと言われたような気がする。昨日はどこぞかの高値でアイスを売りさばく店のチラシを眺めて私がアイスを食べたいと先輩に駄々をこねて、一昨日はクラスメイトから貰ったちょっと大人向けなファッション雑誌を読みながら恋愛したいなあなんて私が一方的に喋り倒してたんだっけ。ちなみにぎりぎりセーフな感じの男性アイドルの服のはだけた写真が表紙の雑誌。その雑誌は勿論、私の妄想話に馬鹿じゃないのと呟いた先輩がそれに気付いてびりびり破ってゴミ箱に捨ててしまいました。

「最近、先輩に馬鹿って言われ続けてるせいで心がズタズタになって死んじゃいそうです」
「図太い神経してるくせになに言ってるの、馬鹿じゃない」
「ほら、また言った」

先輩の馬鹿野郎と呟きながら応接室に備え付けられている給湯室へと足を伸ばす。壁に張り付いた小さな戸棚を覗いて目的のものを探した。煎茶、ほうじ茶、龍井茶、甜茶、どこから仕入れたのか分からない名前の中からダージリンときっと先輩に教えてもらわなければ一生読めなかっただろうそのアルファベットの羅列をみつけて小さく微笑む。

「先輩はなに飲みますかー?」
「コーヒー」
「はーい」

ブラックでいいか、と適当にティーカップに淹れてくるくるかき回して差し出したそれに小さくありがとうと紡いだ先輩は一口飲んで、小さく息を吐いた。どうやらブラックで正解だったようだ。ゆるりと口元に小さく笑みを浮かべた。

「それをやってどうするの」
「これですか?ほら、ここにある遊園地のペアチケットでも当てて誰かとデートしちゃったりしてー…とか考えてたんですけど…」
「けど?」
「本当にみんなこれで懸賞なんて当ててるんですか?さっぱり分からないんですけど」
「……やっぱり君は馬鹿だね」
「……言い返せないです」

星で表された難易度が星一つというとても簡単なはずのクロスワード。それがどうしても解けない。嫌になっちゃうよ、まったくもう。溜め息と共に薄い冊子をぱたりと閉じてゴミ箱に向けて投げつける。こつん、と角に当たったそれはゴミ箱を逸れて床へと落ちた。

「雨もやみそうにないし、どうしようかな」

きっと教室に戻れば沢田綱吉、山本武、獄寺隼人、それから京子や花がトランプをしたり世間話に花を咲かせたりして放課後という時間を有意義に過ごしているだろう。中学からの付き合いである彼らと高校も同じとくれば最早腐れ縁に近いだろう。そんな彼らの誘いを蹴って飽きずに毎日ここに通う私は思わず触れてしまいそうになるその真っ黒な髪を見つめながら、夜の色に似てるなあなんて思った。真っ黒な空と瞬く小さな星達が微かな灯りに反射する彼の艷やかな髪にそっくりじゃないか。ぱちぱちと瞼を瞬いてダージリンティーの匂いを鼻いっぱいに吸い込んだあと、深く息を吐いた。この天気の調子だと、今日の夜空には星は一つも現れないだろう。

「君、雨が苦手じゃなかった?」
「そうなんですよ、大嫌いです」

ずきんずきんと先程から痛む頭には無視を決め込んでいるつもりだ。それでも何かと主張してくるこいつを、どうにかしたい。ふう、とダージリンの爽やかな香りで体中を満たそうと試みる。よし、深呼吸だ。

「寝たらよくなるんじゃない」

そう私の頭を優しく撫でた先輩の手は、とても冷たい。それでも幾らか頭痛が和らいだ気がしたのは、私の脳みそが単純だからだろうか。

「膝枕してください」
「嫌、膝枕なら君がしなよ。僕も眠りたい」

普段は馬鹿だ馬鹿だとその薄い唇から私に辛辣な言葉を投げてくるくせに、たまに彼はこうして優しさだったり甘えだったりをちらつかせる。普段は咬み殺すやら群れるなやら、鈍くひかるトンファーを構えて生徒達を恐怖に陥れる彼からは考えられないような仕草。ほら、こうやって首を傾げてするりと私の頬を撫でるのだ。こんな時、私はどんな顔をしているのだろうかとたまに先輩のその瞳を借りて自分自身を見てみたいと思ったりする。目を見開いて驚いているのだろうか、頬を真っ赤に染めているのだろうか。きっと、その両方だ。

「先輩」
「なに」

甘く淡い感情に、告白じみた言葉を吐き出しそうになるときもある。けれど喉元まで這い上がってきたその言葉は、反射的に舌に絡めとって外に吐き出せないまま歯で強く噛み砕いてもう一度喉の奥へと引っ込んでいく。どうやら、私には一歩踏み出す勇気というものが足りないらしい。引っ込んでしまった言葉が容赦なく呼吸を遮って、苦しくなって深く息を吸い込む。

私の次の言葉を待つように黙ったままの先輩に何でもないと弱く頭を振ると、もう一度頬を撫でた先輩の手が私の唇に僅かに触れて、するりと離れた。ぴか、と室内が一瞬だけ明るくなった。どこか遠くで雷の落ちる音が聞こえてくる。頭の痛みは、尚もその存在を主張し続けている。どうやら、本当に寝てしまったほうがいいらしい。一度和らいだはずの痛みが、小刻みに強くなっていく。

「ねぇ」

ぎしりとソファが小さく鳴った。女として恨めしくなるほど綺麗な先輩の手が私の肩にまわっていくのを眺めながら、雨やまないかな、とずきずきと痛む頭を無視するように呑気に考える。室内を満たしていたダージリンの強い香りとコーヒーの苦い香りが、先輩の香りに遮られて隠れてしまった。

「眠ってもいいよ」
「膝枕しなくていいんですか?」
「また今度にしてあげる」

胸元に押し付けられた頭をぐりぐりと埋めて、先輩の香りを鼻腔いっぱいに満たしてみる。ああ、なんだか眠くなってきた。

「先輩の匂い好きですよ……抱きしめられたら安心して眠気が…」

素直にそう告げれば子供みたいだね、なんてくすくす笑う声が頭のてっぺんから聞こえてくる。その言葉の通りに子供のように先輩の背中に手をまわしてぎゅう、と強く抱きつけば、とんとんと背中をリズム良く叩かれて心地良い。

たまに彼はこうして優しさだったり甘えだったりをちらつかせる。きっと私の周囲の人間がこの光景を目撃してしまったら、顎が外れてしまうくらいに口を大きく開けて驚きを表すだろう。身近な人間でそれを想像してくすくすと笑みがもれる。きっと、この校内で、いやこの世界中で、宇宙を探したって彼のこんな姿を拝めるのは私しかいないんだろうと、変な自信だけはあるのだ。彼の胸元に埋めた顔を動かして片目を開けて彼を見上げる。その瞳が瞼が緩くおろされていて、彼が私の背中を叩く度に振動で揺れる髪は真っ黒だ。袖を通さずに羽織っただけの学ランも同じように真っ黒で夜というよりはまるで宇宙のようだ。その手の冷たさは私の思い浮かべる宇宙の温度にそっくりで、冷たいくせに私を優しく包み込んでくれてそうして私の心を満たしていく。喉元に引っかかる言葉がたまに呼吸を遮って苦しくなって、それでも私は必死に呼吸を繰り返す。器用に片目だけその瞼をぱちぱちと瞬かせて、まるで重力を失ったようにふわふわと微睡みの中に沈んでいった。


君の宇宙で
迷子になりたい


きっとこんな天気でも、宇宙に漂う星は綺麗に瞬いているんだろう。



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