理系の先輩はずっと星を眺めて、将来は宇宙飛行士になりたい、NASAとか、そんなとこに就職したい、なんてくすりと微笑む。程々の偏差値の高校に、とんでもなく人知を超越した賢さを持つ、変な女だった。俺が寝床にしようとサボタージュを図った四時間目、彼女は死んだように天体望遠鏡にもたれかかっていた。病人めいた青白い太ももが風に揺れたスカートから覗き、化け物ぞろいのクラスで生活する俺も、流石に背筋が凍ってしまった。学園七不思議なんざに怯えんのは土方か旦那のヤローだけで十分でさァ……、耳に引っ掛けたイヤホンを片耳外して、それでも今更教室に戻るのもかったるく、俺は留まったのだ。非常階段の錆びた茶色、真っ青すぎる空、星を見るにはまだ早い、午前十一時。

「あら、サボタージュ?」

死体のような女から目を逸らし、眠ろうとすると、女の柔らかな声が囁く。死体もとい女は、緑色の上履きを履いていた。……上の学年、近藤さんやあのクソ男と同じ学年かよ、まったくどーしてこうもこの学校の先輩は変な奴らが多い。げ、と心で呟くと、女はクスクスと笑った。

「なにがおかしいんでィ」
「だって、そんな嫌そうな顔を表に出すものだから」

浮世離れした話し方に、野暮に突き放すことが出来ない。苦手だ、こういう女。その辺の女は単純にキレて、めんどくさい女ほど分かりやすく人を嫌いになる。離れるだけ離れればなんとかなるのだ、その女が愚痴愚痴陰口を叩いたところで、そいつがみっともないだけだから。けれどこういう、裏も表もないような曖昧な女、どう距離をとればいいのかわからない。正直なところ、苦手だったはずのこの女となぜ仲良くなったのか、覚えていない。嫌いなのだったら離れればいいだけなのに、あの笑い声が頭から離れずに、数回ほど寂れた非常階段へ通い、また、先輩もそこにいた。偶然なのか、お互いに望みあっていたのか、考えてみると馬鹿馬鹿しくて、結論を投げてみる。けれど、たまに女々しく知りたくなってしまう。

「宇宙は美しい。たとえ星がそこに、死んだまま縛りつけられていようと、私の目の中で宇宙となってくれる。ずっと前の時の奥底で死んだとしても、死ぬ前の輝きが今生きる私の眼球にナイフみたいに入り込む。美しい暴力よ。私は死んだら、この体を宇宙へ投げ出したい」

先輩は長いまつげを震わせ、そんなことを話した。俺にとって星は、ただ見上げるものであり、命を搾り取られたいとまでは思えない。ただ、綺麗だなあ、と陳腐に眺めるだけだ。不思議と先輩の言葉は、断片的に聞いていると宗教のようなのに、なぜか世界の真理のような、そんな力があった。俺はなされるがままになる自分が嫌で否定しようとするものの、言葉が浮かばない。とりあえず、先輩である彼女に甘んじて言葉を贈った。

「相変わらずのクソ電波で」
「そちらこそ噂通りの毒の舌」

もう学校に来なくたっていいのに、先輩は学校へ来る。背がひょろりと高いから、非常階段の人影は飛び抜けていた。頭は良いのに不真面目で、ずっと気が向かない時はここにいた、と先輩は話した。同じ穴のモグラっていうやつなのか、あ、なんか間違ってる気がする。俺、国語も出来ねェのかな。

「NASAでしたっけ、高卒でも就職出来ますかィ」

先輩は一瞬、切れ長の瞳を丸くし、顔を綻ばす。それは頭の悪い私には厳しいわね、なんて学年主席のあんたが言ったら嫌味にしか聞こえねーよ。俺がタメ口を聞いても、先輩は怒ることも悲しむこともなかったが、この静かな威圧感が少し恐ろしかった。いくつもあるのに重ならない星々、平行線、ねじれの位置、忍び込んだ真夜中の非常階段。

「あんた、バレたら大学入学取り消しでさァ」
「まあ大丈夫よ。今日、校長浮かれて飲み会行ってるだろうし、この学校にセコムを雇う余裕はない」
「なァんでそんなこと知ってるんです」
「ちょっと言えないこと」

茶化すように唇に指を当て、大人めいた笑い声をあげられる。二歳しか変わらないくせに、どうしてそんなに大人ぶる。子どもの見るような大きな夢を持ってるくせに、瞳の宇宙はきらきらと輝き、顎のあたりで切り揃えられた髪に触れる。あ、枝毛。
先輩は俺が触れたことも知らずに、望遠鏡を覗く。瞳に星を敷き詰めて、首筋を覆う白いマフラーが風に揺れた。似合わないようで似合っている、中学生みたいなマフラー。

「バレたら取り返しのつかないことなんて、今までたくさんしてきたわ。ただ誰も知らないだけ」
「似非優等生ってわけですか。中二病」
「じゃあひとつ、君に私の秘密を教えてあげよう」
「いやいいです聞きたくないです」
「聞けやコノヤロー私も墓場までこの秘密抱えたくないんじゃボケェ」
「おいキャラ変わってんぞ電波女」
「まあ聞いてちょうだいな」

くすり、とあの微笑みを先輩は浮かべる。虫も食わぬような顔をして、俺に苦虫を押し付けるってのか。薄い唇は笑い、「やっぱりやめるわ」と言った。おい、それこそ気になっちまうだろーが。

「延々と君は私の秘密に気がつかずにそのうち忘れればいい」
「怒ってんすか」

先輩は俺の声に顔を向けて、目を丸くする。きょとんとした瞳に、少し沈んだ表情をして、瞼を伏せた。

「君といると、私がよくわからなくなる」

そんなの、俺のセリフだバカヤロー、頭のいいくせに、バカヤロー。そんな理由もわかんねえのかよ、まあ、俺もわかんないんだけど、頭がパンクしそう。唇を動かすことも出来ず、ただ望遠鏡に目を近づけた。星は綺麗なだけだった。俺に先輩の生きがいなんて理解できないように、先輩の秘密もきえていく。微笑みながら。

「星、綺麗ですねィ」

アルタイル、デネブ、ベガ、冬の三角形だっけ、夏の三角形だっけ、なんだったのか忘れてしまった。それでも、冬の空は綺麗だな、と思える。俺は知識なんていらない。だけど、先輩の中で俺はどんなものなのか、聞いてみたくなる。

「うん」

先輩は階段にもたれかかり、出会った時の死体のようだった。彼女は死んでいく。もうすぐセーラー服を脱ぎ捨てて、FBIみたいなアメリカの連ドラみたいな宇宙に飛び込んで行く。キャンセルできたらいいのに、ふとそんなことを思った。進化の先を止めることができないように、俺はちっぽけすぎて、次元が砕けてく。先輩の黒い目と目が合って、「肉眼でも今日は綺麗に見える」と囁かれた。痺れそうな麻薬のような、宇宙。こっちにおいで、と手招きする仕草に、無性に胸が苦しくなった。もっと早く出会えたら、もっと早く生まれてこれたら、俺は図々しくなれたのだろうか。

冷たくなった唇に触れた。柔らかくて、皮ばっている。このまま誰にも見つからなかったらいい。先輩の顔は見えない。先輩は拒むかと思ったら、逆に近づいてきた。体温が緩やかに伝わり、自分で動転しそうになった。宇宙で溺れて窒息死、なんだか、お似合いじゃないか。世界は理だらけで、単純に出来ている。暖かすぎると溶けて、冷たすぎると凍って、人間は丁度その中間。なんて曲がりくねったシンプルな結論。この世は単純で、難しい。
大きいものは大きくて、小さいものは小さく、世界は深くて広い。宇宙はそのまた更に広い。こんな一世一代のキスだって、ちっぽけで、宇宙もまた一つの価値でしかなく、俺は溺れ続ける。

「ねえ、私ね」

あなたのこと、と言いかけた唇をまた、塞いだ。耳も塞いでしまいたくなった。幸せになることなんて望まないから、先輩の瞳の中で俺は溺れていたかった。ああ、なんて美しい暴力よ。彼女の言葉を思い出して、舌でめちゃくちゃにした。それでも、夜空は綺麗なまま俺を見下す。


君 の 宇宙 で
迷 子に なり たい



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -