選んだのは安全な道

『…かわいいなあ』


たくさんの小さな音が溢れる中で、小声でぽつりとつぶやいた。それは二酸化炭素となって、教室のどこかに消えていく。

紙に計算を書いているのであろう音、ゴムで紙を擦る音に、やりすぎてくしゃりと紙が折れた音。計算が終わったのか紙を裏返すぺらりという音なんかもある。それは全部私にとって心地よいもので、窓際の後ろ寄りの席で、割と計算が早い方にいる私はそれを聞いてぼうっとする時間があるわけだ。
プリントが終わって暇になった私は、ずっと想い人であるあさ子ちゃんを見つめていた。あさ子ちゃん、可愛いな。…あ、落書きしてる。一応全部埋めたのかな。数学は埋めようとしても埋められるものじゃないから落書きしてるのか…そんなところも大好きだけど。

あさ子ちゃんを高校の入学式で見たときは、なんだこのとびきり可愛い子、という印象だった。中学の知り合いが多い中で、遠くから来たあさ子ちゃんが珍しかったのもあるけれど。別に好きだったわけじゃないよ、でも気になってはいた。一年生でクラスは違ったけれど、いつの間にか目で追いかけていて。この気持ちが恋だと自覚するのに時間はかからなかった。
二年生、クラス発表。夏目あさ子の字があった時、嬉しくてたまらなかった。声をかけたのは私からで、入学式の次の日だった。


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「はあ…このクラスで私はやっていけるのでしょうか…ミッティしか…ミッティしか…」

『あの…夏目、さん!』

「!?はっはい、なんでしょう苗字さん!」

『な、夏目さんって可愛いなって思ってて…今年一年よろしくね!あっ…あと名前でいいよ!』

「じゃ、じゃあ名前!私もなんでもいいですよ!仲良くしましょうね!!!」

『んー…あさ子ちゃんとか』

「あさ子ちゃん…!親友って感じですね…!!」

『ふふ、じゃあまた明日!』


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まあそんな感じで仲良くなって、私は今、あさ子ちゃんに親友認識されているわけである。シズクちゃんと同じかそれ以上かだとは思っている。
そう、親友。友愛。彼女が私に持っている感情はそれ以上でも以下でもない。男同士のアレだったら、友情からの恋愛なんかもあるけれど、女の子は友達は友達で、想い人とは全く別のもの。


「はい、終了!後ろの人集めて」


先生の終了の合図でプリントが回収される。別に大事なテストでもなんでもないし、未来には価値のない紙切れになるんだろうな、なんて哲学めいたことを考えながら、後ろの席の子に回収されるプリントを目の端でとらえる。
プリントが回収されて見るものがなくなった私は、またあさ子ちゃんを見つめる。
先生が時間が余ったから、と話しはじめた話に湧き上がる笑い、そんなのはどうでもいい。男の先生だからか、どこか機嫌が悪そうな彼女はほおづえをついているようだった。ああ、あのふくれた顔もかわいいな。いとしい。

授業の終わりを告げるチャイムとともに終わった先生の話。起立、礼、それが終わればみんな友達のところへ行く。

カリカリカリカリ、復習をしているらしいシズクちゃんに話しかけたあさ子ちゃんは見事にスルーされた。名前〜!と叫びながら私の元へ駆け寄ってくる。ああ、なんてかわいらしい女の子なんだろう。
ぱっと手を広げれば、あさ子ちゃんは飛びついてきた。女の子の体つきだ。やわらかい。いいにおい。


「名前〜!ミッティがひどいんですよぉ…!」

『そっかそっか、でもミッティに悪気はないからなあ』

「うう…分かってますよ!でも無視は…無視は…!」


もう、とくすくす笑って苦笑いしているけれど、私の心の中はぐちゃぐちゃで。やっぱりシズクちゃんも大事だよね、分かってる、分かってるけど。こんな心の中、彼女には見せられない。もし彼女が人の心の内を見ることができるなら、私には近づかないだろう。離れていくかもしれない。嫌だ、それなら友達のままでいい。
自分が臆病なのは分かっていた。だけど、それであさ子ちゃんが女の子まで信じられなくなったら?そんな言い訳をつけて、私は今の関係を保っているんだ。

そしてまた、休み時間終了を告げるチャイムが鳴った。



選んだのは安全な道
(一生告げることのない想い)



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