ウチには居候の妖怪がいます。



 突然だが、ウチには居候の妖怪がいる。

「嫌じゃ!! 行かせん!!」
「うるさい、しつこい」

 ご覧の通り、妖怪は我儘で聞き分けが悪く、同居するには大変面倒な相手である。
 先ほど電話があり、友人が払ってくれると言うので、急遽今夜の飲み会へ参加する事にした。一人暮らしの大学生にとって、《驕り》ほど魅力的な誘いはない。
 玄関で駄々をこねる居候ことゲゲ郎を押し退けて靴に足を入れる。床を踏み鳴らして暴れるので、下の階への迷惑だとやめさせた。
 何度したか分からないやり取りをする為、嫌々彼と向き合う。

「『行ってこい』って言ったじゃん」
「男がおるなら、止めておったわ!」
「男って……、団体の一部だよ」
「嫌なもんは嫌なんじゃ!!」

 ぎゃんぎゃんと吠える彼の目には薄らと涙さえ浮かんでいて、正直引いた。彼は何百年生きたらしい幽霊族だが、感情を爆発させる事においては私よりずっと子供っぽい。

「わしがおるのに、お前は他所の男に現を抜かしおって……!」
「だーかーら、ご飯食べるだけだってば。現も抜かしてないし、ゲゲ郎はただの居候でしょ」
「い、今はそうじゃが、わしは、」
「うるさい。聞きたくない」

 出たよ、保護者面。
 日に日に鬱陶しくなるゲゲ郎の過保護さには嫌気が差してくる。
 友人に電話で参加を伝えた際はゲゲ郎も嬉しそうに頷いていたのだが、後出しで「男もいるけど気にしないでね!」と言われて強引に切られると怒り出した。父親か。
 恐らく、何かの数合わせなのだろうが、それにしたってタダは大きい。
 嫌だ嫌だと涙するゲゲ郎にジャンケンを持ち掛け、私が正当に勝利したはずだが、未だにコートの裾から手を離さないでいる。

「飯など、わしが幾らでも作る!!」
「悪いけど、野生のカエルや野うさぎは口に合わないから」

 二度とあんな夕飯はごめんだ。
 手にしていたマフラーを首に掛け、彼の手を軽く払う。瞬間、彼の表情がぴしりと固まり、重々しい声で最後通牒のように確かめられた。

「どうしても、行くのじゃな」
「約束したしね。すぐ帰るから」

 居候の機嫌になんて構ってられない。リュックを背負い、ドアに手を掛けようとしたその時だった。

「────少し傷を付けるが、許せ」
「なっ……!」

 思いもよらぬ力で腕を引っ張られ、バランスを崩す。そのまま乱暴に抱きしめたかと思うと、抵抗する間もなく右側の首に勢いよく顔を埋められた。

「っ、い!?」

 痛みが突き刺さる。噛まれた、らしい。
 慌ててゲゲ郎を突き放し、怒りと困惑でいっぱいになった目で強く睨んだ。彼は顔に影を落とし、不気味に光る赤い目でこちらを見下ろしている。熱くなった首筋を、反射的に手で抑える。

「何、したの……」
「お主の血の味を覚えた。何処へ行っても、見つけられるようにのぅ」

 すぐに外して掌を確認すると、薄らと血が付いていたが酷い怪我ではなさそうだ。虫刺されを強く引っ掻いた程度だろう。
 安堵したのも束の間。細長い指が私の両頬を覆い、顎と首の境目を縛るように固定された。片側とは思えない眼光の鋭さに支配される。命を握られているような感覚。脳が警鐘を鳴らし出したがもう遅い。
 ゲゲ郎は、本気らしい。

「お前は、わしに魅入られておる」

 這うような声に、息を呑む。赤黒い虹彩がギョロリと動き、私に刻みつけるように言葉を放った。

「決して逃がさん。その事、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 心臓が痛い。突然、氷水に突き落とされたようだ。
 頷く事も出来ない。ただ、呼吸をする事に必死になる。そのまま彼を見つめていると、やがてスルスルと指は引かれて緩やかに解放される。
 こめかみから、冷ややかな汗が落ちた。私は、いつの間に息が上がっていたのだろう。
 長い長い溜息のあと、口を三の字に窄めたゲゲ郎は「はよう帰るのじゃぞ」と忌々しく呟いた。いつもの、彼に戻ったらしい。
 少し怖い。が、今更折れるのは私のプライドが許さなかった。おずおずと「行ってきます」の挨拶をして会釈する。

「ああ、もう一つ忠告じゃ」

 今度こそドアノブを握ったのに、またゲゲ郎が一歩近づいてくる。私の肩は跳ねたが、気にしていない素振りで「何」と出来る限り強がって聞き返す。
 彼は私の右耳に吊り上がる口元を寄せると、満足気な低音を私の鼓膜へ響かせた。

「襟巻きは、外さん方が良い」

 ゆらり。
 冷えた指が、艶かしく私の首元を撫でる。
 ぶわっと顔が羞恥に染まったのは、むず痒く触れられた部分に体が強張っただけだ。
 ゲゲ郎の裸足を思い切り踏んで私から体を離すと、外したリュックを振り回して鳩尾を殴ってやった。
 彼は後ろへ尻餅を付いていたが、私に謝りもせず「酷い女子じゃ」と愚痴を垂れる始末。
 怒りに体を震わせ、マフラーを強めに巻きながら叫んだ。

「最ッ低!! このッ、変態妖怪!!」

 大きな音を立てて勢いよく扉を閉めてやった。去り際に何か口にしていたが、もう知らない。本当に、他所の男とどうにかなってやろうか。
 あいつは妖怪。ただの居候。
 絶対、あいつが、特別になんてならないから。

240306


  

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