迷惑な看病



 電子音が耳に響く。小さな音さえもうざったい。

「げっ、38度もあるじゃんか」

 私から体温計を受け取った兄は、顔を歪めて哀れんだ。ベッドに力無く横たわり、自嘲気味の笑顔で返す。
 熱を出すなんて何年ぶりだろう。昨日の夜、少し体がだるいからと早く寝たのにこのザマだ。心配した兄が出勤前に急いで薬やタオルを用意してくれたが、これ以上引き止めるわけにはいかない。

「やっぱ今日、予定変えるわ」
「大丈夫だよ……。薬も飲んだし、寝てれば治るから」

 申し訳なさそうな顔で悩む兄に「子供じゃないから」と言って無理やり納得してもらう。今日は地方まで行って、有名な資産家の御祈祷があると以前から聞いていた。妹の看病なんてしてる場合じゃない。
 新幹線に遅れてしまうと、半ば追い出すように兄を手で払う。困り顔で頷いた兄は、諦めて仕事鞄を手にした。

「戸締りはしとくから、ゆっくり休めよ。たまに連絡入れるからな」
「うん」
「あ、換気で開けてるけど、寒かったら窓閉めろよ」
「分かってる……、いってらっしゃい」

 そうしてドアが閉じられる。静かに階段を降りる音、玄関の開閉音。兄が無事に出勤した気配を感じて瞼を降ろす。
 体が、熱い。
 脈打つたびに頭痛が大きくなり、意識が朦朧とする。年甲斐もなく唸ってしまいそうだ。
 食欲もなく、眠気もない。ただじっと横たわって、早く回復するように祈るばかり。そのうち眠れる事を信じて、整えるようにゆっくりと呼吸する。

「フン、無様だな」

 夢にしては早い。
 決して見舞いとは思えない、勝ち誇った声。重たい気分のまま目を開ければ、無遠慮に窓へ足を掛けた蓮がこちらを見て笑っている。
 夢で、あって欲しかった。

「なんで……」
「キサマの弱った姿を一目見たくてな。ククッ、か細い声が聞けて何よりだ」

 心の底から楽しそうに声を弾ませ、蓮は許可なく私の部屋へ飛び降りてくる。一応靴は脱いでいるが、そんな事は問題じゃない。

「お兄ちゃんに、聞いた……?」
「まさか。アレが口を割るわけなかろう」
《申し訳ありません。私がご報告を》

 ポン、と現れた人魂が謝罪する。同時に、お兄ちゃんと蓮の仲が驚く程悪い事を思い出した。
 もしかして毎日私の事を見張っているのかと不安になったが、ぐらぐら揺れる頭のせいで上手く口が回らない。「そう」としか答えない私に、蓮は不満そうに口を曲げている。

「折角だ。看病してやろう」

 鬼の提案。
 今面倒を起こされたら、何も出来ない自信がある。私は冷静に断った。

「大丈夫だから、帰って」
「なに、遠慮するな。ボロボロになったキサマを見下ろせて、オレは気分が良いのだ」

 嘲笑の色を隠す事ない目が、今だけは憎い。代わりに小さい馬孫を睨んだが、珍しくやる気になっている蓮に喜びを感じて止めようともしない。
 突っ込む気力を使うのが惜しい。頭痛がひどくなるこめかみを抑えながら「ありがとう」ともう諦めながら伝えた。

「世話の掛かる奴め」

 そう言いながら二度も鼻を鳴らす。嬉しいらしい。

「して、馬孫。何をすれば良い」

 それは考えてなかったのか。
 聞こえていないフリをする為、とりあえず目を閉じて無視する。

《やはり、看病といえばお粥では?》
「このオレが料理だと? 却下だ」
《では……、汗をかいた身体を拭いてあげるのはいかがでしょう!》
「それだ。よし、脱げ」
「お願いだから安静にさせて……」

 枕でも投げつけたいがこちらは高熱があるのだ。世話を焼きたくて仕方がない彼に、力を振り絞って「台所から水を取ってきて欲しい」とお願いした。
 嫌がられるかと思ったが、今回は素直に頷いて部屋を出て行く。勿論、あの人魂も一緒に。
 ようやく手に入れた静寂。彼らが騒がしかったからか、疲れて眠気がでてきた。存外役に立ったらしい。
 息を深く吸って、吐く。溶けそうな意識に逆らわず、今度こそ深く────、

《ぼっちゃま、危ないッ!》

 ガシャン!!
 破砕音。やったな。
 すっかり吹き飛んだ眠気に唸り声をあげ、もったりと身体を動かして廊下へ出る。
 我が家の階段に手すりがあっで良かった。これが無いと足がもつれて降りれなかったかもしれない。いつもの三倍は重い身体を引きずりながら、なんとか台所へ顔を出す。
 ペットボトルが倒れて床は水浸し、兄のお気に入りのグラスが割れ、何があったのか人魂に怒鳴る蓮。怒る気にもなれない私は、のったりとガラスを拾い集めて片付け始めた。
 馬孫か、蓮が話しかけている気がする。
 けれど自分の心拍音が大きく響いて聞こえない。

「あ」

 と思った時にはもう、体制を崩してガラスの破片へ頭から落ちそうになっていた。

「おい!!」

 すぐに受け止められる。
 私より一回り以上小さな体のくせに、少しの不安もなく身を任せられた。正面から支えてくれた彼が、徐に私の額へ手をやる。冷たくて、気持ち良い。

「キサマ……もしや、本気で具合が悪いのか?」
「み、見たら……分かるでしょ……」

 とうとう突っ込みを入れてしまった。乾いた笑いは音にならなかったけど、舌打ちをした蓮が「もう喋るな」と言ったのでちょうど良かった。
 動かない私をいとも簡単に横抱きにしてみせると、揺らさない様に慎重に運んでくれる。荒い呼吸でしか返事ができず申し訳ない。

「何をすれば楽になる」

 ベッドへ元通り寝かせてくれた彼は、落ち着いた声でそう聞いてくる。優しい質問のはずなのにどこか偉そうなのは、不器用で可愛い。私が弱々しく布団から手を出すと、彼の小さな手が躊躇いながら指先だけ触れた。

「眠るまで、手を繋いで」

 言葉が届いたかは分からないが、彼の手が優しく握られた。ひどく安心し、突然訪れた柔らかな睡魔に身を委ね、私は今度こそ深く眠りについた。


240121


  

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