風呂を貸す



「えっ、蓮!?」
「喧しい。なんだ」

 人の家の前にいて「なんだ」は無いだろう。家でダラダラするのも飽きた休日、コンビニでも行こうかと玄関を開けたら何故か泥まみれの蓮がいた。チャイムを押せば良いのに。

「お、お風呂、貸そうか……?」
「ならさっさと家に入れろ。オレは忙しい」

 生意気な返答を自分の脳内で『ありがとう、お借りします』に変換し、通常営業の蓮を家に上げた。
 出会ってから何度か家に来てはご飯を食べたり遊んだりしているが、お風呂を貸すのはこれが初めてだ。案内した後に浴室内の洗剤をざっくり説明し、脱衣所を出て二階へ。
 兄……の着替えは、流石に大きすぎるよね。180あるんだもん。蓮がぶっかぶかのスウェットを着て怒っている所は見てみたい気もしたが、大人しく私の部屋着を取って下へ戻った。
 シャワーの音が聞こえてくる事を確認してから再び脱衣所へお邪魔して、律儀に籠へ放り込んでくれた服や下着を洗濯機に入れて、タオルと着替えを用意してやる。
 洗濯から乾燥までのボタンを押してから重要な事に気づき、反射的に磨りガラスの向こうへ声を掛けた。

「ごめん! 替えの下着とか無いや!」
「オレの鞄の中にある。出しておけ」

 生意気な声が反射しつつ、くぐもっていてもよく聞こえる。こいつ、最初からシャワー目的で家へ来たんだな。
 この時代、亭主関白なんて流行らないだろうに。ぶつくさ言いながらも甲斐甲斐しく用意してやる私も私だけど。
 早々に部屋を出て、リビングでぼんやり待っていると、下だけを着た半裸の蓮が首にタオルを掛けて現れた。私の部屋着もやはり大きいのか、裾あたりがダボついている。

「おい、牛乳はどうした」

 当然のように言うものだから、流石に腹が立つ。

「蓮のそういう所、嫌い」
「なっ……! 場所を聞いただけだ! 自分で用意する!」
「いや他人の家の牛乳勝手に用意しないでよ」

 お願いします、と一言あれば私だって素直に出す。真っ赤になって喚く蓮をソファへ座らせ、適当なガラスコップに牛乳を注いで机へ置いてやった。
 そこで、襟足から雫が垂れている事に気づく。

「蓮、ちゃんと頭拭いた?」
「放っておけば乾く」
「風邪引くって! もう、ドライヤー持ってくる!」

 だから上を着てないのか。
 本当に世話が焼ける。馬孫から、彼が末っ子の長男であるが故に全ての我儘を許して育てられたとは聞いたが、まさか自分の体も拭けないなんて思いもしなかった。
 新しいタオルとドライヤーを急いで持ってきて、呑気に牛乳を味わいながらくつろぐ蓮の頭に真っ白なフェイスタオルを雑に被せてぐしゃぐしゃに拭いてやる。

「お、おい! やめろ!」
「本選前の大事な時期に、体壊したらどうするの!? 大人しくしてて!」
「あっ、頭を撫でるな!」
「拭いてるんです!」

 彼の体が揺れるくらい雑に拭いてやると、それを肩に掛けてドライヤーのスイッチを入れる。最大風量で根本から乾かしたが、何も言わずに大人しくしていた。まるで初めてシャンプーされた犬みたい。

「……温かいな」
「当たり前でしょ。温風なんだから」

 丁寧に髪を撫でながら、最後は冷風まで当ててやって事なきを得た。冷えない内にタオルを取り上げて無理やり上を着させ、辺りを片付けた後に隣へ座る。
 パステルイエローのスウェットを着た蓮はあまり似合ってなくて、でも年相応の姿にどこか安心した。ふと、疑心を隠す事なく顔に出した蓮が言う。

「キサマ、やはりオレに惚れているのではないか?」
「『ありがとう、助かりました』って受け止めておくね」

 一体、どこまで本気なのだろうか。このノリが続いて欲しくも無いので、適当に返事をする。肯定も否定もしない方が、今の関係にはちょうど良い。

「少し寝る」

 そう言って腕を組み、断りもなく私の肩に身を寄せる蓮。相変わらずの傍若無人な態度が、最近は少し可愛く思える。私がどうかしてしまったんだろうか。

「この部屋着、お前の匂いがする」
「えっ、ダメな臭いだった?」

 慌てて聞き返す。確かに、蓮は他人の家の洗剤とか受け付けるタイプではなさそうだ。
 テレビでもつけようかとリモコンを手にした所だが、ちょっと悪い気がして電源ボタンは押せなかった。ゆるりと瞼を伏せ始めた蓮が、完全に閉じると同時に呟く。

「いや……。落ち着く」

 リモコンが、膝の上へ落ちた。
 何秒かかったのか。思わず吸い込んでしまった息を、恐る恐る吐き切る頃にはすぐ側から寝息が聞こえていた。
 いやいやいやいやいや、無い。
 年下に、ましてや中学生に。本気で照れるなんて、無いから。


240110


  

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